第4話 ある朝、新たな出会いに震える②
クローゼの報告に私は言葉を失った。
人間界との国境付近は結構その境目があいまいで、些細な小競り合いが絶えないらしい。そのもめごとの多くが、辺境の山沿いゆえの食糧問題だというのだ。
小さな狩りやすい動物は魔王領のものも人間界のものも狩りつくし、僅かな耕作可能地帯をめぐって諍いが起こり、もはやどちらの側から暴発し戦争になるかわからないという。
「戦になれば力の差は歴然。圧倒的に我が魔王軍が勝つでしょう。閣下御自らご出陣いただくまでもなく、我がクローゼ・スラフの騎士団だけで十分対処可能です。ただ」
そう言葉をきったクローゼの視線の先には、すっかり青ざめた魔王の顔があった。長らく平和(?)であったこの魔王領で、戦の火種があるということに慄いているようだ。
対するクローゼという騎士団長は思慮深く言葉を選び、時折話に置いて行かれそうな私にも配慮するように要点をまとめてくれる。
しかし淡々と語られるそれが彼の地の緊迫した様子を際立たせているように感じられた。
「こちらが大勝した場合は人間界からの勇者が派遣されてくる恐れがあります。となるとその際はご出陣いただくか、あるいは勇者派遣の前に人間界の王と会談の場を設け領地の取り決めなどをはっきりさせていただく必要があるかと……」
「戦、か……」
あからさまに震え声のヴェンディはそれでも何とか言葉を絞り出した。
この人は勇者が怖くて人間界へ侵攻しない魔王さまである。戦争になること自体望んでいないだろう。クローゼもその点については理解しているようで、強硬に攻めるという姿勢では話していない。
しかし神妙な面持ちの男性二人に対し、挑発的な表情を浮かべているのがクロ―ディアだ。彼女は口元に手を添え、ふふっと可笑しそうに笑った。
「ヴェンさまに代替わりなされてから大きな戦はすっかりなくなって、人間どもはこちらを甘く見てますわ。対する魔王軍は訓練の時間をたっぷりとっておりますので、練度の差は歴然」
この際ですし、と一同へ視線を走らせる。
「人間界が勇者を送り込む時間の隙を与えず、一気に首都まで攻め落としてしまっては?」
「それは」
「我等がスラフ家の騎士団に、魔王直下の軍勢で総攻撃を仕掛ければ人間などひとたまりもありませんわ」
「……しかし、長く戦をせずに均衡を保っているのだ。人間たちも生きるのに必死なのだろう。なんとか穏便に」
「済ませられようはずもありません。すでに国境付近では諍いが絶えないと申し上げましたでしょ? このままでほうっておけば逆にこちら側へ侵攻されてしまいますわよ」
「クロ―ディア、控えよ」
「他の魔王領から我が閣下がどのように揶揄されているか、ご存知ないわけではないでしょう。ご麾下の軍団長も、長らく戦もなく磨いた武を持て余しております。これは由緒ある血統の魔王たるヴェンディさまのお力、他領へ見せつけるまたとない機会と存じます。ご命令とあればこのクロ―ディア、配下を連れてすぐにでも出陣いたしますわ」
クロ―ディア、とその兄が鋭い声で制止する。当の彼女は涼しい顔をして悪びれた様子もない。ただ目の奥の光は、さっきまで艶然と微笑んでいた美女のものではなく、燃え滾る炎のようにぎらぎらしたものに変わっていた。
魔女――。
唐突に思い浮かんだ言葉にピッタリだと思ってしまった。
私には彼女の実力なんてとんとわからないけど、ここまで自信をみなぎらせるんだから魔王軍の中でも相当な力があるに違いない。騎士団長の妹というおまけポジションだと思っていたら大間違いってことか。
唐突にその炎のような瞳がこちらに向いた。引っ込んでろ、と明確ににらみつけられる。
いわれずとも話の規模が大きくて、ついていけてる自信なんて無いんだけど。
「まあ待ちたまえクロ―ディア。君の力はちゃんと分かっているし戦意は尊重するが、戦となれば双方に被害がでるだろう? いくら戦力に差があろうとこちらも無傷とはいくまい。美しい君に万が一にも傷を負わせたくはないし、美しい我が領土やその先の山々をいたずらに乱すことは、私はしたいと思わないんだ」
「わたくしへの心配などご無用ですわ」
「そうはいかない。君のその人形のようにしなやかな指、宝石のような爪。そしてやわらかく滑らかな肌に傷の一つでもついてみたまえ。この魔王領にとってどれほどの損失か。君に焦がれる男たちは嘆き、私は後悔の嵐に飲み込まれて自害してしまうかもしれない……」
「そんなっ……」
よくもまあいけしゃあしゃあと。要するに戦争をしたくない、というのをあれやこれや言葉巧みにごまかしている姑息な魔王に、私はちょっと、いや盛大に呆れながらお茶をつぎ足した。
「戦は結局は双方が疲弊するんだよ。私はできることならばお互いが幸福に暮らせる道を選びたい。美しく、頭のよい、優しい、そして私の愛する君なら、私の気持ちも分かってはもらえないだろうか」
「……ヴェンさまなんてお優しい!」
ふーん。
一気に白けて私はかすかに鼻を鳴らした。態度に出すのもバカバカしくなる。彼にとっての「アイ」は、なんて都合よくいろんなところに向けられるんだろう。こないだも、今朝も、熱っぽい表情で私に「アイ」を語っていたが、あれだって都合の良い、女にいうことを聞かせたいときのセリフの一環なんだろう。
そう思うと、我ながらびっくりするくらい胸にざっくりと何かが刺さった、ような気がした。
しかしおそろしく耳障りの良いヴェンディの言葉にすっかり惑わされて、あれだけ強気だったクロ―ディアの瞳の炎は一気に消火されてしまったようだった。はらはらときれいな涙をこぼしながら、兄をまたいでヴェンディの胸へとその身を飛び込ませる。それを軽々と受け止めた魔王さまの表情が一瞬だけ変わったのを私は見逃さなかった。
心底ほっとしたような、そんな顔だった。
それを見ると胸の痛みは強くなったが、いくらか気が楽になった自分がいるのも確かだった。理由はなんであれ、戦争っていう物自体は良くないと思うしヴェンディを無駄に怖がらせたくない。
しかも戦なんてやった日には、いくら城のお金が吹っ飛ぶのか分かったもんじゃないから。
「しかし閣下、ご出陣されないとなると国境の紛争はどのように解決されますか?」
「王と会おう。クローゼ、君の館で手配を頼めるかい? 晩さん会に先方を招待する形をとろう」
「御意。食事については我が屋敷の料理人に腕を振るわせましょう」
「わたくしもヴェンさまのお食事を支度しますわ」
ふふん、とクロ―ディアが胸を張る。
「幼いころからヴェンさまとお食事をしてますから、お好きなものはすべて把握しておりますもの」
「それは楽しみだ」
「こんなこと、新参の方にはおできにならないでしょ?」
「……はあ」
重要な外交の場である晩さん会に出す料理でマウントを取られるとは思わなかった。不意打ちに気のない返事を返してしまい、クロ―ディアにクスリと笑われた。
そんなこといったってなあ、とこちらの料理を思い浮かべた。
城に勤める厨房長があのレベルの料理の腕だとすると、騎士団長のおうちの料理人も同じような料理をだすのではないか。であれば、と肉は塩かけて焼いただけ、野菜は煮ただけ、というものが出てくるのだろう。
それは、ひょっとして、ちょっとうまくないんじゃないだろうか。
料理のマズさで交渉が決裂するなんて大人げないことにはならないと考えたいけど、ひょっとすると、ひょっとするかもしれない。
……まあ、人間の側だってどっこいどっこいのマズ飯かもしれないけど。
メニューに対しては少し相談をした方がいいのかもしれない。あとは王という人や人間界がどんな風習をもってどんな儀礼があるかなど、ちょっと調べたほうがいい。
「そうそう、実はつい今朝がた、とてもおいしいものを食べたんだ。人間の王もきっと喜ぶだろうというものをね」
私が声を上げようとしたとき、急にね、とヴェンディはこちらへウインクをして見せる。その腕の中にはまだ黒髪の美女を抱えてむっちりと豊満な胸を押し付けられていたままなのだが。
「……え」
「リナが開発したレシピだよ。おいしいものは気分を穏やかにするからね。会談もうまくいくと思うんだ」
「いや、開発したってほどのことでは……」
「あんなに野菜をおいしいと思って食べたのは初めてさ。きっと人間の王も気に入るだろうし、もしかするとリナはもっと素晴らしいレシピを開発できたりするんじゃないのかい?」
「閣下が野菜を?! リナ殿、それは本当ですか?」
「え、ええ……まあ、ちょっと味付けを変えまして」
「味付けだって? たったそれだけで?」
「そうさクローゼ。君も食してみるといい。きっと驚くよ。ねえリナ、城にあるもので何か他にびっくりするような料理を作れないものだろうか。彼等も食べてみればわかるだろうし」
にこやかに無茶ぶりしてくる魔王に二の句が継げない。単純なマヨネーズとカッテージチーズを伸ばしたソースくらいで過大評価もいいところだ。他にちゃんと覚えている調味料や料理法なんて、たかが知れてる。
おまけに彼の腕の中ではクロ―ディアがすさまじい形相に変化していく。めらめらと燃える瞳の炎は、さっき戦に対して燃やしていたものとはまた別途の色を漂わせていた。
「それは是非お願いしたい。閣下の偏食が晩さん会の際に人間の王にバレたら目も当てられません。威厳もなにも台無しになるとそこだけが心配だったんです」
男前の騎士団長は丁寧な態度だったけど言ってることは絶妙だ。確かにヴェンディの極度ともいえる偏食が晩さん会でバレたら、魔王の威厳もくそもない。人間の側からしたら、魔王おそれるに足りず、と思われてしまうかも。
結果、戦になったらと思考が飛ぶ。
仕方ない。
「承知いたしました。まずは本日の朝食のメニューをこちらへお持ちいたします」
私はしぶしぶそう言って頭を下げると、厨房に連絡を入れた。
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