第24話 ある夜、戮力すれど協心せず③

 ようやくクローディア来訪の意図を掴み私たちの向く方向が揃ったところで、それを察したナナカが席を立った。ワゴンからあたたかいお茶をいれて、少しひび割れてしまったテーブルに並べると、彼女はにっこりとほほ笑んだ。

 カップから立ち上る花の香りと彼女の微笑みに、ちょっとだけ力んだ方から力が抜ける。拳で涙をぬぐっていたクローディアも、香りのよいお茶を口に含み幾分落ち着いたようだ。

 私たちが落ち着いたのが分かったんだろう。そうそう、とナナカがちょっと悪戯っぽい表情を浮かべた。


「昨日、クローディア様が城へおいでになって、ネリガさんにもこの話は伝わってます。青いお顔がちょっと紫になってましたねぇ」


 何を言い出すかと思えば、ネリガさんのことか。青白い顔がトレードマークともいえる彼が紫になったとは、それは相当怒っている証拠である。骨と皮しかないような外見のネリガさんがそんなに怒ったらひょっとして倒れちゃうんじゃないだろうか。


「物凄く血圧上がったんじゃないの、彼」

「あの方も先王様の代から長くお仕えになってますし、城主様がお小さいころからお世話をされていので城主様愛は相当です。小馬鹿にしおってーって書類の束で机を叩きまくってましたよ」


 なるほど、と私は頷いた。


「厨房長さんも、軍部のサラさんも、皆さん長くお勤めになっていて城主様の成長を近くでご覧になってます。お年もお年ですし、今更よそでお仕事したいってことも無いと思いますよ」

「城には、そういった人が多いってことかな」

「そうですねー。私たち侍女や庶務課もそうですが、なんだかんだ言ってみんな城主様の事は好きですし、戦をしない魔王様って結構いいじゃないかって空気感はあります」


 先王はそれなりに意欲的だったと聞くから、隣接する人間の国とも戦も多かったのかもしれない。口ではうまいことを言っているヴェンディが、実は「怖いから戦をしない」というのは城内では暗黙の了解事である。

 なんやかんや軍備は整えてはあるし、軍団の皆さんは演習だ訓練だといっては消耗品の申請にくるけど、和気あいあいとしたあの雰囲気は戦に意欲的というよりも運動会準備の雰囲気に近い。


「それってすごくヴェンディ様にはありがたいことだけど、地方は? 農村地域とか、山間の村とかは城より貧しいところも多いでしょ? こんな裕福そうに見える国から反乱の後推しされたら……」

「我が伯爵領ではそんなものはいなくてよ!」

「スラフ家や騎士団の方はそうかもしれませんけど、うち、全体に貧乏だしアルバハーラにあこがれる民もいなくはないのではと思うんですが」

「お前、ヴェンさまに人徳がないというつもりなの?」


 魔王に人徳……。しかもあの弱虫に。

 うーん、と口ごもる私の代わりにナナカが口を開いた。


「城主様のお人柄は、国内の者には十分伝わってますよー。それを良しとするか、情けないとするかはまた別問題ですけど、表立って情けないと言わない程度にみんな城主様を立ててます」

「でもナナカ。今日の商店街みたいな裕福さを見せられたら、心、揺れない?」

「揺れる者もいないとは言えないでしょうね。でもあの厳戒態勢ぶりや癒着ぶり、貧富の差をご覧になりましたよね。一般の民衆は果たして幸せに暮らせるかどうか」

「うん。あれを見に行けたのは収穫だったと思う」

「表向きの豊かさを、羨ましいと思わないようになれば、地方民の反乱の可能性は低くなるのではないでしょうか」

「そこで、よ」


 クローディアがぴしっと私を指さした。形の良い長い爪がぴたりと目の前に付きつけられる。


「お前が知恵を絞りなさい」

 ちょっと待て。

 ものすごい宿題が来た。無茶ぶりもいいとこだ。

 これは決定事項よとばかりに鼻の穴を膨らませてドヤ顔をするクローディアに対し、私は頭を抱えたくなった。

 まあ確かに、そういった仕組みを考えて提案するのも秘書の仕事のうちなのかもしれない。でもちょっと急すぎる。

 アルセニオのヘッドハンティング(という建前で行われる乗っ取り)の期限がいつなのか、どのくらい余裕があるのか分からない上に、その対策をしろというのは漠然としすぎているのではないか。


「クローディア様も考えてくださいよ……」

「わたくしはこうやってお前に裏事情を説明し、寝返りに同意したと見せかけて情報を得る係ですわ」

「あー……えぇぇ……そんな頭脳戦みたいなことでき……いやいや、それは頼もしいですが」

「ナナカを連れてきてやっただけ、ありがたいと思ってほしいものです」

「私はリナ様のお世話をするのが仕事ですからー」


 えー。

 つまり丸投げってことか。いや、企みを教えてくれたのはありがたいし、なんとかアルセニオの計画を阻止したいのはやまやまなんだけど、それにしたって――。

 うちの国の経済力を高めてアルセニオの話に対して旨味を減らし、それでいて結束を高める方法なんてそんなすぐには思いつくはずもない。

 そんな中、何故かテンションが上がっているクローディアとそれをニコニコ眺めるナナカをよそに、うーん、うーんと頭を抱えて私が唸っていると突然ドアがノックされた。


「はーい……あら、城主様」


 応対したナナカの声に、私は唸り声を飲み込んだ。はっと顔を上げれば、薄く開いた扉からヴェンディが細身の体を滑り込ませるように立っているのが見える。目が合った瞬間、彼の顔にバツが悪い表情が浮かぶが、それはお互い様だろう。

 しかし私より少し早く立ち直ったヴェンディは、穏やかな笑顔を浮かべ会釈をするナナカの肩に手を置いた。


「……やあナナカ。君もこちらに来ていたのかい?」

「はい、クローディア様にお誘いいただきまして」

「あら、ヴェンさまぁ」

「く、クローディア、君がなんだってリナの部屋に……?」

「ヴェンさまこそ、このポンコツ女に何か御用でも」


 室内にまさか私の天敵ともいえる伯爵令嬢がいるとは思わなかったのだろう。テーブルについているクローディアを見て、ヴェンディの声が裏返った。

 説明を、と腰を浮かせかけたところでテーブルの下でクローディアに脛を蹴られる。目配せ代わりにじろりと睨まれながら悲鳴を飲み込めば、黒髪の美女は優雅に立ち上がった。黙っとけってことか。


「いや、私はその、明日の予定や帰国の準備の話をだね! 我がセクレタリにね! で、く、クローディアはなんでここへっ?」

「眠れぬので、ナナカに良い香りのお茶を淹れてもらって女同士よもやま話をしていたところですの。ご馳走様、ナナカ。そろそろわたくし、お部屋に下がらせてもらいますわ」

「お見送りいたしますー」


 ひらひらと手のひらを翻したクローディアにナナカが付き従う。脛が痛くて半分涙目になった私は追う事もできない。その上この場でヴェンディと彼女が絡み合うところを見せつけられるのか。

 やってられない、と言いかけるとクローディアが振り返った。小さく鼻を鳴らし、唇と尖らせた彼女はこれ以上ないほどに眉を吊り上げている。


「先程の件、良い提案があることを期待してますわよ」

「そんな……ちょっと待ってくださいって!」

「あと、ヴェンさま。昨夜はわたくしのためにベッドを空けてくださってありがとうございます。今夜はどうぞごゆっくりお休みくださいませね」


 へ、と私の口が開く。ベッドを空けた? 一緒に寝たんじゃなく?

 しかしそんな私の疑問なんてまるで気付いてもいない風で、捨て台詞のような言葉を残しくるりと背を向けた彼女は迷いなく扉に進む。そしていざこの場で抱き着かれるかと身構えていたヴェンディの横をすり抜け、二人は部屋を出て行ってしまったのだった。

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