悪役令嬢に転生できたと思ったら魔王城の雇われ事務員で魔王様に溺愛された件

第1話 ある昼、腕まくりをして叱責する

「こちらの領収証、但し書きが品代となってますけどこれ何買ったんですか?」


 魔王城のとある一室で、私は差し出された一枚の紙を指さした。

 自分で見てもほれぼれするほど美しい所作だった。

 白い指に乗るすらっと伸びた形の良いピンク色の爪が、紙面の一部を強調する。


 あて名は「上様」。金額は5800ギル。発行元は魔界5丁目の雑貨屋だ。

 シャツの袖をまくって腕組みをして見せると、相対した大型のトカゲのような生き物は目を泳がせた。

 口の端からちろちろと細く赤い舌が覗き、苦手な人が見たらこれは悲鳴を上げて卒倒するんじゃないかと思う。


 しかしあいにく私は爬虫類も、両生類も、昆虫類も問題ない。

 子どものころのペットは近所の沼から拾ってきたサンショウウオだ。

 それが大きくなったところで、ちょっとかわいさが目減りした程度で恐怖を感じることもない。


 フチなしメガネの端っこに垂れた金の髪をかき上げて、私はトカゲをじろりと見上げた。

 視線を固定したまま私がうんともすんとも言わないせいか、徐々に挙動不審になったトカゲはやがておずおずと口を開いた。


「え、えーーっと……歯に仕込んでおく、火薬……」

「それ、ついこの間1kg袋をダースで買いましたよね」

「そ、そうだっけ……?」

「一回の出撃で使用するのは300gと申請書にあります。サラさん、タイムカード確認したところ、今週は3回の出撃ですね。火薬、そんなに使いました?」

「い、いやぁ、今週は少し使いすぎちゃった気がしたんだよね……」


 しどろもどろになりながら、カウンター越しで火トカゲの隊長――サラマンダー隊のサラが頭をかいた。

 いつもは赤黒い彼のウロコが、冷や汗をかいているのかほんのりと白っぽい。


「であれば火薬使用簿にちゃんと記録をしてください。あと但し書きが品代の領収証は認められません。ちゃんとしたものを再提出していただくまでこちらの処理は保留です」


 ぺしっと領収書もどきをカウンターにたたきつける。

 余計な出費は認めない、という強気の姿勢を示すと相手は恨めしそうな目をしながらもしょぼくれて引き下がっていった。

 一連を見守っていたのだろう、ドアの向こうから顔半分だけ見せていた小さなトカゲたちがヒソヒソしながらサラの後を追いかけていく。


 また厳しく突き返してしまった。

 でもしょうがないじゃない。

 私は頭の中で予算残額表を思い浮かべる。

 今月の支出に関するギリギリラインを計算しつくしたその残額は、余計な出費を1ギルとて見逃せない。


 だってすでに年度当初から大赤字決定状態だったのだから。


 私は逢坂里奈。

 ついこの間、自宅で喘息発作で死んだらしい。

で、すごい突風に吹き飛ばされたかと思うと、よくわからない光のトンネルへと突っ込まれたのだ。

 そして頭の中に響くゲーム音楽のようなものを聴きながら、いま巷で大流行りの「転生」というものをした。


 普段ゲームはしないけど、女性が転生する場合はよくウェブマンガ広告で見かける「悪役令嬢」になるんだろうと、何となくそう察していた。

 破滅フラグが立っていて地位はく奪を宣言されるシーンのあたりから始まるらしいから、いかに破滅ルートを脱却するかがキモと聞いていた。

 どうやって切り抜けようかいろいろシミュレーションしながら目を覚ましたら、やっぱり異世界の部屋で、こりゃマジだと覚悟を決めて起きたのだ。


――ところがそこは王宮でも舞踏会の控室でもなかった。


 無骨な石造りの部屋、簡素なベッドにちょっとごわつくリネンのシーツ、灯り取りの窓は天井近くにほんのちょっぴり。

 すわ、既に分岐ルートを通り越して監獄に入れられちゃってんのか、と飛び起きたのは早三か月前。


 壁に取り付けられた鏡に映った姿は、転生前とは似ても似つかぬブロンド美人だった。

 つるんとした白い肌に、桜に似た淡いピンクの瞳。

 質素な生成りのチュニックから覗く首は吹き出物一つなく、たるみやしわとも無縁そうなハリがあった。


 誰だこれは、と自問したのはほんの一瞬。

 美人になれた、ラッキーと思ったのも一瞬。


 これは確実に破滅ルート決定後だ。

 これは確実に死刑や追放、幽閉コースだと恐れおののいた私は慌てて無実を訴えるために部屋のドアをたたいたのだ。


 しかし、結論から言えばそこは破滅ルート決定後の監獄ではなかった。

 そもそも王宮でもない。


 そう。ここ、魔王城だったのだ。


 いや、幸いだったのかはちょっと置いておこう。


「おー、さすがだな、リナ」


 背後で悠長な拍手が上がる。

 少しイラっとしながら、私は拍手の主――いや、正直に言うと雇用主を振り返った。

 私に支給されたデスクに腰掛け、高級そうなスーツに身を包み優雅に手をたたくそのイケメンは私と目が合うとにこりとほほ笑んだ。

 絹のように細い漆黒の髪を緩く束ね、陶器のように白く滑らかな肌に赤い唇と瞳が蠱惑的な表情を浮かべている。

 その美しい顔をした人の背には大きなカラスのような羽が生えていて、折りたたまれたそれはさながら闇夜のマントだ。


 そう、彼こそがこの私の雇用主。

 魔王城に君臨する「魔王」ヴェンディだった。


 なぜ転生した私がここで働いているかといえば、すべてこの人(?)の機転によるものだった。

 ほっといたら迷い込んだ人間として殺されるところ、なぜか城の事務員として雇用してくれた点には非常に感謝している。

 しかしだ。

 私を簡単に雇ったところからして、この人は何に対しても寛容でどんぶり勘定だったのだ。


「すっかりオニの事務員として評判だぞ。厳しく節約させすぎじゃないか?」


 ヴェンディは長い足を軽く組み、デスクの未決済箱に突っ込んでおいた領収証の束を無造作にめくる。

 今週は彼の持つそれの軽く5倍の量の役に立たない紙切れを突き返したっけ。

 いったいそれが誰のせいだというのか、こいつはわかっていないらしい。

 私は大きくため息をついて見せた。


「誰がオニですか。今までが節約しなさすぎたんですよ。あなたの無駄遣いも含めて」


 ちくりと言ってやろうと思っていたことが、結構ストレートに口を突く。

 ヴェンディの着ているものはすべて魔界屈指のデザイナーによるオーダーメイドだ。

 そりゃ魔王様だから多少の見栄は必要だろうけれど、財政状況をみたらとてもそれは身の丈に合っていないと言わざるを得ない。


「つい一昨日もまた、なんか私の部屋にドレスが届いていたんですけどあれまさか経費で落とそうとしてないですよね?」


 てへ、とヴェンディは舌を出す。

 イケメンはかわいいしぐさをしても似合うんだ、ということはこの魔王城に来て初めて知った。

 でも今それはタイミング的に逆効果だと思う。


「なにやってんですか。不要だといいましたよね? 事務員として仕事するんです。ドレスなんてヒラヒラしたものは邪魔ですから着ませんよ。返品してください」

「待て待て待て。この私直々のプレゼントだぞ? 私のそばに侍る君にみすぼらしい恰好をさせておけないじゃないか。それに返してしまってはブティックも気を悪くするだろう」


 黙って立っていたら、いや多少口を開いても優雅な貴公子然とした魔王は鷹揚に微笑んで見せた。


 だめだ、鷹揚すぎる。

 もともとおぼっちゃまなのか、この魔王はお金に執着がない。

 欲しいものは買うし、配下が欲しがるものは基本的に与えてしまう性分らしい。

 裕福な財政状況ならそれは配下の士気を上げるだろうし、悪いことではないのかもしれないけど状況がそれを許さないというのが分からないのか。


 私はさらに語気を強めた。


「誰が侍ってるんですか。私はあくまで事務員ですから不要です。それと今朝ゴーレムのおじさんたちが自分たちにあうサイズの甲冑を全員分揃えたいといっていたのをOK出したそうですね。どこに全員分揃える予算があるんですか。却下です」

「何を言う。わが軍が人間界を脅かし存続するための必要経費だろう」

「阿呆ですか? 財務諸表見てます? あんたがそんなんだから部下がテキトーになっちゃうんですよ。そのために私に支出見直しを依頼してるんでしょ?」

「しかしだなー、こうも締め付けると魔王軍としての威厳が……」

「そんなことは人間界の城一つくらい堕としてから言ってください!」


 しまった言い過ぎた。

 しかし口から出た言葉は取り消せない。

 飛び出した言葉の弾丸は真っすぐ魔王の胸を貫いてしまったのだろう。

 高そうなシルクのシャツの胸元をわしづかみにし、うっと一声うめいた魔王はちょっぴり涙目になっていた。


 そう、この魔王ヴェンディとその魔王軍は現在のところ、いや聞いた話によると発足後一回も人間界への侵攻を成功させたことがないらしい。

 その理由はというと。


「だって人間怖いじゃないか! 攻めたりしたら勇者とかがこっちに攻めてくるんだぞぉぉぉ!!!」


 と、心優しい鷹揚な魔王はべそをかきながら事務室を飛び出していった。

 どうやら彼の言い分は本当にそうらしい。

 彼はとても繊細なのだ。


「……あっちゃー、言いすぎた」


 わしわしと頭を掻く。

 流していた豊かな金色の髪が手の動きに応じて揺れ、わずかな束が顔にかかった。

 あとで甘いお茶でももって様子を見に行かなきゃ。


 数時間後。

「リナがまた魔王様を泣かせた」と城内で噂になり、私の「オニ」の名声が上がってしまったのはいうまでもない。

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