第6話 ある朝、氷点下を体験する①

 翌朝、めちゃくちゃすっきり目が覚めてふと横を見ると、じっとりとした上目遣いでこちらをにらんでいるヴェンディと目が遭った。うっすらと浮かぶ涙と、ひとつも乱れていない着衣にはっと息をのむ。


「……リナ」

「え、えーーーーっと……」


 恨みの色が隠しきれない声音に応答する言葉を選びきれず、わずかに動いた彼の唇に昨夜の感触を生々しく思い出した私はわざとらしく目をそらした。

 言いたいことは分ってる。

 この状況を見れば一目瞭然だ。


「……あの状況で、寝るかい、君……?」

「長旅で疲れていましたので……つい……」


 あたたかい腕に包まれ、ふかふかのベッドで横になり、目を閉じちゃったらもう。

 あとは寝るしかない、と体と脳が判断したとて誰が責められようか。

 てへ、と舌でも出せばかわいげもあるのかもしれないけど、あいにくそういうキャラではない私は、そそくさとベッドから辞去した。乱れはないとはいえさすがにスカートもブラウスも皴だらけだ。

 窓の外ではもう既に、太陽が良い高さまで昇っていた。


「着替えて朝食の手配をしてきます。ヴェンディさまはご自分のお部屋でお待ちください」

「リベンジは……?」

「着替えます!」


 結局、未練がましいヴェンディをベッドから引きずり出し尻を叩くように追い出すことになってしまった。

 追い出した後、持ち込んだ荷物から動きやすい服に着替え昨日案内された厨房へ急ぐ。騎士団長の館は城ほど広くないけれど、やはり厨房などは客間からは離れているし廊下も入り組んでいた。どっちだっけ、と通路ごとに記憶をたどりながら何度目かの角を曲がったときだった。

 薄手のバスローブのようなものをひっかけただけという、極めて軽装かつしどけない姿のクロ―ディアと鉢遭ってしまった。

 ちゃんと締め切っていないローブから乳が零れんばかりにはみ出している彼女は、気怠い雰囲気と相まって昨日より濃厚なフェロモンが駄々洩れである。香水だろうか、甘い中にほんの少しだけ硫黄のようなちょっとスパイシーな香りをまとわせているが、これも今朝の彼女の物憂げな雰囲気によく似あっている。


「あら、そんなに急いでどちらまで?」


 寝起きの掠れた声もまたセクシーだ。これを無下にするヴェンディの気が知れない、とさえ思えるくらい。そういえばお香で眠らせてきたと言っていたけど、彼女がまとうこの香りはそれなんだろうか。確かに鼻の奥のさらに奥をまったりと刺激する、何とも言えない香りである。


「おはようございます、クロ―ディアさま。ヴェンディさまのお食事の手配に厨房へ参るところですわ」

「それには及ばないわ。我が家の使用人の方でもう食堂へ準備されているはずよ」

「お手数をおかけして申し訳ございません」

「大切なお客様ですもの。当然よ。あと、ヴェンさまの分はわたくしの部屋へ運ばせますからご心配なく?」


 確かに時間も朝食の準備はとうに整っている頃だろう。寝過ごしてしまったのだから当然だ。安堵してたっぷりと休養と取った寝起きは最高。気が付けばお腹もなってしまいそうなほど空腹だった。

 手間をかけずに食事ができるのはありがたい。しかし私の手配ではないので至って普通のこちらの食事だが。その食事の様子を確認して、晩さん会のメニューを相談しなきゃ。頭の中で仕事の段取りも組み立てていると、それにしてもとクローディアがこれみよがしに大あくびをした。


「昨晩はゆっくりお休みになれて?」

「……はあ、まあ」

「あんなベッドでゆっくりお休みになれるなんて、さすがですわね」

「あー、いえ、まあ慣れてますから」


 ふふん、とクロ―ディアの鼻が鳴る。どうやら彼女はまだ私が使用人部屋で一晩過ごしたと思っているようだ。面倒くさいので貴女の兄上に客間へ案内してもらいましたとは言わずにおこう。 

 と、クローゼの熱っぽい瞳を思い出す。改めて顔を合わせるのはなんだか気恥ずかしかった。一時の気の迷い、月明りがキレイだったせい、となるべく自分に暗示をかける。

 そんな私の様子なんてまったく関係なく、クロ―ディアはゆっくりと肩をすくめて見せた。


「わたくしの方はとっても大変でしたのよ、ヴェンさまったらちっとも離してくださらないんですもの。やっぱり魔界の者の肌が一番とおっしゃってくださったわ」

「……はあ、それは、ようございましたね」


 そうとしか言いようがない。

 だって、本物のヴェンディは昨晩私のところにいたのだから。いったいどんな夢を見たのか、うっとりと『昨晩の思い出』を語る彼女が滑稽なような、かわいそうなような、でもちょっと面白いような、生ぬるい気持ちが胸に広がる。

 そんな想いが表情に出ていたのだろう、クロ―ディアが可笑しそうに肩を揺らした。


「たっぷりかわいがっていただいたので、わたくしまだ眠くって。もう少し休ませていただくわね」


 昨夜の記憶がお香による幻覚とは知らない彼女は、すっかり勝ち誇った様子で大きなあくびを見せつけるようにして手を振り去っていった。薄いローブ越しに見える尻は豊かでぷりっとしていて女の私でもうらやましい形だった。こんなのが自分の館といってうろうろしていたら使用人たちはちょっと困ってるんじゃないだろうか。いや、慣れてるか。


「あーいう尻、欲しかったな……」


 ぽつりとつぶやいたおっさんくさい独り言に、意外と自分がコンプレックスを持っているんだと気づかされる。こっちに転生して胸の大きなブロンド美人になれたと思ったものの、人間という種族の限界なのか全体に華奢な感じで、胸の大きさもスタイルも豊満という言葉が似あうクロ―ディアには及ばない。

 ああいう外見だったら仕事するときもナメられなくていいのかも、と今までの経理のもめごとや領収証をたたき返したときのことを思い出した。まあ、いまさらな話であるし、今ではすっかり『オニ』の異名をもらってはいるけど。


「ま、ごはん食べて考えよ」


 そう。まずは晩さん会を成功させて戦を回避、そして財政を立て直すのだ。私は大急ぎで食堂に向かうことにした。

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