西院春日神社



「春日神社って、奈良の?」

「ううん、京都の」


 カウンターに背を向けて、100円のおしゃれな入れものにスプーンやフォークを並べる。

 忙しいランチタイムを過ぎ、一息つける貴重な時間。

 ランチタイムの助っ人も帰ったあとなので、プライバシー もそれなりに守られる程度のスタッフしか残っていない。ちなみに今は3人。私と穂香と奥に1人、無口な男性スタッフが黙々と食器を片付けていた。


「え? 春日神社でしょ?」

「そうなんだけど。春日大社じゃなくて。西院春日神社ってとこで、京都にあるの」

「へー」


 興味なさそうな返事に、少し不安になる。


「それで、いつにするの?」

「今度の祝日! 一緒に休みとったじゃん!」


 ああ、やっぱり忘れてるよ!

 休み前に話をふって良かった。西院駅で待ちぼうけを食らうとこだった。

 忘れ去られた悲しみと確認がとれた安堵感に頭を垂れていると


「いらっしゃいませー」


 穂香が扉についた鈴に反応して、振り返った。




 阪急西院駅から徒歩5分。

 ネットで駅の出口の番号まで調べたおかげか、迷わずに辿り着くことができた。

 とはいえ、まだ社務所しか見当たらない。社務所が近づくと、社務所の向こうから男性の声が漏れ聞こえてきた。あちらが境内だろうか。手水捨について、杓子に水を満たす。あ、先にハンカチ出しておけば良かった。鞄の中を捜しながら、何度も繰り返した後悔に肩を落とす。


「春日大社って縁結びだっけ?」

「春日神社は厄除けと病気平癒だったと思うけど」

「春日大社とはなんの関係もないの?」

「え、どうだろ」


 私は慌ててスマホをとりだすと、すぐに検索をかけた。穂香は鞄からハンドタオルをとりだして、手を拭いていた。


「全く関係ない訳じゃないみたいだよ。春日神を祀ってるから春日神社って呼ばれるんだって」

「それで?」

「春日大社からかんせい? をうけた神様を春日神って言うらしいよ?」

「だから、春日神社っていうの?」

「そうなんじゃないかなー?」


 穂香はハンドタオルを仕舞いながら、私のスマホを覗く。


「なに見てるの?」

「ウィキ」

「へー」


 私は穂香が見易いようにと、体を傾けた。少しして、近づいた体が離れていく。文面を読んだ気配はない。

 社務所前の道を抜けると、境内の全貌が見渡せた。

 社務所横の赤い布をまとったベンチで、おじさんからお兄さんまでが団体で何かを話し込んでいる。今まで参拝した神社でたまに見かけた光景だ。神社がご近所さんの憩いの場になっているんだ。私はその風景にただ和んでいたのだが、穂香はそれを見て昔ながらのいい風景だと、おばあちゃんみたいなことを言っていた。でもどうやら今回は、穂香のいう昔ながらのいい風景ではないらしい。話し込んでいる人たちは、一様に法被を羽織っていた。


「なんかお祭りでもあるの?」

「なんか、色々やってるっぽいよ?」


 参拝をするのに邪魔になるスマホを鞄の中にしまう。


「なに情報?」

「ウィキ」


 さっき見てたやつかと、興味なさげな相槌だけが返ってきた。


「なんか、私たち意外にもいるね。御朱印ガール」


 拝殿に向かう途中、もうひとつの鳥居を見つけた。その鳥居から二人の女の子が歩いてきた。すれ違って、彼女たちはきょろきょろしながら社務所の方へ向かっていく。


「ガールに遭遇するのはじめてじゃない?」

「そうだね。見るからに遭遇しましたって感じは初めてだよね」


 本殿を前にして、穂香が立ち止まる。つられて私も立ち止まった。


「どういう意味?」

「いや、参拝客が御朱印ガールだけなのはってことだよ。普段ならおじいさんが談笑してたりさ、いや、お寺の人じゃなくてだよ?」

「うん。それは分かったよ」


 穂香が小銭入れをとりだして、5円玉を準備する。


「まあ、たまたまだろうけど」

「なんか、嬉しいね」


 階段を登り、立ち止まる。

 一礼して賽銭を挙げ、1歩下がる。

 本殿と向き合い、二礼して二拍手。

 そっと目を閉じる。

 そして、一礼。

 再び本殿と向き合い、階段を降りた。

 穂香は先に終え、階段の下で待っていた。


「おまたせ」

「御朱印帳買うんでしょ?」

「そう! すごく楽しみ!」

「なんか間違ってる気がする」


 あまりにテンションが上がりすぎたせいか、穂香から不審な目で見られた。

 慌てて言葉を探す。


「いや、もちろん分かってるよ。御朱印はスタンプラリーじゃないって。神聖なものだって。気軽にやっちゃダメだよね! じゃないか! 軽い気持ちでやっちゃダメだよね! 楽しいってだけでやっちゃダメだよね! 行楽気分なんてもちろんダメだよね! まさか自己満足だけなんてそんな! だって私、お願いはしてないよ!?」

「お願いがないだけじゃなくて?」


 どうこの気持ちを表現すればいいのだろうか。答えがはっきりとでていないせいで、グダグダな言い訳をのべるだけで終わってしまう。

 だから、穂香はさらに不信感を募らせたのだろう。私はただただ、肩を落とすしかない。


「確かに。ないね、お願い。みんなどんなこと話してるんだろうね、神様に」

「私はお礼してる」

「ああ、だから早いんだね。穂香は」

「なんであんなに遅いの? あんたは」


 砂利道を踏み鳴らしながら、社務所に向かう。


「なんか、無を待ってる」

「お経でも唱えてんのかと思ってた」

「お経はねー。なかなか覚えられないよねー」

「試したんだ?」

「うん。お経じゃなくて祝詞だけど」

「凄いね」


 普段通りの穂香なのに、心のこもってない相槌に寂しくなった。

 社務所に着くと先程の御朱印ガールが何かを待っていた。脇に立ち、私たちも静かに待つ。少しして巫女さんが御朱印をもって出てきて、御朱印ガールに手渡した。

 そして私は御朱印をお願いした。

 巫女さんがまた、中に入っていく。

 ふと、台に張られた紙に目が止まる。

 張り紙には概ね、こんなことが書かれていた。


【授与品は頂戴するのではなく、受けるものです。】


 私はさっき、なんと言っただろう。


「御朱印帳を頂けますかって、ダメ、だったかな」


 聞くと、穂香は張り紙を確認して、


「そうかもね」


 なんともない声で返事した。

 そしてすぐに境内に目を向けた。


「摂社があるみたいだから、後で行こう」


 私は今度こそ、泣き出してしまいそうだった。


「紗奈?」

「礼節ってなんですか」


 泣きそうな私の顔を見て、穂香がドン引いたのが分かった。めんどくさそうな顔をして、穂香はため息をつく。


「大丈夫じゃない? そんな心狭かったら、神様なんてできないでしょ」


 なんだ、偉そうに。


「穂香のバカ」

「礼節より、語彙力磨けば?」


 怒りに涙は引っ込んだ。


「穂香のバカ」

「はいはい」


 言葉で頭を撫でられている気分だ。余計に腹立たしいが、穂香は口が悪いだけで悪意はない。悪意はない。自分に言い聞かせながら、わざと頬を膨らませた。

 神様は私じゃない。神様はきっと、心の広い人だ! でも、甘えずにいこう!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る