第14話 出会い編 ある夜、果たした邂逅は④

 ナチュラルな坊ちゃん育ちなのだろう。どうりで、と彼の鷹揚さに納得した。しかし机の上の書類は、一見しただけで納得できないものも多数ある。

 まるでメモのようにささっと書かれた請求書や納品書。

 明らかに色の違うインクで桁を増やされている領収証。

 大小まちまちの文字で書かれた表の体をなしていない予算表。

 四辺がすっかり日に焼けている紙に書かれた嘆願書。

 などなど、納得できないものだらけである。これは……。


「ヴェンディさま」

「なんだいリナ? やっぱり私の侍女、いや妃になりたくなった?」


 寝とぼけたことを言いながら振り返る魔王はやはり美しい顔だ。いや、こいつ顔がきれいなだけかもしれない。


「ヴェンディさま、さては事務系のお仕事苦手でしょう?」

「え?」

「というか、ネリガさんも含めてこちらのお城の家来のみんなも事務仕事嫌いでしょ? 魔王軍って、戦うだけでほかは何もできないひとの集まり?」


 脳筋集団、という単語は飲み込んだ。きょとんとしている魔王には、私の言っていることの意味が伝わっていないらしい。


「こんなに書式がばらばらでいろんな書類が来てたら、計算も間違えるし予算なんて立てられないし、お金の支払いだってミスが起こりますよ。いったいこの城のお財布管理って誰がやってるんですか? というよりこの国のひとってみんなこんなどんぶり勘定なんですか? ちょっと財政云々の前に城や国の運営だって健全にできないでしょ。見てらんないですよこれ」

「そうかい?」

「そもそもお城の税収っていうか、収入は年間どのくらいあるんですか? 皆さんお金で収めてるんですか? 作物とか?」

「ん-、なんだったかな、ネリガ」

「貨幣でございますよ……」


 確か、という呟きがかすかにネリガの口から洩れる。おいおい、あんたも把握してないのか。税率下げたとかなんだとか言ってたじゃん。軽くめまいを覚えながらネリガを睨めば、素知らぬ顔で視線を逸らされた。

 そうか、ならば仕方ない。


「ヴェンディさま、まずは私にこちらに山積みの書類の整理をさせてください。城主がお城の状態を把握できていないのではお話になりませんが、すべてを主が自ら確認する必要はありません。適宜まとめてご報告します」

「ほう、君の仕事が見つかったかい?」

「はい、こちらのお城の事務のとりまとめ業務をさせて頂きたいと」


 興味深げに私を見るヴェンディに、ネリガがいけませんと大声を張り上げた。


「部外者に任せられる仕事ではない!」

「でもこの状態、ネリガさんはどうにかできるの? 拝見した感じでは、相当昔から放置されてますよね?」

「うっ……」

「まずは各年度の支出を把握できるようまとめます。その後、今年度の収入を確保し支出を抑えて財政を健全化しつつ、放置されている嘆願関係もまとめて処理しましょう。」


 息が詰まったように絶句したネリガは放っておくことにし、私はヴェンディにさくさくと話を進めてみせた。とにかくこれでは財政もどうにかなっちゃうし、嘆願も放置しっぱなしであれば住民の反乱にもつながっちゃうかもしれないし。

 どうせなら職場環境を良くして長期にわたる安定した雇用を維持しなければならない。せめて、この人生での寿命が尽きる程度までの期間は。


「なるほど。ではリナ。君は我が城のマネージメントをしてくれるというわけだね?」

「あくまで城主は魔王たるヴェンディさまですし、私はその補佐をするだけですが」

「なるほどなるほど」


 いいね、とヴェンディは面白いものを見つけた子どもの様な表情で微笑んだ。


「確かに私は城や領地に対して少し無頓着かもしれないな。君の様にちゃんと目を光らせてくれるひとがいたほうが、何かとうまく行くだろう。好きなようにやってみたまえ」

「閣下!」

「ありがとうございます」


 悲鳴のようなネリガの声をねじ伏せ、私はヴェンディに深く頭を下げた。この山積みの書類を整理するとなると結構な仕事量だ、と言い出してしまってからちょっと後悔したけれど迷うことなく仕事を任せるといってくれた魔王の期待に応えたい気持ちが強い。


 私はよおっしと腕まくりをして乱雑に積みあがった紙の束に手を伸ばした。しかしだ。そうはすんなり仕事が始まるわけでは無かったのだ。


 私の伸ばした手をそうっと魔王の長い指が掬い上げた。あれ、と彼の顔を見上げれば何やら不満そうに眉根を寄せて首を振っている。


「待ちたまえ。そんな恰好で仕事を始める気かい?」

「そりゃ、早く始めたほうが……」


 何を言い出すかと困惑していると、ヴェンディは急に私を抱き寄せてネリガを指さした。


「いやいや、私のそばに侍るんだ、仕事以前に粗末な服など着せておけるわけがないだろう。おいネリガ、すぐに仕立て屋を呼びたまえ。リナに普段着と夜会用のドレスをいくつか作らせるんだ。このまえそこに作らせたシャツはいい出来だったし、きっと君も気に入るよ」

「は? ドレス?」


 大きいため息が聞こえそうなほど、ネリガの肩が落ちた。しかし魔王はそんなことお構いなしに私の髪をかき上げるとまた、ああ、そうだと何か得心したように一人呟く。


「アクセサリーも見繕おう。明日は朝から城下に視察にいって、ちょうどいいものを選んでくるとしようじゃないか。侍女も付けなくてはいけないね。そうだ、ナナカを呼びなさい。安心するといい、あの娘ならベテランだ」

「え? いや、ちょっと待って」

「その前にまずは君の部屋をちゃんとしないといけないね。最近流行っているという家具屋に一揃え持ってくるように使いを出したまえ」

「だからちょっと待ってってば! ネリガさんも待って!」


 私は大慌てで魔王の命令に頭を下げて退室しようとしたネリガの袖を引っ掴んだ。


「なにその怒涛の無駄遣い指示! ネリガさんもなんで何も物申さずに承っちゃうかな!」

「無駄遣いとは失礼な。すべては君のため、私に侍る美しい君に似合うものを――」

「誰が侍るって言ったかな! 普通のディスカウントもので十分だってば! 高級品とか無制限に買えるほどお金持ってないんでしょ?」


 ぴしゃりと言い放てば、はっとした表情のネリガと目が合った。青い唇をわななかせて、ぎょろりとした目を見開ききっているのはいったいどういう心情なのか。

 そして私の口調が荒くなったせいか、魔王はしょぼんとして私の体を抱く腕の力を緩めた。明らかに気落ちしている様子は、捨てられた犬を彷彿させるがこれに絆されるわけにはいかない。見事に財政を立て直して、私の存在価値を認めさせて長期雇用につなげるんだから。


 しかし城主がこれじゃあ、城の者がいくら倹約しても……と思ったときだった。


「城主さま~。ダークナイトのおじさ、イヤイヤ隊長さんが隊員全員の剣をそろえたいって言ってますけどいいですかぁ」


 そういいながら、かぼちゃが一個、いや一匹? ちょこちょこと執務室へ入ってきた。愛らしさとキモさを兼ね備えたその姿に一瞬見惚れるが、言っていた内容が私を現実に引き戻した。


「隊員全員の剣? って……何本……」

「はいー。一個中隊なので、五百本くらいですかねー」


 城内でヒトを見てもなんとも思わないのか、物怖じしないかぼちゃは素直に私の問いに答えてくれた。

が、ごひゃく……? 待て、いくらすんのそれ……。


「ああいいとも、鍛冶屋のギーランへ至急発注すると良い。装飾もちゃんとつけるように言っておこう」

「待てぇぇぇぇぇぇ!」


 咄嗟のことに感情をセーブできず、朗らかに了承する魔王を思わず怒鳴りつけた。まさか見積もりも確認せずにその場で了承するなんて。この魔王、絶対連帯責任者とかに気軽にサインして破産するタイプだ。


「なんだいリナ。そんな大きな声を出して。ジャックがびっくりしているじゃないか」

「ダメ! 即買いダメ! まずは予算を立てて見積もり取ってから!」

「えええ……魔王軍の士気を高めるためにはだね、必要な経費では……」

「でも言い値で買っちゃダメ! ちょっとそこのかぼちゃ君、まず鍛冶屋さんに見積もり取って!」

「みつもり~?」


 ぽかんとするかぼちゃが戸惑いを体で表現するように、床の上をころころと転がり始めた。魔王も首を傾げているのが猛烈に腹が立つ。壁際に張り付いたネリガだけがやけにキラキラした目で見てくるのは気のせいか。


「鍛冶屋さんがいくらで剣を作るつもりなのか、値段を聞いてくること。ほかの鍛冶屋さんがあればそこにも聞いてきて。口頭じゃなくてこの紙に書いてもらってきて。で、買うって言っちゃだめよ。検討しますって言ってきて」

「けんとう~?」

「あとから魔王が正式に発注するまで作るなってこと。とにかく! すぐにものを買っちゃだめ! まずはちゃんと収入把握して各部門の予算を決めてからその予算内で収まるものを買うの!」


 とりあえずまくし立てた内容はざっくりしすぎていて、きっとかぼちゃの彼は良く分かっていないだろう。けれどなんとなく「すぐ買わない」は理解してくれたようで、ぽいんぽいんといい音で弾みながら部屋から出て行った。


「リナ……あまり難しいことを言ってやるな。ジャックも剣士隊も困ってしまうだろうに」


 やれやれといった風のヴェンディはどこか他人事だ。


「この城がどうして財政傾いてるのか、分かる気がしますよ……」


 とにかく! と私はヴェンディの顔にびしっと指を突き付けた。他人事のままで済ませてやると思うなよ。腹をくくった女の底力をみせてやる。


「既定のお給料以外、なにを買うか買わないかは今年度の予算を立てるまではぜんっぶ私を通してください! お給料外なのでヴェンディ様のお小遣いもです! このままじゃほんとに破産しますよ!」

「ええ……美しい顔が鬼のようだよ、リナ……」

「鬼で結構!」


 開き直って鬼宣言すると、ヴェンディはすっかり肩を落としてしょぼくれたのだった。


 ――かくして、魔王城においては鬼の事務員が誕生した。


 鬼の事務員の登場によって魔王補佐官のネリガは解任となったが、長年にわたって魔王のどんぶり勘定と無駄遣いに悩まされ骨と皮になるほどにストレスでやられていた彼の顔色が良くなったという噂が城内に知れ渡ったのは、それから半年ほど後のことである。


 



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