番外小話

化学式枕投げ 〜朝季、たすく、弥市〜


* * *



 東京内戦終結後、それぞれ個別の場所で暮らしていた人間兵器アテンダーたちは、一つの宿舎に集められた。

 戦前は一般企業の独身社員寮として使われていた、百人が同じ建物内で暮らせる宿舎。

 共同風呂は二つ、宿舎内に食堂はあるが各部屋にワンコンロの簡易キッチンがついている。

 トイレとベッドも各部屋に完全個室。


「枕投げしましょう!」


 終戦から二ヶ月。

 男子宿舎が開設して二ヶ月弱、共用スペースに入ってきた弥市が言った。

 両手に抱えているのは、直径四十センチの巨大なクッション……ではなく、枕らしい。


「はぁ? 枕投げ?」


 ソファに座っていたたすくが聞き返す。対面に座っていた朝季は、同じ空間にいた他の人間兵器アテンダーたちが静かに去っていくのを横目で見た。

 あ、これ逃げた方がいいやつだ。と察知してソファから腰を上げるが、


「弥市、ガキみたいなこと言ってんじゃねーぞ!」


 たすくが先に立ち上がったことにより、朝季の腰はソファに戻った。

 周囲を見渡すと、珈琲メーカーの前に立っている人間兵器アテンダー一人しか、部屋に残っていなかった。

 コポコポコポと、水が気化する音。

 作り始めてしまっていたため、その場を離れることができなかったのだろう。

 かわいそうに、同情する……俺も同じだから。などと心の中で呟き、朝季はたすくと弥市に目を向ける。


「つーか、でけぇな、その枕!」

「この宿舎に来る時に新調してもらったんですよ! 俺、枕変わると寝れないタイプなんで、出来るだけいいのを貰いました!」

「前使ってた枕は?」

「古かったので捨てました!」

「……なぁ、たすく。枕変わったら寝れないタイプって」

「朝季、つっこむな」

「枕投げって言っても、俺ちょっと考えて工夫したんですよ! えーと、じゃあ水!」

「は? ……いっ、痛ぇっ!」


 弥市の投げた枕がぼふっと、たすくの顔面にぶつかる。と同時、ビリビリィと枕が電流を発した。

 微弱だが、なんの準備もしていなかったらいくら人間兵器アテンダーとはいえ少し痛い。


「はいっ、たくすさんの負け……いてててて、痛いです」


 得意げに胸を張る弥市の腕をたすくが掴み、背中に押しつけた。

 関節が外れるギリギリのところまで引っ張られ、弥市が悲鳴をあげる。


「……修二呼ぶことになる前にやめとけよ?」


 漠然とそれを見守っていた朝季だが、今逃げるチャンスじゃね? と気がついて立ち上がろうとした。


「ったく、てめぇは! ルール説明もなしに勝手に始めてんじゃねーよ!」

「いててて、すみませんっ」


 しかしたすくが弥市を離した反動で、再びソファに腰を落としてしまった。


「んで、どういうルールだよ?」


 あ、たすくやるんだ?

 そんな言葉は口にせず立つタイミングを窺ったが、逃れそうになかった。


「えっとですね、枕を投げるときに問題を出すんですよ。俺がさっき言ったみたいに、水の化学式! とか」

「お前さっき、水としか言わなかったぞ。H2O」

「はいだめです!」

「は? いや、あってるだろ」

「今じゃなくて、枕受け取るときに……いてててて。たすくさん、関節技やめて」

「んで、答えれなかったら枕の電気を喰らうってことか。つーかおまえ、その枕どうやって生成してる? ある条件下で電流を発するなんて無理だろ」

「枕の中に電流棒入れてるんです! 間違えたらボタンを押してブチィっと!」

「……優しさで聞いてやるが、弥市、おまえ今日この電気枕で寝るんだよな?」

「はい! 新調してもらったんで!」


 鼻を高くする弥市を見て、朝季とたすくは同時に呆れたようなため息を吐いた。


「じゃあ次! たすくさんからお願いします!」

「は? 俺? えっと……台形の面積!」

「…………小学校の問題じゃないですか! 俺ら人間兵器アテンダーなんだから、化学の問題をいたぁぁぁ!」


 電気枕を両手でキャッチした弥市が、その手で電流を受け止める。

 いつの間にか、電流ボタンがたすくに奪い取られていた。


「おまえ、答えがわかんなかっただけだろ」

「じゃあ、たすくさんわかるんですか?」

「…………」

「『(上底+下底 ) ×高さ÷2』だろ?」

「うぉあ! さすが朝季隊長!」

「やっぱ頭いいな、おまえ!」

「小学校の問題って、お前らさっき言ってただろ……」

「じゃあ次! たすくさん、今度は化学式でお願いします!」

「水素!」

「H! ヘリウム!」

「He! リチウム!」

「Li! ベリリウム!」

「……化学式違う、元素。レベル低すぎだろ、この化学枕投げ。せめて原子番号順に言うのやめろ」

「じゃあちょっと変えて、12族!」

「亜鉛カドミウム水銀コペルニシウム!」

「……周期表から離れろ」

「難しいんだよ、これ。ポンポンやらなきゃ頭回んねー」

「ですよねー。じゃあまたまた傾向変えて、オゾン!」

「O3!」

「だから……」

「じゃあお前が問題出せよ。とりあえず鉄の融点」


 たすくが持つ枕が朝季に投げつけられる。

 受け止めるより早く朝季は即答し、すぐに弥市に投げつけた。


「1,538°C。同じく沸点、1気圧」

「2,862℃! えっと、水の沸点!」

「は? 水? H2Oの? ていうか、なんでまた俺なんだよ」

「いいから、朝季隊長答えてください! あ、気圧は2で!」

「120℃。えーと、オゾン」

「O3、ってこれさっき言っただろ! 今流行りの次亜塩素酸ナトリウム」

「流行ってんの? NaClO。つーか俺に投げんなって! 未だレベルひっくいしな!」

「オゾン二回言ったやつが言えるセリフじゃねぇ! せめて同素体繋がりで四酸素言えよ!」

「化学反応式やりましょうよ、化学反応式!」

「じゃあサインコサインタンジェント」

「は?」

「え?」


 ポトっと、朝季の投げた枕が床に落ちる。

 沈黙。

 しばらくして、朝季が自分の間違いに気づき枕を拾い上げた。


「えーと、ごめん」

「なんだよ、サインサインタントって」

「違いますよ、たすくさん。サインタサインタタサインですよ」

「いや、サインコサインタンジェント。化学じゃなくて数式で、っ、痛っ!」


 ビリビリィと、朝季の掌に衝撃が伝わる。


「なんで電気流すんだよ、負けてないだろ!」

「わけがわからない言葉だったから」

「おまえの非常識が世界の非常識とは限らない」

「化学反応式やりましょうよ、化学反応式!」

「うるせぇ、弥市!」

「一人でやればいいだろ!」

「えー、あっ、一緒にどうですかー?」


 弥市が声をかけたのは、珈琲メーカーの前に立つ人間兵器アテンダーだった。

 終戦ギリギリで配属された新入り。

 ビクゥッと大袈裟に肩を震わせた彼が、おそるおそる朝季たちのもとへ歩み寄る。


「いえー、自分は……」

「ちょうどいいじゃねーか。弥市は座学に関しては最強、朝季は戦場ランクトップだし、俺も十位には入ってるから決着つかねーだろーし」

「なにそのランキング、知らないんだけど」

「中央の方でやってるらしいぞ、東京人間兵器アテンダーのランク付」

「悪趣味だな。ていうか俺、一位なの?」

「当たり前だろ、ダントツだぞ」

「化学式わかりまよね?」


 枕を抱えた弥市が、新入り人間兵器アテンダーの顔を覗き込む。

 弥市は少年だが、顔は美少女と言われてもおかしくないほど整って可愛かった。

 新入り人間兵器アテンダーは顔を背けながら、コクコクと頷く。


「じゃあ、人体の成分!」

「えっ……?」


 ポト、と彼の体を跳ね返った枕が床に落ちる。

 静寂が訪れ、やがて、弥市が首を傾げた。


「すみません。これ、枕投げなんで……えーと、投げる方が出題して受け取る方が……」

「あ、はい。わかってます。聞いてましたから」

「じゃあ答えろよ」


 口を挟んだのはたすくだった。

 朝季はある疑念を抱き、じっと新入り人間兵器アテンダーの表情を見ていた。


「人体の成分。俺たち人間兵器アテンダーはそれと空気中のチッ素と酸素を基本として生成を行うんだから、知ってて当然だろ?」

「あ、数字覚えてなかったらパーセンテージはいいんで。多いものから順に……」

「…………H2O」

「…………」

「…………」

「…………」

「「「はぁぁぁぁぁ⁉︎」」」


 長い沈黙のあと、朝季、たすく、弥市の叫声が重なった。

 新入人間兵器アテンダーは涙目を、ふいっと横に逸らす。


「おま……おまえ、まじか!」

「す、すみません」

「水って! いや、たしかに! 人間の身体の約60%は水だけど! せめて酸素と水素と言ってほしかった!」

「弥市、笑いごとじゃないから!」

「つーか元素的には酸素の方が多いからな、人体は」

「そもそも間違ってる!」

「笑うな、弥市、うるさい。いや、ちょっと待て、マジで?」

「はい……俺もともと、理科苦手で」

「「「理科!」」」

「あ、こう見えて十四歳で、中学校上がってすぐに、東京きて」

「練校で座学やっただろ!」

「マークシートで、運良く合格できて」

「実習は?」

「隣の人がやってたのを見てたら、たまたま」

「たまたま!」

「たまたまで出来るもんじゃねーよ!」

「あ、これ、この場に修二さんいたら下ネタ満載になりそうでしたね」

「「黙ってろ、弥市!!」」

「はいぃぃ」

「ちょ……おまえ、内戦終わっててよかったな。死ぬぞ、マジで。一番初めに死ぬぞ」

「おい、朝季。俺ちょっと思ったんだが……」


 視線を合わせる朝季とたすく。

 言葉を交わさずとも意思が疎通され、朝季が枕を抱えて歩き出した。

 その後に、たすくが続く。


「え、あれ? 朝季隊長? たすくさん?」

「弥市、ちょっと枕借りるから」

「お前が寝る時間には返してやるよ」

「えっ、いや、いったいどこに……」


 くるっと、二人同時に振り返った。

 見たこともない冷たい、表情のない険しい顔……かと思ったら次の瞬間、見たこともない爽やかな笑顔を返された。


「「ちょっと、炙り出してくる」」

「あぶ……あぶり出す?」

「こいつだけじゃねーだろ」

「基礎理解してないやつ、他にも絶対いる」

「つーかもしかしたら、元素すら覚えてねーやつもいるんじゃね?」

「ありえるな」

「えぇー、ちょっと待ってください! それで宿舎全員のとこ行くんですか? ……楽しそう! 俺も行きます!」


 ズカズカ歩いて共有スペースを後にする朝季とたすく、その後を目を輝かせながら歩く弥市。

 残された新入人間兵器アテンダーは彼らの姿が見えなくなったことで安堵のため息を漏らしたが、後日、補習という名の枕投げ大会に呼び出された。

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