第11話 出会い編 ある夜、果たした邂逅は①

 分厚そうな木製の扉をどつき続けてどのくらい経っただろう。叩いていた拳が赤くなり、小指の外側に血が滲みはじめたころ、唐突にガチャリと金属の錠前が鳴った。その瞬間、ほっとしたのもつかの間で私は今更ながら思いっきり後悔した。


 だって、なんて言うの? そもそも此処はどこ? 誰が来たの?


 全く情報がないまま、ただいわゆる「異世界転生」をして断罪ルートに乗ったんじゃないのという推測しかできていない。もしこれが本当なら今ここにやってきたのは誰? 何を話すの? 処刑人とかだったら? 私もう一回死ぬのかな。

 

 ちょっと待って、と口から飛び出した言葉は重い木製の扉を支えている蝶番が軋む音にかき消された。不快な音を響かせながらいかにも重たい扉がゆっくりと開かれる。扉に張り付くように立っていた私は、思わず後ずさった。

 引っ立てられたりしたらどうしよう。有無を言わさず処刑とか、待ってまだ心の準備ができてない。目が覚めたばっかりなのにもう一回死ぬとか何の悪夢よ。悪い想像が駆け巡り、背筋に冷たいものが伝い落ちる。


 そうこうしているうちに扉が開ききった。逆光の中、うっすらと浮かび上がる人影が近づいてくる。恐怖に竦みあがった私はそれ以上後ずさることも、ましてや抵抗することもできないままだ。結局、笑いまくる膝を制御しきれずその場に崩れ落ちる。


 しかし、簡素なリネンのようなワンピースに包まれた私の膝は、硬い石づくりの床に触れることはなかった。


 するりとした生地のシャツに包まれた腕に抱きとめられたのだ。


「具合でも悪いのかい? 医者を呼ぼうか」


 頭上から降ってくる声は涼やかで、はっとして見上げたそこにあった顔に私は息を飲んだ。

 つややかな黒髪の下にまるで陶器のように白く滑らかな肌、整いすぎていると思えるほど端正な目鼻立ち、そして私を見つめる真っ赤な瞳。瞳の奥はどこまでも深く赤を重ねたような、まるで上等なルビーみたいな色合いで、そこに映った私がぽかんとした表情で私を見ている錯覚に陥る。


 なんて綺麗な顔だろう。そして、なんて綺麗な目なんだろう。


 そう思って見惚れること数瞬、しかし私は気が付いてしまった。この世の者とは思えないほど美しい顔の後ろで、大きな黒い「翼」が広がっていることに。


 ――これって、ヒトじゃない? まさか、悪魔? 私、生贄とかそういうやつ??


 私の表情が変わったのが分かったのか、目の前のイケメンの目がにやりと細められた。


「よく目を覚ましたね。どうかしたのかい」

「…ひっ」


 髪を撫でられ喉の奥がきゅっと閉まる。これは、処刑人とかが出てきてもう一回死ぬとかそういう事以前に、悪魔につかまってしまっているって状態なのかもしれない。これはきっと食われるパターンだ。


 でも、ヤバい、逃げなきゃ、と思うけれど体は動かなかった。目の前のイケメンに抱き留められているからとはいえ、全く拘束なんてされていないのに、もがくこともうまくできない。

 心臓がひたすら早鐘の様に激しく鼓動を繰り返すのは、恐怖かそれともイケメンに見つめられているからか、それすらももう分からない。ただ、まるで魅了されてしまっているかのように、そうっと近づいてくる彼の顔から眼をそらすこともできなかった。

 視界いっぱいに彼の顔が近づいたところで、その薄い唇からかすかにため息が漏れた。ほんのわずかな空気の揺らぎに撫でられた私の頬は、青ざめているのか、赤くなっているのか、一体何色になっているんだろう。


 でも、もうこんなに綺麗なイケメンに食われるんだったらいいのかも、どうせもう死んじゃった事だし、なんて気持ちも沸き上がる。なんかの本で読んだ、吸血鬼が血を吸うときはその相手を魅了したり催眠状態にしたりして抵抗させないんだって。もうこれってそれに近い状態なのかもしれない。ならば、せめて痛く無いように食ってほしい――。


「なんて美しいんだ……」


 乱高下する私の気持ちをよそに、目を合わせたままぽつりとイケメンが呟いた。


「どうしてこんな仕打ちを……」

「は……? え……?」

「人間を一人捕虜としたと聞いて見に来てみれば、君の様に美しい女性だったとは。それなのにこんな半地下の牢にいれて粗末な服を着せるなんて、城の者が大変失礼をしたようだ。すぐに部屋を移して身の回りのものを取り換えさせよう」

「はい?」


 今にも食われるのでは、と半ば硬直していた体から素っ頓狂な声が漏れ出た。途端に硬直が解け、脚が軽くなる。あれっと思う間もなく、私は目の前のイケメンに抱き上げられた。いわゆるお姫様抱っこ、というやつだ。


「ようこそ、魔王城へ。いまから君は私の客人だ。丁重にもてなそう」


 そう告げると、彼は私を抱き上げたまま「半地下の牢」を出た。

 それまで気が付かなかったが、彼の周りには何人もお供がいたらしく口々になにやら言い立てている。その姿は様々で、毛むくじゃらのケモノのようなのもいれば、恐ろしく顔色が悪い骨と皮みたいなのもいた。

 しかし何か言われている当の本人は全く意に介した様子もなくずんずんと階段を上がっていくので、私は身を縮めているしかなかった。否、人生初のお姫様抱っこに混乱して半パニック状態だったのだ。


 ――そんな生まれて初めての経験に驚いて声も出せずにいる私が、その黒翼のイケメンがこの魔王城の主であるヴェンディと知るのはもう小一時間後の事となる。



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