第5話 ある夜、月の灯りに惑う②
――助かった。
盛大なため息をつきながら、私はベッドに倒れこんだ。使用人部屋の硬いマットとは違い、ふんわりとした羽毛だろうかやわらかいマットに体が沈む。体内からはドキドキとうるさい鼓動が、こめかみまで達してきたようでちょっと頭が痛かった。
「かわいかったー……」
凛々しい騎士の顔とは全然違う。こんなギャップを見せつけられたら、こりゃ女ならコロッと行っちゃうだろう。これが乙女ゲームとやらの世界ならばあの騎士団長も攻略対象になるに違いない。
いや、今の私だってコロっと行きかけた。でもすんでのところで踏みとどまったのは、ヴェンディのことを思い出したからだった。
そう。今頃は別の客間のベッドでクロ―ディアの肌と乳を堪能しているだろう、私の雇い主のことを。
思い出すと、ネットのいかがわしい広告と二人の姿が重なってしまって舌打ちをせざるを得ないが。
別に彼のことが好きだとか、そういうんじゃない。操を立てているとか、そんなこともない。
でもなんとなく、彼とのことが何にもはっきりしないうちに別の男とどうなるなんて、それこそ不誠実ではないだろうか。……あの魔王が誠実かどうかは置いといて。
分厚くやわらかい掛布団に埋まりながら、胸元にある石に触れる。この間、ヴェンディが贈ってくれた宝石だ。淡い緑色が私の髪色によく似あうといって首にかけてくれた。その時、愛しいとか、愛という言葉を並べていた彼の声がとてもむなしく耳に蘇る。
「……ヴェンディさまの、うそつき」
「心外だね」
え?
思いがけないほど近距離で、たった今想像していた声が聞こえて私は跳ね起きた。
上半身を起こして振り返ったその場所には――。
「ずいぶん私を呼ぶのが遅かったじゃないか、リナ。ベッドで待っていろと言ったが、いつまでたっても呼んでくれないから待ちくたびれて寝てしまいそうだったよ」
「ヴェンディ……さま……?」
ベッドに突っ伏していた私の隣で、いつの間に来ていたのかスーツを脱いで緩めたシャツ姿の魔王が艶然と微笑んでいたのだった。
「な、なんで、ちょっと、いつからっ?」
突然のことにびっくりしすぎてベッドから転げ落ちそうになる私を抱き上げ、ヴェンディは胸元の宝石を指さした。テリのある輝きは月明りの乏しい室内でもはっきりとわかるほど美しい。
「君が私を想ってこれに念じれば、どこへだってすぐに駆け付けられるように細工をしたのさ。どれほど遠くにいたとしても、これでいつでも君を抱きに行ける」
「へ……? な、なに? なにそのストーキング機能……」
「言わなかったっけね?」
そんなの聞いてない。聞いてたらもらってない。
激しく首を振るが、魔王はそんなことおそらく聞いちゃいないし見てもいない。ふわりとお姫様抱っこされたのちにベッドへ下ろされると、唇に彼のものがそっと触れた。
「今朝の続きをしようじゃないか。ベッドで、と言っておいただろう? 朝からじゃまばかりで、ずっとこの時を待っていたのに」
「待って、ベッドでって、あれ本気だったんですかっ?」
「本気に決まっているだろう。私が君の肌にやっと触れることができたんだよ、そのまま終わりにできるとでも思っていたのかい?」
「いや、待って、待って。じゃ、クロ―ディアさんはっ?」
覆いかぶさってこようとする魔王を両手で押し返しながら、私はあの豊満美女の名を出した。自分で言っておきながら胸が痛むのは、もうどうにもならない。夕方に屋敷へ着いて、既に何時間も経っている。どうせ大したデリカシーもないだろうから、その間に一戦交えてきたなんて言ったらぶっ飛ばしてやろうと思った。
しかし予想に反してヴェンディは困ったように首を振り、それがね、といたずらっぽく笑った。
「どうしても手料理を食べろと言うから部屋でまっていたんだけど、持ってこられたのは子どものころから不得手な野菜でね。調理法も従来のものと変わらないから、食べたように幻を見せてきたよ。ちょっとしたお香なんだけどね、昔からあの子にはよく効くんだ。今頃は気分よく夢の中じゃないかな」
「……ほんと?」
「本当だよ」
「なんにも、してない?」
自分でも信じられないくらい、拗ねた声が出た。ふふっと笑ってヴェンディが唇を寄せる。やわらかいそれが私の唇をふさぐとき、「してないよ」という声が振動で伝わった。
「私はリナを愛しているんだよ? リナに触れたくて今日一日ずっと我慢していたというのに、これ以上焦らさないでおくれ」
そういうと、ヴェンディは私の腕を自らの首に絡ませ体ごと覆いかぶさってきた。今度は私もそれを押し返さず受け止める。心地よい重みに驚くほどほっとする。
やわらかく押し当てられた彼の唇の隙間から、「愛しているよ、リナ」というつぶやきが何度もこぼれた。それに応じるように絡めとられた舌を伸ばし、彼の口の中をまさぐる。熱い吐息が混ざり合いそれがどんどん荒くなっていくが、ヴェンディも、もちろん私も、相手の舌を求めるのをやめようとしなかった。
何度も何度も、貪るようにキスをしながら、私は瞼を閉じた。
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