第8話 王者の覇気


 前の世界にいるときだが、僕はテレビで北海道のまたぎ特集を見たことがある。

またぎは不意にヒグマと遭遇してしまったときの対処方を語っていた。まず、岩や倒木の上に登り、体を広げて自分が大きく見えるようにアピールすべしと。

そうすることによって、ヒグマは相手を巨大な敵と勘違いして本能から戦闘を避けようと逃げ出すらしい。


 さらに、またぎはこうも言った。

ビビっては駄目だ。その怯えは向こうに勘づかれる。全身の内側から気合いを吐き出すように力を込めて、睨みをきかせることが大切だと。


 なるほど、非常に理にかなっていると当時の僕は感心したものだ。なのでその教えを実行する。


 まずは爪先立ちでベンチにあがり、両手を大きく広げて自分の存在をアピールする。さらに、体の奥底から見えない力が溢れだすことをイメージし、不倶戴天の敵を殺すかのような目付きで睨みをきかす。


 僕は完全に決まったと確信する。

目の前の巨大な犬は、僕の必殺のポーズを見て、恐怖で震えるあがっている。ブンブンと振っていた尻尾はピタリと動きをとめて、三つの頭を地面に擦り付けて服従をしめす。


 なぜかミミィまで同じポーズをとってガタガタ震えてるが深く気にしてはいけない。ちょっと不思議な子なんだ。僕は日頃から鍛えてるおかげで、爪先だけでバランスをとっていてもなんとか持ちこたえることが出来る。


 しかし、どんなハードボイルドな男にも限界というものがある。両の足はいまにも崩壊しそうなほどプルプルと震えている。僕は転ばないように、そぉっとベンチから降りて犬の前まで歩いていく。伏せた犬が不安そうに僕を見上げる。


 本来、まともに戦えば負けるのは僕の方だ。それも秒で決まるだろう。だというのに、ここまで圧倒的優位に立てているのは、この犬が野生を忘れ、心の牙を抜かれた動物園のペットだからだ。けっして僕が強いからじゃない。皮肉だなと、僕が自嘲気味に鼻で笑うと犬は怯えきったようにクゥーンと鳴いた。


 その様子を確認して僕が手に持った棒を振りかざすと、地面に額を擦り付けていたミミィが慌てて飛び起きて、僕のお腹に抱きついてきた。


 必死な表情とは裏腹に、まるでやる気のないミミィの貧相な胸が僕の腰に当たる。僕は断然、おっぱいはあった方がいい派に属する人間なので、なんの得にもならないのが残念だ。


「ま、待ってくださいあにきぃ。もう勝負はついています。これ以上はこの子が可哀想です!」


 先ほどまでボコボコにやられていたというのにミミィが犬を庇う。もしかして殴りあった先に友情でもみつけたのか?冒険者の中にはそうやって団結力を高める奴等がいるらしいが、僕には一生理解できない類いのものだな。


 「なにを言ってるんだミミィ。この犬には、徹底的に上下関係というものを躾なくちゃいけない。また逃げ出したら大変だろ?」


 「それは・・・そうかもですが、すでにケルベロスはあにきぃに敵わないと理解しています!!」


 そうは言っても僕は木の棒の正しい扱い方をミミィに教えてあげると宣言したばかりだ。一度吐いた唾を飲むなんて、僕の探偵としての矜持がゆるさない。


 やめてぇーと言うミミィの声を無視して、予定通り僕は犬の目の前に立って木の棒をもう一度振り上げた。


 「えいっ!」




⚀⚁⚂⚃⚄⚅⚀⚁⚂⚃⚄⚅⚀⚁⚂⚃⚄⚅⚀⚁⚂⚃⚄⚅⚀⚁⚂⚃⚄⚅


「えいっ!」


 マーロが掛け声とともに木の棒を大きく振り上げた。

 ミミィはその光景を見たくなくて目を瞑ってしまう。

もうケルベロスとあにきぃの間で勝敗は決していた。なのにあにきぃはまだ上下関係を躾るために木の棒で顔面をぶっ叩くというのだ。


 その残酷な現実にいくらモンスターといえども同情を隠せないミミィだった。

しかし、それは杞憂に終わる。


 いつまでたってもケルベロスの顔を叩く音が聞こえてこないので、ミミィは恐る恐る目をあげると、そこには全力で木の棒を遠投するあにきぃがいた。


 「「・・・・・」」


 ミミィとケルベロスは呆然としながら、勢いよく回転して遠くに飛んでいく棒を眺める。そんなケルベロスの反応にマーロは納得がいかないかったらしく不満げにぺしとケルベロスの顔を優しく叩いた。


 「おい、なにやってるんだ。はやく追いかけて持ってこい」


 「「「ヴァフ?」」」


 ケルベロスは意味が分からないと三つの首をそれぞれ傾げる。

 そんは姿を見てマーロは、どういうことだ?おかしいな?とぶつぶつ呟いていたが、やがて何かに気がついたのか、あぁすまん、すまんと言って木の棒をもう二本拾ってきた。


 「ハハハ、気がつかなかったよ。お前の場合もう二本必要だもんな」


 「あ、あにきぃ何してるんです?」


 ミミィが疑問におもって質問してみると、マーロきょとんとした顔をする。


 「なにって・・・・躾に決まってるだろ?犬ってのはワンワンと鳴きながら、投げられものをとりにいく習性があるんだよ。こうすることによって上下関係を分からせるのさ」 


出来るよね?とマーロがケルベロスに聞くと三つの首が上下にブンブンと揺れる。


 「よしよし、じゃいくよ、そらっ!」


 マーロが木の棒を投げると、ケルベロスが勢いよく駆け出した。そのスピードは流石というべきで、木の棒が地面につく前に鮮やかなダイビングキャッチでうけとめてみせた。


 「お、すごいじゃないか。さぁもう一度いくぞ!」


 「「「ヴァ・・ン・ワンワンワン!」」」


 ミミィはその光景を白けた目で見つめる。

あの冥界の番犬と恐れられたモンスターが、尻尾を振って木の棒を嬉しそうに追いかけていく。しかも、マーロあにきぃの言う通りに鳴き声をワンワンと無理矢理可愛くしている姿は、上位者に媚びへつらう獣のそれだった。


 自分はあんなのに負けたのだと思うと、悔しくてまた涙が出てくる。拳をぎゅっと握りしめてミミィは誓うのだった。もっと修行しようと。

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