第13話 出会い編 ある夜、果たした邂逅は③

「それならば人件費もかからないし、この魔王自ら気にかけていると内外に知らしめることもできるし、私は彼女の顔を見ていられるしで一石三鳥! いいことづくめじゃあないか」

「いや、閣下、それでは閣下のお仕事が……」

「私の仕事など、城の皆が健やかに暮らしているのを見届けるだけさ。何の手間もない。なんだったら彼女の仕事の隣ですることだってできる。――そうだ」


 どんどん眉が下がっていくネリガとは対照的に、魔王の顔は更に輝いた。


「彼女を私の侍女にしよう、そうすれば私も常に一緒にいられるよ」

「ヤです」


 侍女って、あれでしょ。お付きの人でご主人のお世話をする仕事でしょ。よくわからない人の身の回りの世話とか、ちょっと遠慮したい。即座にお断りの言葉を口にすれば、魔王はみるみるうちにしょげていく。自信に満ちた様子からのギャップに一瞬心が揺れるが、負けない。


 だってそれじゃ、単に魔王に囲われているだけって見られるじゃない。そんなのは嫌だ。魔王の庇護が亡くなった途端に、ポイ捨てされる危険もある。どうせここで生きていくなら、ちゃんと生きていく力をつけなくちゃ。


「私はお仕事をさせて頂きたいんです。ちゃんとここで仕事をして、ここに住んでもいいと皆さんに認めてもらいたいんですよ。じゃないとネリガさんも納得できないでしょ。ほかの皆さんだって、きっと人間を側に置くなんてって反対すると思いますけど」

「しかし……」

「お仕事をした上で戦力だと分かって頂ければ、私が人間だろうとなんだろうと皆さん文句もいわないのでは? 戦力にならないと思えば解雇してもらって結構ですし」


 なるほど、と魔王は小さく頷いた。


「君は何が出来そうかな。文字は書けるかい? 料理や裁縫は?」

「魔王軍として戦うことはこのとおり貧弱な体なので出来ませんが、後方支援やお城の事務仕事ならきっと。料理や裁縫より計算や事務仕事の方が得意です。文字は教えて頂けるのならすぐ覚えます」


 この世界の文字がどんなのかは知らないけど。でも、ひらがなカタカナ漢字、その上アルファベットで英語をなんとか使いこなす日本人舐めんなよ。かつての同僚にヒエログリフを読むやつもいたんだ。文字くらい、規則性が分かればどうってことない。

 根拠があるようなないようなそんな虚勢で胸を張る。じっと私を見つめた魔王の目が一瞬強く輝いた。


「わかった」

「閣下!」


 咎めるような声は一歩遅かった。魔王の黒い翼がばさりと羽音を立ててネリガを制するように広がると、こちらを見ている赤い瞳がわずかに細められる。微笑みなのか、挑発なのか、読み取ることは難しい。けれど。


「雇用を前提に、まずは君に文字を覚えてもらおう」


 魔王が強く宣言する。この宣言に、ネリガは異を唱えることはしなかった。いや、できなかったのかもしれない。さっきとは全然違う、言葉に力があったから。


 来たまえ、と魔王が差し伸べる手を取ると、今度は彼の顔がにっこりと分かりやすく微笑んだ。


★ ★ ★


 文字を学ぶとやはりここが地球上のどこでもない異世界なんだろうなと実感する。この世界の文字は、今までの人生で見たことがないものだったから。


「こんな小娘に読めるわけないでしょう」


 というネリガの見解はある意味正しい。私たちのあとについてきながら、ずっとぶつぶつ文句を言っている。


 魔王に手を引かれやってきたのは執務室とでもいうのだろうか、応接用のソファや大きなデスクが並ぶ豪奢な部屋だった。デスクの後ろにあった小さな本棚からいくつか本を抜き出し、テーブルに並べた魔王はすぐに最初の頁を開いて見せてくれた。


「この魔王領だけでなく、魔界全体で使う文字の入門書にはこれが良いと思うよ。私も幼い頃に使った本だ」

「ありがとうございます」


 と言って覗き込んで驚いた。


 読める。


 なんでか分かんないけど、全部読める。文字は直線やくねくね曲がった曲線、折れ線などの組み合わせで表されていて、日本語でもなければ英語でもないのになぜか私にはそこに何が書いてあるのか読むことができたのだ。なんていうアドバンテージだ、お得すぎる。

 入門書に添付されている五十音表のようなものに指を走らせ、書かれた文字を読み上げた。頭上で魔王が感嘆の声を上げたのが分かる。いやそりゃそうだ、私もびっくりだし。


「……これが、転生チートパワー……」


 ぼそりとこぼれた呟きに、魔王が不思議そうな表情で眉を寄せたが、言っても伝わらないだろう。私は首を横に振って見せた。


「読みは問題無いようだね。ではまずは私の名を教えよう」


 取り直したように魔王は開いた本の余白にペンを走らせる。本を必要以上に汚すこと、書き込むことはあんまり好きな事ではない私は、ちょっとだけ勿体ない、と思った。でもまあ持ち主が良いというのなら仕方ない。ひとこと文句を言いたいところだったけど、黙って彼の手元を見るだけにとどめた。


「私の名は、ヴェンディ。文字で表すとこうなる。君の名前を教えて?」

「逢坂、里奈、です」

「オーサカリナ? オーサという名なのかい?」

「いえ、名前は里奈です。逢坂は、えっと……」


 ああなるほど、と魔王――ヴェンディが頷く。


「姓名が我々とは逆になるのかな。面白い」


 人間である私が名乗ることで、どうやらヴェンディはこれが「人間のスタンダード」と思ったようだ。興味深そうにうんうんと頷いている。違ったらごめん、と心の中でこの世界の人間に謝った。


「ではリナ、君の名はこう表す」


 魔王の細く長い指先で操るペンは、するするといくつかの文字を書いていった。ヴェンディとリナ。並んで書かれた文字は思いのほかバランスが良く、まるで一つの単語のようだった。


「書いてみる?」


 促されてペンを握ったが、さて書けるだろうか。なんていう心配は杞憂だった。私の指は見たことのない字まですらすらと何の苦もなく描き出し、しかも私はそれを読み解くことができるのだ。


「素晴らしい。君は書く文字まで美しいのか」

「いえ、いや、まあ、確かに美文字……?」


 ……なのかな? 見た事も書いたこともないはずの文字だけど、言われてみれば流麗な文字に見えるのが不思議だった。前世だって別に悪筆というわけではなかったはずだけど、決して流麗と言われる字を書くわけでもなかったのに。


 蜂蜜みたいな金色のロングヘアに白い肌。目覚めてすぐに見た壁掛けの鏡に映った自分の姿は確かに美人と言っても差し支えない容姿だった。以前なんて平均的と言えば極々平均的な、何の特徴もないただのアラサー女子だった。美人だなんて言われたこともない。ましてやこんなイケメンに美しいとささやかれるなんて、なんだろうこのパーフェクトな転生。


 ふと見た指先の、ささくれもあかぎれもない白い肌がなぜか過去を思い出させた。前世から飛ばされるときに最後にみたのが、浮腫んだ自分の手だったからかもしれない。


 しかしこの容姿は武器である。よくわからん世界に飛ばされて、この魔王に助けてもらっていなければ処刑されてたのかもしれないんだから。もう一回死ぬのはごめんだし、どうせこの世界で生きなくちゃいけないんだろうし。

 だからなんとか就職して、自分一人でも食べていける程度に稼がなくては。


 そう自分を奮い立たせていると、魔王は入門書は不要と判断したんだろう。広げた本をデスクの後ろの棚に戻していた。そのデスクの上はちょっと乱雑に書類が積まれていて、魔王の動きを目で追っていた私は見るともなしにその書類の山に視線を動かした。


「魔王、さま?」

「そんな水臭い呼び方はやめてくれ。なんのために名を教えたと? ぜひヴェンディと呼んでくれたまえ」

「いや、あの……ヴェンディ、さま」

「なんだい、リナ」


 ぱあっと顔色が華やいだ魔王は、語尾にハートマークを散らすようにこちらを振り返った。


「あの、そのデスクの上の書類なんですけど……」

「ああ、散らかっているだろう? みんなどんどん私のところへ書簡や書類を持って来てね。目を通す前に積みあがって行ってしまうんだ」

「お忙しそうですね……」

「父から受け継いだ我が領地は大きくてね。魔界広しといえどもこんな広大な領地と大勢の家臣がいる城もなかなかないんだよ。おかげで仕事も多いが、父の代からいる優秀な部下たちがいてくれるので安心さ」

「……はあ」



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