第2話 ある夕方、サプライズに戸惑う ①
「旅行命令(伺)が回ってきてますけど、今回はどちらへご出張ですか?」
「ちょいとグリンクツのほうにね、いい石材や鉱石が採れるって噂の鉱山があるらしいんだよ」
ちょっと小柄なコボルトのボー・イーツさんが犬のマズルそっくりの鼻をひくつかせて言った。つんつんしたヒゲがその動きに合わせて揺れる。
「そこに視察に行きたいんだ。値段の折り合いさえつけば原料として買い付けて、武器や魔石の増産に回そうかと計画を」
「用務内容は承知しましたけど」
私は一回言葉を切った。そして書類をずいっと突き出し、日程と書かれた欄を指でつつく。
出張期間は明日から三日間。帰着は夕暮れ前とある。
「なんで二泊三日なんです? グリンクツって、確かここから歩いて行っても二時間かからないとこですよね。馬を使えばほんの数分で行って帰ってこれるとこ」
う、とイーツさんの声が詰まる。彼のぎょろりとした大きな目が、微妙に揺れ動いた。
「視察もなにも、そもそもグリンクツからの資材はここ、魔王城を経由してドワーフ集落へ輸出されてる聞いてますよ。わざわざ視察せずとも、営業さんとの打ち合わせで済む話では?」
「あ、えー、っと、その、新しい鉱脈を掘り当てたって営業のモーリーさんが言ってたんだよ。実物をちゃんと見てから工房に話を持っていきたくてだね」
「じゃあ、日帰りでも可能ですよね?」
二泊も何しに行くの? と言外に追及をする。
彼の言うグリンヒルの鉱山は、魔王城の西にある山に近い丘にあるということは、物流の計画を立てるときに地図で確認済みだった。鉱山の近辺は湧き水も豊富にあり、魔王ヴェンディの領地における大切な資源となる土地だ。
そして鉱山というのは、地下で膨大なエネルギーが眠っている地域ということで、湧き水となる地下水も豊富なその場所はいわゆる温泉地でもあり――。
「温泉宿のご宿泊は、私費でお願いしますね?」
「な、なぜそれを……!」
「バレバレです」
額の毛を逆立てて狼狽するイーツさんに私は出張書類を突き返した。
彼が近頃とみに腰が痛い腰が痛いと言っているのは、魔王城では有名な話である。コボルト族の中ではそこそこ高齢の彼が湯治や療養をしたいというのは、年齢や体の負担からいって当然ともいえる。来るべき「人間界への侵攻」のために万全の体調を整えてもらいたいので、療養につとめてもらうのは全く問題ない。
しかしだ。
「虚偽の旅費申請、いわゆるカラ出張については認められません」
「カラ出張じゃないだろう……視察にはちゃんと……」
「往復のバス代と、既定の日当の手続きはしますよ。けど」
私はまだ何かゴネたそうなイーツさんのぴんと立った立ち耳に顔を寄せた。
「……こんな近場でお泊りになると、奥様にバレますよ」
「……え!?」
「アイリーンさんと行くつもりなんでしょ? 彼女、急に年休の申請したっていって、厨房長さんから苦情が来てますよ」
ね、と念を押すと彼の顔色が横から見ても、そしてごわごわの被毛の上からでもひどく変わっていったのが分かった。耳は垂れ、ひげのハリもなくなっていくと、イーツさんは年相応よりずっとしょぼくれた風体になる。
城に勤めるコボルトの中でもまだ年若くいくらでも出世株が狙えそうなアイリーンが、なぜこんなおじーちゃんに片足突っ込んだイーツさんと不倫するのかよくわからないけど、人の好みにはとやかく言うまい。
私はただ、経費で不倫旅行に行かせたと後ろ指刺されなければそれでいい。
そもそも、二泊の旅費なんてほいほい出せる財務状況ではないのである。
「な、な……」
「知らないと思ってるの、イーツさんとアイリーンさんだけです。奥様に叱られる前に、火遊びはおやめになったほうがいいですよ」
私はペンを手にとり、出張期間の日付を書き換えた。もちろん日程は日帰りだ。
どうぞと書類を返すと、イーツさんはとぼとぼと事務室を出て行った。まだ行く気があれば、書類をまた彼の上長が受け取って決済に回すだろう。
そしたらその時は日帰りの旅費を清算して、と頭の中で手続きのシミュレーションをした時だ。
がたっと背後で椅子が倒れる音がした。
振り返るといつの間に部屋へきたのか、魔王、ヴェンディが心底びっくりした顔をして突っ立っている。
ぱくぱくと言葉もなく動く口は、おぼれた金魚のようである。キレイな顔が台無しな、とても間抜けな表情だ。
「どうかされました?」
私は倒れた椅子を直し、ヴェンディにお茶を入れるためにポットを手に取った。
「あ、あ、アイリーンはイーツと付き合ってたのか!? なんだってあんなしょぼくれたオヤジに?」
「ああ、ご存知なかったんですか? 割と最近デキたみたいで、お花畑になってるアイリーンが仕事に集中してなくて厨房から苦情が来てるんですよ」
「いや、だって、アイリーンはまだ十九くらいだろ? イーツはもう四十も後半の――」
「まあ、どうしてそうなったかは知りませんけど」
でも、でも、とまだ新事実に興奮が冷めないヴェンディを椅子に座らせ、私は暖かいお茶を彼の前に置いた。
「他人の色恋の好みは外野には分らないものですしねぇ。意外とイーツさんが若い子の心をくすぐる何かを持ってるのかもしれませんね」
「なるほど……」
「ところで、ヴェンディ様はなんでここに?」
「おお、そうだった」
ヴェンディは神妙な思案顔はぱっと消し、いつもの艶やかな微笑みを浮かべた。そして彼の腕が私の肩に回され、ふわりと抱き寄せられる。
「ちょ、っと、何するんですかっ」
「麗しの我がセクレタリ、リナに会いに来たに決まっているだろう? 今日も君は美しい……血と暴力のにおい渦巻く我が魔王城に咲く一輪のエーデルワイスよ」
「エーデルワイスってめっちゃ小さくて目立たない花なんですけど」
「何を言う。清廉で純潔の象徴じゃないか。まさしくリナ、愛しい君にふさわしい」
大真面目に歯の浮くようなセリフを並べる魔王だけど、実際のエーデルワイスを見たことはあるんだろうか。
私は中学生のころに見た図鑑にあった、小さく細い花弁の写真を思い浮かべた。
すると、ちゃりんとかすかな金属の触れる音がした。と同時に、首元にひんやりとしたものが触れ、僅かに体が跳ねる。
胸元に目をやると、そこにはつい今しがたまで無かった淡いグリーンの宝石がついたネックレスがぶら下げられていた。
正直に言おう。
とてもきれいで、私好みの石だった。
ヴェンディがこれを選んでくれたということが、なぜか背中がくすぐったくなるような、でもちょっと胸が温かくなるような、不思議な気分がこみ上げる。
しかしだ。
私は浮足立つ気持ちを抑えてじろりとヴェンディをにらみつけた。
「なんです、これ」
「愛しい君にはこの美しい宝石がよく似合うと思ってね」
「こんなの受け取れません」
「遠慮することは無い。私からの愛のしるしだよ。こんなもので表せるほどではないけどね」
「これ、どうしたんですか?」
「もちろんジュエリーデザイナーにオーダーしたさ」
「……おいくらしたんですか?」
「そんな無粋なこと聞かないでおくれ愛しい人。宝石の輝きを見てごらん。君もきっと気に入るはずさ」
一人悦に入る魔王は、私の頭の上で恍惚とした表情を浮かべていた。
また性懲りもなくカードで買ったに違いない。
人があくせく節約して財務状況を修正しようとしているのに、その苦労をすべて台無しにする行為ということが何度言ってもわからないらしい。
くそう。と思った。
あったかい気持ちになった自分を猛烈に蹴り飛ばしたくなる。
自分で自分を蹴り飛ばせない代わりに、私は両腕に目いっぱい力を込めて魔王を突き飛ばした。
ヒト型で華奢な魔王は、椅子ごとよろけて床に倒れる。いきなりのことでびっくりしたんだろう。呆然とした彼の顔を見ていると、むかむかした気分に拍車がかかった。
「人が苦労してこの城の財政を立て直そうとしてるの、なんでわかってくれないんですか! こんなものに無駄遣いして! ヴェンディ様のバカ!」
大声で叫ぶと、私は事務室を飛び出したのだった。
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