第30話 ある昼、死中に活を求める①

「なんですって……?」


 一瞬、自分の聞き間違いではないかと耳を疑った。でもトーヤは薄笑いを浮かべたままだ。


「言葉の通りさ。濡れ衣を着せられたアルセニオはヴェンディの仕掛ける戦を受けて立つだろ。あの王も相当に気位が高い。自分より弱そうなそちらの王に喧嘩を売られちゃ、買わないわけがない。むしろいい口実だ」

「え……っと、ちょっと待ってよ」

「だってそうだろう? またいとことはいえ格下認定してる奴に歯向かわれたら、むかつくじゃん。あの脳筋だったら即ぶっ潰す! とか言いそうじゃん」


 理解が追い付かない頭で懸命に辻褄を合わせようとしている間も、滔々と目の前の男は語り続ける。その彼のぎらついた目はある種の狂気すら感じて、ぞくりと肩が震えた。

 財政難でうちをかすめ取ろうとしていたのはアルセニオじゃなかった? それともこのトーヤがアルセニオを焚きつけてる? 


「由緒ある二国、二人の魔王が大激突だ。消耗は避けられない。混乱は必至。誤解が誤解を呼び、二人の争いは留まることがないだろう。でも結局はアルセニオの軍が強い。次第にそっちの国深くまで攻め入るはず。そうすりゃアルバハーラはがら空きだ。オレは執事として潜り込んで城の内外の構造も軍の組織も把握済み。蜂起すれば一瞬でカタが付く」


 ははっと高笑いするトーヤはまるでゲームに出てくる悪の魔王だ。自分の計画に陶酔している彼の様子は尋常じゃ無く見えた。

 でも彼が語る計画は実に都合のいい妄想だ。実際のところ多くの魔族は、絶対の主たる魔王の庇護がなければ人間のいうことなんて聞くわけがない。

 私はすっかり鈍った腹筋と背筋に鞭を打って体を仰け反らせた。トーヤのつま先に乗せられたままだった顔を持ち上げ、狭い荷台の上でギリギリの距離を取る。それは芋虫みたいな動きだっただろう。攣りそうな痛みには奥歯を噛み締めて耐える。荒い息を吐いて体を起こすと、目線が近くなったトーヤの顔が良く見えた。


「そんな甘い話になるわけない。代々の王を裏切って人間なんかに城を好きにされたい魔族なんていないわ」


 精一杯の強い口調で告げるが、目の前の人間は意にも介さず鼻で笑った。


「それがいるんだな。なんのために増税と表彰で分断を広げたと思ってんだ。王への反発はこの上なく広がってる。オレに付いてくりゃ、国をひっくり返せるっていったらみんな乗ってきたぜ」

「あのケットシーの店主もグルなのね。賄賂バラまいて、警備兵も抱き込んでたってこと? 財政難って嘘だったの?」

「嘘じゃねえよ。だから王は近々ヴェンディに領地運営の相談をしたいといってた。あんたの噂を聞きつけてな。よっぽど興味深かったんだろうなぁ、一匹のニンゲンが城の財政を立て直したってのが。だからヘッドハンティングってことでこっちに引き入れちまえって言われたんだけど、あんたが受けないでいてくれて助かったよ」

「引き抜きなんて受けるわけないでしょ」

「あのエロそうな魔女も王の婚約者でフラれたって聞いて、手紙出してたみたいだけどさ、のらりくらりと躱してくれて好都合。アルセニオに付かれたら逆に面倒くせえしな」


 エロそうな魔女とはクローディアのことか。

 ごくりと喉が鳴る。

 昨夜、彼女が持ってきた手紙には確かにアルセニオの署名があった。クローディアも極秘に会談して、新王に造反の依頼をされていると言っていた。馬鹿にするなと言っていた彼女の顔は、本気で怒っているそれだった。

 ということはアルセニオから引き抜きをかけられたのは本当なんだろう。内通者を作ってヴェンディを失脚させる計画まではアルセニオの考えか。アルセニオ自身、勢力が傾いてから戦を仕掛けるつもりだったのかもしれない。

 それをトーヤは私が行方不明ってことにしてヴェンディをキレさせ、開戦を早めるつもりなんだ。お互い準備不足なら、双方の軍の潰しあいになる。


「うちの国も一気に手に入れようって企んでるのね」


 ご名答、というトーヤの声がやけに遠くに聞こえる。


「せっかく異世界転生ってやつやってんだから惨めったらしく奴隷や勤め人やるなんて馬鹿馬鹿しい。どうせなら大国の王になってやりてえと思うじゃん」


 転生だけでなく魔界で王に重用されるというのはラッキーなことではないのか。それ以上を望むトーヤの笑顔は禍々しさに歪んでいた。


「ゲームや漫画でみたモンスターが実際にひれ伏すんだぜ? 爽快じゃん。デケえやつとか、キモイやつとかさ、エロいダークエルフもみんなみんなオレのもんにしてやるよ。一時でもオレのこと見下した奴は全員ぶち殺してやる」

「何てことを……」


 絶句した私にトーヤは腰だけ折って顔を近づけた。吊り上がった唇の端から覗く犬歯は、錯覚だろうか人間のものにしては大きく、長く見える。


「あんたもさ、このオレが誘ってやった時点で寝返りゃ、可愛がってやらないこともなかったんだけどな」


 可愛がるだと?

 縛り上げられていなければ平手打ちの一発でもかませたものを。セクハラ発言に眉を吊り上げて睨み返せば、体を起こしたトーヤが鼻を鳴らす。


「前世でもよーくこっち見てたじゃん。オレに気があったんだろ?」

「目、腐ってんじゃないの? こっちは後輩にあんたの悪評ばっかり聞いてたから呆れてたんだけど」

「おお怖えぇ。素直にこっちになびいて仕事してくれれば楽だっただけどまあいいか。変に同僚面されて近くに居られても面倒くせえし」

「こっちこそまっぴらよ」


 一言吐き捨ててやると、トーヤの顔色が変わった。

 ふっと彼の視線が私から外れ宙を彷徨う。つられて私も視線をはずすと、それまで意識の外に置かれていた屋外の物音が急に耳に飛び込んできた。

 それははっきりした音声ではないけれど、雑踏のさざめきに聞こえる。思ったより近い。やはりここは商店街でケットシーの店の倉庫なのだろうか。

 何とかしてここから脱出しトーヤの目論見を潰したい。事を明るみにすればアルセニオに対しても有利に話が出来るかもしれない。できればヴェンディは呼ばずに自力で逃げたいけど出入口は、と目だけで辺りを伺うが空間が広くて薄暗い隅っこのほうはよくわからない。

 じりじりとしたまま数秒の沈黙が流れたところで、トーヤがちっと舌打ちをした。細めていた目を見開き、じろりと私に向き直る。


「おしゃべりはここまでだ。時間もねえし、さっさと用件を済まそう」


 そういえばさっきケットシーに聞く事聞いたらどうたら言ってた。用件って、と聞くまでもなくトーヤはおもむろに腰の後ろから短剣を取り出した。薄暗い室内に細く差し込んだ光を反射した切っ先が目端を掠る。

 やばい。

 縛られたままの体が硬直する。恐怖なのか、焦りなのか、嫌な汗が背中を伝った。


「ヴェンディの弱点教えな。アルセニオとやりあって万が一勝たれちゃ困るからな」


 言えよ、とトーヤは短剣をチラつかせる。一瞬で口の中が乾き、唇が貼りついた。でもここでビビってると思われるのはどうしても癪だった。 


「いやよ」


 無理やり引きはがした唇は、どこかが小さく割けたのだろう。ぴりっとした痛みとともに口中に鉄の味が広がった。


「王の弱点晒す側近がいるわけないでしょ。いい加減、私を解放しないとヴェンディが手の付けられなくなるわよ。あんたが黒幕としれば、それこそアルセニオごと――」

「コケ脅しは効かねえよ。アルセニオが負けるはずはねえが、いわば保険だ。どっちにしてもここまで聞かせた以上、あんたは帰すわけにいかねえしヴェンディには負けてもらう。」

「仮にアルセニオが勝って、そしたらどうするつもりよ。あっという間に引き返して城を取り戻そうとするわ。どっちにしろあんたに勝ち目なんてない」

「心配ご無用。軍にもオレに賛同するやつはいくらでもいるんでね」

「……暗殺でもする気?」

「それはあんたが知る必要ねえ話だな」


 交渉決裂だ、とトーヤが肩を竦めた。眼前に短剣を突き付けられる。

 だめだ、さすがにこれは一人ではもう無理だ。そう覚悟して私はヴェンディの姿を思い浮かべた。

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