番外編

第10話 番外編 ある夜、勘違いに翻弄される


 はて、と私は一枚の請求書を片手に首を傾げた。


 宛名は魔王城のヴェンディなのはまあいい。これは魔王城の支払いが全てヴェンディ名義だから。

 しかし列挙されている品物は、城で発注した記録も購入したという記録もいずれもないのだ。というより魔王城では特別必要なものではない。軍備に使うでもなく、食料にするでもない。なんなら外部から購入せずとも、むしろ庭師に頼んでおけば適宜きれいな時期を見繕って持ってきてもらえるもの――つまり、花である。

 バラ、ガーベラ、マーガレット、デルフィニュウムにミモザにスプレーマム。その他グリーン類も併せて、納品された量は大したことないけど色とりどりでかなり豪華そうなラインナップだった。

 

「いったい、誰が買ったんだろ……」


 犯人(というのはどうかと思うが)の心当たり第一号はもちろんヴェンディである。私を雇いあげてからというもの、ことあるごとに自室や事務室へ花、ドレスなんかを送り付けてきているからだ。

 頂いた花に罪はないので侍女のナナカに頼んで飾ってもらったりドライフラワーにしてもらったり、いろいろ使ってはいるものの、ドレスや宝飾品はクローゼットに収まりきらなくなる前にやめてほしい。

 それら全ては魔王のお小遣いから支出しているとは言われているものの、そこを節約して別のことに使ってほしいと思うのは贅沢なんだろうか。しかも請求書はなぜかこの事務室宛てに届くので、贈られた花の値段が分かってしまうのでちょっとどころではなく心苦しい。


 しかし今回のこの花の請求書はどうやらヴェンディではない。桁が二桁少ないのだ。

 請求書の店名もヴェンディ御用達のものではない。

 ということは、彼ではなく他の誰かが買ったものという可能性が高い。


「でも、こんなお花が納品された記録もないし……私用でだれか経費扱いにしたのかしら」


 だとすればちょっと問題だ。額は大したことないけど我が魔王城は常に緊縮財政なのである。鷹揚といえば聞こえはいいが要するにどんぶり勘定のヴェンディはいいよいいよと言うだろうけれど、私用で使ったとなると横領問題にも発展するかもしれない。

 調べなきゃ、と私はデスクから腰を上げた。


★  ★  ★  ★  ★


 城の中の花を飾っていそうなところをざっと点検しにいったけれど、それっぽい花束(あるいは花)は見当たらなかった。

 そりゃそうだ。

 ここは城とはいえ魔王城。魔王ヴェンディの居住区域と謁見の間以外は、魔王麾下の魔王軍の職場である。オークやコボルトのおじさんたちやサラマンダーやリザードマンの部隊の武器防具の倉庫があったり、訓練施設があったり、待機所だったり各部隊長の執務室があったり。軍事施設といえる城に、花を飾る場所はそう多くない。

 数少ない花を飾るスペースといえばヴェンディの執務室関係や謁見の間、それと居住区域と私たちの女性の生活区域。そこだって庭師と侍女たちが季節や好みに合わせた花を飾るくらいで、そこにあるものは見慣れているいつものお花だった。

 城の中にないとなると、ますます私的流用の可能性が高まってしまう。事態はあんまりよろしくない。ひょっとしたら侍女の誰かが買ったとか、侍女の誰かに贈るために買ったとか、そういう話になってくるかも。とすると、下手に探して騒ぎにするのもかわいそうだし、でも横領という事態になるならちゃんと調べなきゃいけないし。

 私は眉間に寄った皴を指で伸ばしながら事務室へと戻った。


 するとだ。


 鍵を閉めたドアの下に小ぶりの花束があったのだ。

 拾い上げて束の中を確認すると、花の種類もバラやガーベラなどあの請求書にあったものと一致する。


「いつもよりずいぶん小さいけど……てことは、やっぱり」

「やあリナ。そんなに険しい顔は君には似合わないよ。この花のようにほら、笑ってくれたまえ」

「……ヴェンディさま」


 案の定、私の背後から朗らかな声が聞こえてきた。鷹揚に服を着せた人物。魔王ヴェンディである。

 帰ってくるのを待ち構えていたのだろうか。普段使わない花屋の花束まで用意されて余計な心配ごとを増やされ、ムカムカしながら振り返る。


「今日も美しい君に似合う花を用意したよ。香りもほら、格別に良い」

「ヴェンディさま、お花は結構ですといつも言ってますよね……あれ?」


 ちょっと手続きの大事さと無駄遣いについて説教してやろうと思ったのに、私の目はヴェンディの胸元にくぎ付けになってしまった。

 なぜなら、そこにはグリーンを中心にした大きな花束が抱えられていたから――。


「どうしたんだい?」


 固まってしまった私の顔を、ヴェンディは訝し気にのぞき込んできた。


「えっと、あの、ヴェンディさま。今日の花束は……」

「ああ、これかい? 君の髪の色と今日のドレスに合わせていつもの花屋に作らせたんだ。ちょっと城下にいく用事もあったものでね。ん? それは?」


 うっとりと花束の香りを楽しんでいた魔王の目が、ドアの下の花束に気が付いたようだ。すうっと瞳が細くなり、視線を私と花束に行き来させながら小首をかしげた。


「あの、この花束は……?」

「ずいぶん可愛らしいブーケだね。これは?」

「ヴェンディさまが下さったものでは?」

「この私が愛するリナへ贈るものを、そんな風に置いておくと思うかい? しかもこれと比べて小さいじゃないか。私の愛を表すのに、そんなに小さくっちゃ足りないよ」

「……てことは」


 違う誰かだ。

 探るような魔王の視線を感じながら花束を拾い上げると、グリーンとリボンの間に目立たないように小さなカードが付いていた。直感的にマズイと判断し、手のひらの中にそれを隠して振り返る。

 そこにいたヴェンディはおかしいくらいに頬を膨らませていた。


「私の花よりそちらを先に手に取るなんて、ずいぶんじゃないか」

「子どもですか」

「そりゃ、そっちの方が色が可愛らしくて、君の好きそうな雰囲気かもしれないが……」


 相当に拗ねて唇を尖らす魔王の表情はさっきとそれほど変わらない。カードの存在はバレていないようだ、とちょっと胸をなでおろす。なんとなく、誰がくれたにせよ、このカードを見られたらマズイと思ってしまった。中身は知らないけど。


「はいはい、ヴェンディさまのお花もありがたくいただきます。今日のお花は青が多いんですね。豪華で、いい香り。これは、ユリですか? キキョウ? すみません花には疎いもので。でもこの色のお花、大好きです」


 大きな花束へ顔をうずめるようにすると、胸いっぱいにさわやかな芳香が満ちていく。そんな私を見て満足そうに魔王は頷いた。


「キレイだろう? これはユリだよ。君の雰囲気に合わせたんだ」

「ありがとうございます。お花を持ったままでは仕事になりませんので、いったん部屋へ下がらせていただきますわ。ナナカにきれいに飾ってもらわないと」

「そうだな、そうしたまえ。今晩は夕食を一緒に摂ろう」

「かしこまりました、では後程」


 ああ、と頷くとヴェンディは私に背を向け自分の執務室の方へと去っていった。追及されるかと思ったけど、自分の花を褒められて気分が良くなったんだろう。ほっと胸をなでおろし、私は手元の小さな花束を見つめ自室へ向かったのだった。




★ ★ ★ ★ ★


 二つの花束を見たナナカはさっそく花器をいくつか用意して、たくさんある花やグリーンを手早く生け直してくれた。こういった素養がない私は、彼女の手際の良さを賞賛することくらいしかできないが、本当にすごい。どの花器にもバランスよく生けられていて、部屋の景色が一変していい香りで満たされた。


「ちょうど前のお花が終わる時期だったので、全部入れ替えられてよかったです。お部屋が寂しくならずにすみました~」

「手間かけて悪いけど、さすがナナカ。きれいにしてくれてありがとう」

「とんでもない。それにしてもこちらのお花は魔王様にしてはかわいらしいものを選ばれましたね~」


 ヴェンディのユリを生け終わったナナカが、もうひとつの花束を手に取りしげしげと見つめて呟いた。

 彼女の目にも「らしくないもの」と見えるらしい。普段贈られ慣れているものに比べると確かにかわいい。

 私がなんて返していいか分からず曖昧に笑っておくと、ナナカはそれ以上追及もせずに花を飾ることに没頭し始めた。それを横目に見ながら、私は手に隠しておいたカードをこっそりと開いた。


――親愛なる貴女へ


 そんな書き出しから始まるカードの文は、ちょっとたどたどしい文字でつづられていた。普段見慣れているヴェンディの流麗なペン遣いのものではない。やはり全くの他人が寄越したものなんだろう。


――ひと目お見かけしたときからお慕いしておりました。願わくば、この花を貴女のお傍においていただけますよう。


 差出人の名前はない。

 小さなカードいっぱいに書かれたそのメッセージはとても控えめで、不審に思うのと同時にその奥ゆかしさから不覚にも胸が高鳴ってしまう。

 いつも強引極まりないヴェンディと一緒にいるからだろうか、なんか、いい。ヴェンディが悪いというわけではないけれど、いやあのどんぶり勘定はいただけないからやっぱり良くないけど、自信たっぷりに愛を囁かれるのとときめき具合が違うのだ。


 しかしこの花束の料金を経費扱いしたのではという疑惑が付いてくる以上、やはりこれはちゃんと誰が寄越したものなのかはっきりさせるべきだろう。

 私はくるくる働いているナナカを呼び止めた。


「ナナカ―」

「はーい、なんでしょう」

「ちょっと」


 手招きするとエプロンで手をふきふきナナカが駆け寄ってくる。まだあどけなさの残る風貌をしているが、ダークエルフの彼女はすでに百歳を超える大人である。魔王城に勤めて長いし、結構城内のことにも詳しいし、と私は手に持ったカードを彼女に見せた。


「こういった文字に見覚えはない?」


 ん、とナナカが身構えた。差し出されたカードを手にとって良いものか一瞬悩んだ表情を浮かべたが、私が頷いて見せるとそっと受け取って書かれた文字に目を走らせる。


「……えーっと、これは……魔王様、が下さったもの、じゃないですね?」


 普段のんびりしているナナカの声音が少し硬い。言葉を選んだ風で実はそれほど選ばれていない言葉に、私は再度頷いた。


「てことは、その……いいんですか?」

「いいんですかって?」

「その、魔王様じゃない方にいただいたお花なんですよね、これ」

「分かる?」

「いつもと系統が違いすぎますので」


 ですよね、と私は花器に移し替えられる途中の小さな花束に視線を送った。


「筆跡自体には見覚えはありません。でもなんとなくこういう文字を書く方々は存じてます」

「方々って、どういうこと?」

「手習いの環境なんでしょうか、種族ごとに書く文字に特徴がでることがあるんですよ。魔王様やダークエルフ、コボルト族なんていう手先が器用な種族と、ちょっと不器用な種族とでかなり文字の形状が違うんです」

「なるほど。じゃあこういったたどたどしい字を書く種族って、例えば?」

「ゴーレムの方々や、体の大きなサラマンダーの皆さん、あるいは」

「うん」

「ワーウルフの皆さんも、肉球と爪が邪魔してちょっと文字が歪むことが多いです」

「なるほど、そこらへんの人が……」


 でも、とナナカが表情を曇らせる。


「魔王様がこれをお知りになったら、ちょっと困ったことになるのでは?」

「ん……やっぱり?」

「当然ですよぅ」

「だよねぇ……」


 ナナカの言わんとしていることは十分理解している、つもり。魔王ヴェンディの、私への執着ぶりは傍目に見ていても相当だということも分かっている。城主の恋人と目される女へ、匿名とはいえカード付きの花束を贈ったと知られたらどんなことになるか。

 ヴェンディからは咄嗟にカードは隠して彼のお花を褒めたので気はそらせたと思うけど、なんだかんだいって腐っても相手は魔王である。何かの拍子にバレないとも限らないしそれを隠しておいて良いことはない、とも思う。


「どうしたらいいと思う?」


 彼女が答えに窮すると分かっていても、ついつい私はナナカに尋ねてしまっていた。

 ナナカの方も困ったように眉を下げ、考え込む素振りを見せている。形の良い彼女の薄い唇も、すっかりへの字型である。

 結局二人で小一時間考え込んでしまったけれど、答えは得られなかった。


「とりあえず仕事に戻るわ。月末近いから請求書の取りまとめしてこなきゃ」

「はい、承知しました。お食事は魔王様とご一緒にと連絡が来てましたので」

「うん、直接食堂いく」


 いってらっしゃいませ、というナナカの声を背に、私は自室を出て事務室へと向かった。



★  ★  ★  ★  ★



ちょっと留守にしていただけで、事務室前のポストには請求書や納品書、魔王あての親書やら見積書、購入依頼状などさまざまな書類が投げ込まれていた。さすが月末。予算の締めも近いからって、駆け込みでいろいろ発注しすぎである。

 でも納品管理がここでないだけまだマシだろう。隣の部屋からはまた別種の叫びが聞こえてくる。総務や庶務は城内のあらゆることに対応をさせられているし、財政のことだけ考えていればいい私とはまた違う忙しさと聞く。

 しょうがない、と私は書類の束をもって部屋へと入った。今日の夕食までにどこまで終わるだろうか。

 げんなりしながらもそれらに忙殺されているうちに、花束やカードのことなんてすっかり忘れ去っていた。



 そこから数時間。日もとっぷりと暮れたころ、ようやく請求書の仕分けと支払い手続きのめどが立ったところで私は腰を上げた。

 ずっとデスクで書類仕事をしてたせいで肩と背中がバッキバキだ。転生したって結局社畜根性というか、ワーカホリックなところはあまり治らないらしい。

 でも机の上の仕事の成果を見ると、ちょっとだけどんなもんだいという高揚した気分になる。達成感ってやつ。

 時計をみるとすでに夕食の時刻に近い。ぱたぱたっとスカートの皴を払って、私は事務室を出た。


「……ぶっ、ぅわっ」


 ドアを開けた途端、視界いっぱいに広がる黒いものに顔をぶつけた。ややごわつくそれは私がぶつかってもびくともせず反対に弾き飛ばされそうになってなんとか踏みとどまる。当たった鼻をさすりながら見上げると、開けたはずのドアが閉まっていた――もとい、ドア枠いっぱいに絨毯が詰まっていた。


「……何これ」


 部屋に入るときにはなかった代物だ。あったら入れない。触れると温かいそれは、ちょっと固くて毛足が長い部分の奥にやわらかくて短い毛がみっちりと植えられている、ダブルコートの絨毯である。


「何これ、納品物? 絨毯なんて、買ったっけ?」


 ここ数日の発注品について記憶をあさりながら絨毯をつんつんとつつく。すると絨毯の向こうから野太い声がして視界が広がった。

 誰かどけてくれたのか、と思ったけどそれは勘違いだった。そもそも、それが絨毯だということが大きな間違いだと気づいたのは、戸口で振り返ったそれに獣人の顔が付いていたから。

 

 私が絨毯だと思ってつついていたのは――獣人族のうち、特に巨躯で毛深く剛腕のワーウルフだったのだ。



★ ★ ★ ★ ★


 部屋の外にいたワーウルフはこちらを振り返ったけれど、顔をあげないまま何かぶつぶつ呟いている。声は彼の口の中でだけ響いているのか、切れ切れに聞こえるワードをつなぎ合わせる作業をそうそうに諦めた。

 しかしワーウルフって種族はデカイ。あまり彼らは事務的な職種にいない上に、肉弾戦を主な手段としているからか、あまり武器や防具の購入の申請などにも来ないから、その大きさを感じたことがあまりなかった。実というとこんなに近くで彼らを見たのは初めてだ。

 背丈はゆうに私の倍、体の幅なんてドアを丸ごと塞いじゃうくらいなので私が何人分あるのか分からない。

 そんな大きな彼がうつむいたまま動かないで、見ようによってはもじもじしているのがなんだかすごく滑稽だった。

 しかしいくら振り返って彼がドアの方を向いていてくれても、立ち位置がよろしくない。できればもう二、三歩下がってくれないと私が出るに出れないのだ。顔をあげてくれればきっと私が外に行きたがっていると分かってくれると思うけど、ずっとうつむいたままだし埒が明かない。


「あ、あの、ちょっと下がっていただけますか?」

「……っさい……」

「え? なんですか?」

「ぼ、ぼくと……っさい……!」

「あの、すいません、もう一度……」

「ぼく……と、その、つ、つ、つ……っさい……!」

「えーっと、すみません、良く聞こえなくて」

「ぼ、ぼく……と、あの、……って、その、はなを……」


 もごもごと口ごもる彼の言葉は不明瞭かつ、囁き声に近いほどのボリュームで聞き取ることができない。でもなんか必死そうだ。何か伝えたくて一生懸命な様子に押されて、私はうつむく彼の顔を覗き込んだ。


「どうかされました? 具合でも悪いんですか?」

「あの、僕と……って、うわああああ!」


 顔を近づけた私と目が合うと、ワーウルフの彼は仰け反るように、いや文字通り飛び上がって廊下の窓まで後退した。その目は驚愕で見開かれ、被毛でおおわれているのに顔色が真っ青になっていることもわかるくらい焦っている。

 両眉と耳を極限まで下げ、太い尾も力なく床に垂れ下がり口元を戦慄かせている彼の様子はどう考えても尋常ではない。ひょっとしたら本当に具合が悪いのかも、心臓? と前職の記憶が蘇り思わず駆け寄ってしまった。


「どうしたんですか? 大丈夫? どこか痛むところとか、具合悪いところが?」

「い、いや、あの、その……うわあああああ」

「ちょっと待って、医務局の人呼びますから」

「待って、待って違う、いや違う、けどあの……! ここ、リナさまの……うわあああ」


 一歩よれば一歩後ずさる、それを数度繰り返す。最後はパニックといってもいいほどに狼狽える彼の肩に触れようとすると、さらに後ずさりをしてついには窓に張り付いた。

 

「どうしたんですか? ほんとに、具合悪いなら医務局の人を」

「違います、違います、具合悪くないです! ほんとに! 大丈夫です! 大丈夫ですから! 触んないでください!」

「でも、顔が真っ青ですし、震えてらっしゃいますよ!」

「大丈夫です! これ、特技なんです! 特技!」

「そんな特技ありますか……。熱でも出てるんじゃないですか? 大丈夫?」

「大丈夫ですから! こんなとこ城主様に見られたら……あ」


 矢継ぎ早に繰り出されていた言葉が途切れ、彼の視線が宙を泳いだ。同時に、辺りの空気が一気に冷える。背後から近づく靴音には聞き覚えがあった。ぞくりと背筋に悪寒が走ったのは、気温のせいかそれとも――。


「そこで何をしている、ロントニー」


 氷点下の声音を聞いたのはいつ振りか。そういえば夕食の約束をしていたし、その刻限はとうに過ぎている可能性が高い。恐る恐る振り返ると、眉を吊り上げてひどく不機嫌そうな様子のヴェンディが立っていた。


「じょ、城主……さま!」

「そこで、何をしていると聞いている」

「あ、あの……いえ、何も……!花なんて……」


 花、という単語にピンときた。そうだ、あの誰がくれたか分からない花束。添えられたカードの文字は、ナナカ曰く大柄な種族の者が書いたようだといったっけ。忙しすぎて、今の今まですっかり忘れていた。この彼がおいていったものなのか。

 これはいわゆる修羅場というやつだ。

 どうかそのワードを聞き洩らしていて、という願いはもちろん聞き届けられるはずもなく、冷ややかな顔でワーウルフの彼を見下ろしていたヴェンディの纏うオーラが黒さを増した。


「花だと? あの花束のことかい? 君が、リナに?」

「あ、いえ! いえ、違います! いや違わないけど違います!」

「違うとはいったいどういうことだい? 君がリナに花を贈ったということが事実かどうか聞いているんだ」

「違います、違います! 僕はリナさまに花は贈っておりません!」

「しかし現に花束はここにあったし、リナが持ち帰っているのを私は見ているんだよ。そうだね、リナ?」

「り、リナさまが……?」

 

 ワーウルフの彼の声はうわずり、掠れていた。魔王のオーラに強く狼狽しているのか、全身は小刻みに震え総毛だっている。

 そんな彼から視線を外したヴェンディはそっと私の腰へ手をまわして立たせ、ワーウルフの彼に駆け寄ったときにできてしまっていたスカートの皴を払ってくれた。紳士然としたその態度は、己を冷静にさせるために行ったのかもしれない。横目にみた彼の顔は、感情をそぎ落とした蝋人形のようだったから。


「ねえリナ。君はあの花束を持ち帰ったね?」


 念を押すヴェンディに私は頷くしかなかった。


「り、リナさまが……お持ちになったんですか……では、あの、カードも……」

「カード?」


 魔王の眉がぴくりと跳ねる。


「どういうことか、説明してもらおうロントニー。ことと次第によっては、いくら君でも私は許すことができないかもしれない」


 そんな、と私も息をのむ。配下の彼にそんな物騒なことを言い出すなんて、見境がなくなっている。

 ヴェンディの言葉は少なく、語調も静かなものだったけれど、ワーウルフ――ロントニーというらしい彼はすっかり震えあがってしまっていた。ぱくぱくと金魚のように開閉する口は、言葉らしい言葉を紡ぐことができない。

 必死にちがう、ちがうと呟くのが精いっぱいだ。


「お待ちください、ヴェンディさま。彼のそのお花は……」

「カードというのは何のことだい? 君は、私のものだと言ったはずだ」

「でも……!」

「君に愛を囁けるものは、この世で私しかいないはずだ」


 ぴしゃり私は反論を封じられた。冷静を装うヴェンディのオーラはどんどんと黒く、大きなものになっていく。

 まずい、逆鱗ってやつだ。


「残念だ、ロントニー。子どものころから知る君が、主の思い人にそんな不埒なことをしようとするなんて」

「ち、ち……ちが……」

「言い訳なら聞こう。ただし――」

「違うんです! あの花は! あの花は! ――モナエルに渡したかったんです!」


 ん?

 

 ロントニーは悲痛な声で思いもよらないことを叫んだ。突然別の名前が飛び出したことに拍子抜けしたのか、ヴェンディに表情が戻っている。

 お互いにぽかんとしながら、私たちは顔を見合わせた。


「モナエル? モナエルって、庶務係にいるカー・シーの?」


 三人の間に沈黙が流れて十数秒。名前の主を思い出した私が訪ねると、ロントニーは力なく頷いた。

 カー・シーのモナエル。彼女はつい最近庶務係へ入ったカー・シー族という犬の妖精の一人で、ツインテールの長い髪が印象的な少女だった。年若い彼女は軽やかで華やか。色とりどりの花束は、言われてみれば彼女にぴったりの印象だ。


「モナエルさんのいる部屋って、ここのお隣ですけど……?」

「ええぇ!」


 目を丸くしたロントニーは並んだドアの上にある部署名プレートと、そして私をかわるがわる見つめ、また「えええ」と力なく叫んで項垂れてしまった。


「……ついこの間、彼女に会って、これは運命だ! って一目ぼれを……で、花とカードで告白しようと思ったのに、文字、最近やっと勉強したんで、間違えちゃったんすね……僕」

「しかも今日は彼女、早番でお昼過ぎに帰ってますよ。お花置いてくれたのがお茶の時間の前でしたから、完全に行き違っちゃってましたね……」

「あああ……やっちゃった……」

「つまり、ロントニーは彼女の部屋と間違えて花を置いてしまって、それをリナが間違えて持って帰ってしまったということかい?」


 平たく言うとそういうことである。

 

「リナに横恋慕したとかそういうんじゃ……」

「滅相もないです! リナさまは城主さまの大切な方ですし、それに」

「それに?」

「僕、つるんとした肌の女性は魅力を感じませんし……」


 そういってロントニーは頬を掻く。その指先や頬にみっちりと生えた被毛には妙な説得力があった。

 もちろん、私もあまり毛深い人はお断りしたい。あと、同じモフモフでもどうせならもうちょっと毛が柔らかいほうがいい。

 

「う、うん、確かにそうだな。ロントニーには同じイヌ科のケー・シーがお似合いだと思うよ。疑って悪かった、勘違いなんかして私が狭量だったよ。よし、お詫びに今度私が交流会を企画しようじゃないか」


 しょげているロントニーとその様子に申し訳なさそうに寄り添う魔王の姿に、私は腰に手を当てた。お互いの勘違いがとけ、夕方からの疑問が解決したところでもうひとつ言っておかなければならないことを思い出したのだ。


「ロントニーさん、お花の件は勝手に持ち帰ってしまって申し訳ありませんでした。あとから同じお花をこちらでご用意させていただくことも検討します、でも」

「でも?」

「私的な経費の流用はいけません。お花の請求書がこちらの事務室に届いてます。請求書はお返ししますので、思いを伝えるお花ならご自身のお給料でお求めになってください」


 ロントニーはあっとつぶやくと、ばつが悪そうに頭を掻いた。なんとなくこの要領の悪いもとい素朴な青年が横領とか私的流用とかするようには感じないから、なにかの行き違いなのかもしれない。


「す、すみません。手持ちがなくてあとで支払いに行きますって伝えたんですが、城の腕章をつけてたんで店が気を利かせて請求書にしちゃったんですね……僕、払ってきます」


 やっぱり、と私は今度こそ胸を撫でおろした。


 ご迷惑おかけしました、と言ってそそくさと去るロントニーの後ろ姿を見送ると、既に夕食の時間を一時間以上過ぎていた。

 勘違いで部下を粛正しようとしたヴェンディは、それを反省しているのだろう、ちょっとしょんぼりした顔で私の腰に手をまわした。


「困ったね、リナのこととなると、冷静でいられない……」

「そうですね」

「君が私以外の男といるところをいるのも嫌なんだ」

「知ってますけど、仕事の時は仕方ないこともありますよ」

「うん……」


 思いのほかしょげている。冷徹な魔王の顔とのギャップがおかしくて、私はちょっと吹き出してしまいそうなのをこらえて彼に体重を少し預けた。


「私、ヴェンディさまのこと好きですって言ったじゃないですか。信じられません?」

「リナ……」

「お花やドレスなんてもらわなくったって、ちょっとやそっとじゃ揺らがないはずなんで、もうちょっと自信もっていいですよ」


 ん、とヴェンディがかすかに頷く。そして額に柔らかくキスをくれた。目を上げるとそこには優しい色をたたえたガーネットの瞳が揺れていた。

 ぐう、とどちらのものか分からない、いや多分同時に二人のお腹が鳴った。音にびっくりし、そしてお互いに顔を見合わせてくすくすと笑う。


「食事に行こうか、リナ」

「はい」


 連れだって食堂へ向かう途中、ヴェンディがおかしそうに肩を揺らした。


「それにしても、あの奥手のロントニーがなぁ」

「モナエルさん、可愛らしいかたですよ。お鼻がつんっと上向いていて、お仕事も楽しそうですし」

「彼氏とかいるのかな」

「どうでしょうね?」

「そういえば、ロントニーの言ってたカードって何が書いてあったんだい?」


 あのたどたどしい文字を必死に書いていたであろう、ロントニーの姿を想像するとほっこりとした気分になる。

 彼の淡い恋は守ってあげたい。その恋が成就するといいなと思う。


「……それは守秘義務がありますね」


 笑って告げると、ヴェンディもふふっとほほ笑んだ。


「さすが優秀なセクレタリだよ、君は」


 


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