普通
春嵐
普通
最後は、決まってこうなる。分かっていた。
普通の人間は、どこまでいっても普通。彼女のスカートが風に揺れる。
「ね、だから、友達のままで」
友達って、なんだ。
好きだという気持ちが、こんなにまで軽く、意味のないものなのか。
そのまま、部屋に戻った。
スカートと上着を脱ぎ捨て、ソファにうずくまる。
「なにが」
何が足りないのか。
友達と恋人の境目って、なんだ。
電話。
さっき私を振った相手。
出る気が起きなかった。無視。出んわ。
「友達って、何よ」
私は、恋人がほしい。それだけなのに。
「あ、そだ」
彼女のスカート。揺れていた風。
「洗濯物取り込んでおかなきゃ」
風とか雨粒とか太陽とかを見れば、だいたい次の天気が分かる。普通の私にとって、唯一普通じゃない能力。
彼女のスカートを思い出して、すぐにやめた。どうせ手に入らないものだし。
「でも明日から気まずいなあ」
社内ですれ違うとき、どういう顔をすればいいんだろう。
洗濯物を取り込みながら、すれ違うときの顔の練習をした。ぎこちない。
窓を閉めて、もういちどソファにもたれこんだ。
外。雨音。電話のバイヴも鳴りやまない。電源を消した。私の初恋も雨が消し去ってくれたらいいのに。
「もう一回最初から初恋でお願いします」
いきなり振られて初恋終了とか。恋愛初心者かよ。恋愛初心者だったわ。
ドアホン。
「あ?」
なんだ。ネットショッピングはしてないぞ。変質者か。
しまった。さっきスカートと上着脱いだ状態で洗濯物取り込んじゃった。
「いっちょ、ぼこぼこにしてやるか」
うさばらしだ。
画面で相手を確認する。ずぶ濡れの黒い影。フードしてるから顔も分からない。
「せめて宅配便ぐらい偽装しろよ」
軽くストレッチをして、近場にあった枕を放り投げて蹴り飛ばす。
「よっし」
行くぞこら。殴って蹴るぞ。こちとら失恋直後じゃ。
扉を開けて、掴みかかる。そのままフードを引きちぎり、拳を顔に。
「ひいっ」
当てる直前でギリギリ止めた。
「えっ」
変質者じゃない。
さっき私を振った相手だ。
「あっご、ごめんなさい」
なんで。ずぶ濡れで私の部屋のドアホン押してるの。
「えっと、なぜ、ここに?」
やっべ。スカートと上着。
「ちょっと待ってて」
奥に走って、とりあえずスカートと上着を着た。走って戻る。
何かに足が引っ掛かった。
「おっと」
さっきの枕か。
ドアの向こう。さっき押し倒されたままの格好で、私の『友達』がへばっている。
「で、ごめんなさい。なぜここに?」
できれば顔も見たくないんだけど。
「あ、あの」
「ああ。変質者だと思っちゃって。うさばらしにいっちょかましてやろうかなって。ごめんなさい」
手を差し出そうとして、やめた。自分で立ってくれ。触りたくないよ。
「ごめんなさい」
彼女が、仰向けのままで呟く。
「いや、謝るのは私のほうだよ。フード引きちぎっちゃった」
まだ左手に持ってたフードを、相手に差し出した。取る気配がない。そこは取れよ。
「ごめんなさい」
なんだこいつ。ごめんなさいしか言わねえのか。
「フード代だけ弁償させて。いくら?」
三秒待った。三秒後の回答は、ごめんなさい、だった。
「やめて」
もうごめんなさいは聞きたくないです。
「とりあえずお財布取ってくるから。フード壊してごめんね。弁償するから帰って」
もういちど部屋に戻ろうとする、足を、掴まれた。
「待って」
ぐちょぐちょの手。
「なんで」
面倒この上ないなもう。
「もう私とあなたは友達ですらないから。できるだけ早く私はあなたのこと忘れるようにするから、もう来ないでよ」
というか、振った相手の家に押しかけてくるなよ。
「違うの」
「なにが」
掴まれた足。どうしようか。簡単に振り払えるけど、ここで怪我させると後が面倒だな。
「あなたのこと、わたし、全然わかってなかった」
「そうね。わりとイケると思って告白したのにね。私の初恋は残念な結果に終わりました。だから離して」
「いまからでも、間に合いますか?」
「なにが」
もう間に合わねえよ。フードは引きちぎれたし、雨は降ってるし。はやくどこか行けよ。
「わたし、あなたのことが」
「友達だってんでしょ。わかったから離してよ。もうあなたの顔はみたくない」
足に絡み付いた手を、捻って外した。蹴らなければ怪我しないだろ。
「待って。おねがい」
扉。このまま閉めてしまおうか。いやそれだとフードがなあ。
「私も好き」
扉を閉めてしまった。
「まって」
今、彼女、好きと言ったか。
「いや、ありえないか」
さっさとフード代だけ弁償してしまおう。お財布お財布。
「うわっ」
この枕。邪魔じゃ。
「ええと、ポーチは」
ポーチのポッケを確認する。お財布入ってた。取って、扉に戻る。
開けた扉の先。
誰もいない。
「あれ」
帰ったのか。
いちおう、下の方まで見に行った。
彼女。雨に打たれて、とぼとぼと歩く後ろ姿。
「ちょっと。上着のフード。弁償するから。持っていって」
うわ雨に濡れたくねえ。でも相手エントランスの外にいるからなあ。
小走りで彼女のところに走り寄る。
おかねを彼女の上着のポッケにねじ込んで、すぐに戻ろうと反転。したところで、後ろから抱きつかれた。
「私も好きだったの。でも、こういうのが、分からなくて。私もあなたも女性だし。ごめんなさい。友達なんて言って」
そこではじめて、気付いた。
そうか。
女性は、女性を好きにならないのか。
なんだ私。ぜんぜん異常じゃん。普通じゃないじゃん。
「そっか。女性が女性を好きになるのはおかしいことか」
彼女を振り払う。
「あんたは普通の側ってわけなのね。なによ」
彼女の目を見て、真っ直ぐ。
「普通なんてだいっきらいよ」
叫んだ。彼女が吹っ飛ぶ。
「あっごめんなさい」
気合入れて叫んじゃった。
「とにかくもういいわ。もうどうでもいい」
お気に入りのスカートと上着が雨に濡れちゃった。これも洗濯しないと。エントランスのほうに走った。
後ろ。何か声が聞こえる。そして。
「私も普通なんていやっ」
大きな声。びっくりして吹っ飛んでしまった。
「え?」
「いやなの。私も普通じゃないの。でも、普通じゃないと生きていけないから普通にしてたの。あなたのことだってすきなのに。すき、なのに。普通でいないといけないと思って。もういや。普通普通って。みんな、もうみんなおかしくなればいいのにっ」
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