第62話一八二七年、博徒討伐と殺人経験一

「巫覡殿、東照神君の御告げに従い、最良の手段をとってくれ。

 幕府の大老参与として余の後見人として、全権を預ける」


 俺は、甲府と関八州の博徒を討伐することにした。

 甲府は甲斐の国、関八州は相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野の八カ国の事だが、恐ろしく治安が悪くなっている。

 博徒と呼ばれる連中が良民を博打に誘い込み、田畑家屋敷を奪い、女房子供を身売りさせ、悪行の限りを尽くしている。


 前世に書いていた小説同様に、家臣達の実戦訓練を兼ねて討伐することにした。

 試合で個人の戦闘力は確かめているが、実戦での指揮能力は、実際の戦いでしか証明のしようがない。

 そして道場剣術ではなく、実際に人を殺す経験をしていなければ、いざ戦いの場になって人殺しができるかどうか、前世の経験では分からない。


 だから、本来なら本能寺の変を教訓にして城の奥深くに籠り、そこから指揮をすべきなのだが、あえて総指揮官が最前線に出るという愚かな事を、俺は断じてやることにした。

 城の奥深くに籠りそこから指揮をするというのは、戦場の情報を逸早く知り即座に命令を伝える事ができるという前提条件があってこそだけどね。


 だがそれ以上に大切なのは、命の重みを知ったうえで、殺す決断ができる事だ。

 前世の戦後日本の教育を受けて、反社に属すような事もなく、マス塵に属して言論私刑に加わる事もなかった俺は、人を殺した事も自殺に追い込んだこともない。

 だから人殺しを経験しておくことにした。

 前世の肉親や友人知人に知られたら、軽蔑されるかもしれない。

 だけど、最後の最後に、この手で人を殺せるかどうかで、生き延びられるかその場で朽ち果てるかの、そんな瀬戸際に追い込まれる可能性もある。


 まずは犬追物を経験することにした。

 犬追物とは騎射三物の一つで、四十間四方の平坦な競技場を準備して、そこに百五十匹の犬を放ち、十二騎一組が三組で犬を殺さないように犬射引目と呼ばれる特殊な鏑矢で犬を射る競技だ。


 単に当てればいいという競技ではなく、騎射の技や犬のどこに当てたかによって点数が違っており、所定の時間内に点数の高い技で点数のいい犬の部位に当てなければいけないのだが、かなり難しかった。


 それに、本当の目的は犬を射殺すことにあった。

 人殺しをする前に、犬を殺して、殺しに慣れておく必要があった。

 だが、どうしても犬を殺すことができなかった。

 前世では犬を飼って可愛がっていたから、できなかったのだと思う。

 食材にする魚は簡単に殺すことができたし、鶏も絞めることができた。

 だが犬はどうしても殺すことができなかった。


 こんな事で人間を殺す命令が出せるのかと、暗澹とした気持ちになったが、開国を迫る欧米列強と戦う覚悟でいる以上、やるしかない。

 薩摩藩を追い込むときには、多くの薩摩藩士とその家族を殺す覚悟だった。

 実際に命を奪う場にはいないで、後方で命令を下す事で殺人を犯すのは、卑怯だと思ってしまうのだ。

 一度くらいは実際に人を殺して、命の重さと罪の大きさを感じておかないと、俺は平気で大量殺人を命じてしまう極悪人になってしまいそうだ。

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