第2話 ある夕方、サプライズに戸惑う ③
ヴェンディの魔王城は魔族の世界でも比較的平野部に建てられており、領地では軍属ではないモンスターたちも多く生活している。平地なので農業もそこそこ盛んだし、城下にはたくさんの工房もあって武器や防具だけでなく生活雑貨もたくさん作られている。
城は街のおよそ真ん中。魔王であるヴェンディの居城でもあり、そしてその麾下である魔王軍の職場でもあり、そして雇われ事務員の私の住処でもあった。
ナナカの言っていた裏のテラスとは、地下三階、地上五階建ての城の中の三階に位置する。山を背にする領地の北側を一望でき、良い風が吹くから北向きでも洗濯ものがよく乾くといって忙しい侍女たちがこぞって干し物に来る場所だ。
私は石造りの階段室からテラスへ出てあたりを見渡した。たくさんの白いシーツやシャツなどがひらめくそこは、なんだか転生前にみた洗濯洗剤のCMのような懐かしさとさわやかさがあふれていた。
そのはためくシーツのかげになるように、黒い塊が見えた。
洗濯かごなどの一時置きになるだろう樽の上で、三角すわりをしながら黄昏ているヴェンディだった。
背を向けているので表情は分らないけど、マントにくるまって小さく座る姿は普段の飄々とした雰囲気とはかけ離れている。いつも背中の高い位置にしょっている羽も、こころもち下がっているようにも見えた。
「……ヴェンディさま」
意を決して声をかけると、彼の肩がびくっと跳ねた。
「こんなとこで何してるんですか。お仕事まだ残ってますよ」
ぐすっと鼻をすする音がした。
振り返らない背中に、構わず私は深々と頭を下げた。普段とはあまりに違い、元気をなくした彼に少なからずショックを受けたからだ。そこまで傷つけてしまったからには、平身低頭謝罪するしかない。
「あの、さっきはすみませんでした」
返事は無い。
「ヴェンディさまには生活の面倒も見てもらってるというのに、頂き物にお礼も言えないばかりか突き飛ばして逃げるとか、大変申し訳ありません」
ネックレスありがとうございました、と続けると、背を向けていたヴェンディの顔がようやくわずかにこちらを向いた。
「……気に入らなかった?」
「そんなことないです、とてもキレイで、私、緑色大好きなんですけど、その、きれいすぎてちょっとびっくりしちゃって」
「びっくり?」
「はい、こんな素敵なもの、私もらったことなくて、突然すぎて」
「気に入った?」
そういって振り返った彼の赤い瞳は潤み、まだ少し鼻声だった。でもその涙に濡れた瞳はまるでガーネットのように美しい。見つめられると、ぞくぞくと嗜虐的な高ぶりさえ覚えるかと思えばなんでも言うことを聞いてしまいたくもなる。
黙っていれば彫刻のように冷たく鋭利でそれでいて蠱惑的な風貌の彼の、こんな表情を見られる者はいったいこの世にどのくらいいるのだろう。
吸い寄せられるように、彼の瞳から目が離せなくなっていた。
「……はい、とても」
彼の瞳に促されるまま、私は頷いて肯定した。そして良かったと微笑んだ彼に近づき膝まづく。
すると、目の前が真っ暗な闇におおわれた。
「……なっ!」
「黙って」
驚いて身を固くした私の耳元で、ヴェンディが低くささやく。思いもかけないほど近くで聞こえるそれは、吐息とともに私の耳たぶをくすぐった。
私を覆った闇が彼の漆黒のマントと羽だと気が付いた時には、すっかりヴェンディの腕に抱きすくめられてしまっていたのだ。
「ちょっと……何するんですか……」
セクハラで訴えますよ、という私の言葉は暗闇の中あたたかく、やわらかいもので塞がれた。わずかにあいていた唇の隙間はぬるりとした生暖かいものにこじ開けられる。
キスだ、とわかっても抵抗できなかった。逆に、あろうことか私は自分の腕をヴェンディの首に絡ませていた。
「んっ……ふ……」
ヴェンディに上唇を吸われながら彼の舌に口内を蹂躙されると、私の口からは自分の物とは思えない声が漏れる。例えようもない羞恥が脇がってくるけど、手足に力が入らなくて逃げようもない。しかも意思とは無関係に、私の舌はヴェンディの舌の動きに応えているではないか。
ぴちゃぴちゃと、唾液が混ざり合う音が一層私を高ぶらせるのが分かる。
マントに視界を奪われていて、相手の顔が見えないのがせめてもの救いだった。
何度お互いの舌を吸いあったことだろう。
いよいよ呼吸が苦しくなってきたころ、ようやくヴェンディの唇が離れた。
同時に二人を覆うようにかぶさっていたマントがはずれ、視界いっぱいにヴェンディの上気した美しい顔が広がる。
その向こうには、少し日が傾いた青い空。
「あ、あの……」
彼と目が合うと、とんでもなく恥ずかしい。今更ながらじたばたと手足を動かして彼と距離を取ろうと抵抗する。しかしにこやかに微笑むヴェンディの腕は私に絡みついたままで、一向に離れようとしない。
「ちょ……離して……お願い」
ついに懇願してしまった私の鼻先に、魔王や軽く鼻を寄せた。恋人同士のようなしぐさに思わず息をのんでしまう。
こんな(黙っていれば)美形と、こんなことになるなんて。口づけの感触がよみがえり、気恥ずかしくて悶えそうだった。
でも、それは決してイヤな気分ではなく、むしろ――。
「気に入ってもらえたようで良かったよ、愛しい人」
「う、嬉しかったから……大事にするから……離してくださいっ」
「僕もうれしいよ。こんなに熱烈なお返しをもらえるなんて思ってもみなかった。これなら、次のプレゼントはもっといいお返しがもらえること請け合いだ」
「へ!?」
さあ、とヴェンディが立ち上がって私を抱きかかえた。その朗らかすぎる笑顔に、悪い予感がふつふつと湧き上がる。
この表情は、見たことがある。
「実はさっき、レイクポーラーのほとりにある別荘を買ったんだ。こじんまりして安かったからね。今度の休みには二人で行って、ゆっくり過ごそうじゃないか」
「別荘!?」
「傍仕えも侍女も最低限で、二人水いらずで愛し合えるよ。楽しみだね、リナ」
「ちょっとまって、別荘!? 別荘って言った!? それいくらしたんですか!」
「ん? 小さなところだからずいぶんと安かったんだよ。今週中に掃除をさせておこう。きっと君も気に入るはずさ」
「別荘って、別荘って……!」
ネックレス程度ならまだ職人さんのためとか、経済のためとかわかるけど、別荘って。
お姫様だっこされたまま、私は自分がプルプルとわなないているのが分かった。
いくら領地内の経済のためとはいえ、別荘って、別荘って……。
やっぱりこいつ、分かってない。領民のためとかそういうこと全然考えてない。
ぶちっとこめかみあたりで何かがキレた気がした。
また無駄遣いしてー!
――という私の叫びが、夕暮れが近づく空に響き渡った。
城に停まっていた鳥たちが一斉に飛び立ったというのは、あとから聞いたナナカからの話である。
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