~福岡県、天神から西新まで~ 真夜中の福岡を歩いて

無月弟(無月蒼)

真夜中の福岡を歩いて

 福岡県福岡市中央区。九州最大の繁華街と言われる町、天神。

 僕の育ってきた田舎とは比べ物にならないくらい賑わっていて、最初に来た時はその人の多さに驚いたものだ。

 しかしそんな天神の町も、夜になると当然、昼間ほどの賑わいは無くなってくる。


 時刻は、もうすぐ夜中の一時になろうという頃。僕は一人天神駅の前に立ち、容赦無く吹き付ける冬の冷たい風に、身を震わせていた。


 寒い。ものすごく寒い。

 こんな日はさっさと家に帰って、暖かい布団にくるまって眠りたいけれど、普段利用している地下鉄は、既に終電が出た後。つまりこれは、帰るための足がなくなってしまったということだ。


 どうしてこうなった?

 僕は我が身に起こった出来事を、一つ一つ振り返っていく。


 きっかけはアルバイト。

 僕は専門学校に通いながら、時間を見つけては日雇いのバイトをして学費を稼いでいたのだけれど、この日は朝までかかる仕事を依頼されていた。

 物流関係の仕事で、夜の九時から朝の六時まで、一晩かけて荷物の仕分けを行うはずだった。


 辺りが暗くなってきた頃に地下鉄に乗って、仕事場のある天神へとやって来た僕。

 バイトは何度もしてきたけど、一晩かけての大仕事なんてしたことなかったから、気合いを入れて挑んだのだけど……。


 いったいどこで狂ってしまったのか。現場について作業に取りかかったのはいいけど、話で聞いていた割には、荷物の量が少なかった。

 詳しい理由はわからないけど、何かトラブルがあったようで、予定していた荷物が入ってこなかったらしい。


 物がなければ、当然仕事はできない。というわけで、当初の予定より大分早く、まだ日付が変わったばかりだというのに、僕は早々にお役ごめんとなり、夜の町へと放り出されてしまったのだ。


 頑張ろうと意気込んでいたのに、まさかの展開。しかも終電はもう出ている。

 途方にくれている間に、冷たい空気が体温を奪って、手が悴んでくる。


 マズイ、早く何とかしないと!

 駅の壁を盾にして風を凌ぎながら、これからどうするかを考える。

 とにかく、じっとしていたら寒すぎる。どこか暖かい場所に移動しないと。


 しかしこんな時間だ。福岡三越も、天神コアも開いていない。

 カラオケは、開いている店もあるだろうけど、そこで朝まで時間を潰すか?


 しかしそれだと、金がかかる。ただでさえバイトが予定よりもずっと早く終わって、思ったほど稼げなかったというのに。

 できれば、余計な出費は抑えたい。そうなると……。


 歯をガチガチ言わせながら、頭を回転させる。

 僕が住んでいるアパートがあるのは、ここから西にある、西新という町。距離にして、5キロ無いくらいか。

 普段なら移動の際は地下鉄を使うけど、歩けない距離じゃないよな。だったら。


 仕方がない、歩いて帰ろう。それが僕の出した結論だった。

 歩くには面倒な距離ではあるけど、一刻も早く帰って、湯船に浸かりたい。この冷えた体を、温めたかった。


 駅から出ると強い風が吹き付けてきて、早くも心が折れそうになる。けどだからと言って、寒いのを我慢してここに朝までいるのも、やっぱり嫌だ。


 僕は西へ西へと、ゆっくりと歩を進めて行く。

 その先に、何が待っているかも知らないで……。




 指先が悴んで、だんだんと感覚が無くなっていく。

 まるで体の中に大きな氷の塊でもあるのかと思うくらいに、冷えた内臓が悲鳴をあげていた。


 天神駅の隣、赤坂駅の近くを通ったくらいで、僕は既に後悔しはじめていた。

 寒すぎる。こんなことなら、赤字覚悟でカラオケにでも行っていればよかった。だけどもう、この辺りにはカラオケ屋なんて無いし。引き返すよりは、先に進んだ方がマシだろう。

 そんなわけで、手や胸を擦りながら歩いて行ったのだけど。


 …………静かだ。

 天神から離れていくにつれて、どんどん静かになっていく。

 時折車が横を通るけど、その数は多くなく。ザッ、ザッという僕の足音が、辺りに響いている。

 不気味な暗い闇の中を、街頭の灯りを頼りに、無言のまま進んで行く。


 そうして歩いているうちに差し掛かった、大濠公園。

 昼間は散歩する人の姿が見られ、夏には大きな花火大会が開かれる、福岡屈指の大きな公園。だけどこんな真夜中だ。人影なんて、あるはずがない。

 一人淋しく、公園のすぐ横の道を歩いていたのだけれど。ふと妙なことに気がついた。


 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ…………ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。


 気のせいだろうか? 

 後ろからもう一つ、足音が聞こえるような気がする。

 慌てて振り返ってみたけど、そこには誰もいなくて、夜の闇が広がるばかり。


 やっぱり気のせいか。そうだよな、さっきまで後ろには、誰もいなかったもんな。

 そう思って、また歩き出したけれど。


 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ…………ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。


 やっぱり、誰かがついて来ているような気がする。だけどふり返ってみても、またしても人影は無い。


 そういえば、『べとべとさん』っていう妖怪がいたなあ。

 夜道を歩いていると、後ろからついてくる、姿が見えない妖怪が。

 何をするわけでもなく、ただ後ろをついて来るだけの妖怪。子供の頃聞いた時は、全然怖くないじゃないかって思ったけど……。姿の見えない誰かに後をつけられるって、十分気味が悪いよな。まるでストーカーに追われているみたいだ。


 今僕の後ろにいるのが、べとべとさんなのかどうかは分からない。けど、ただでさえ寒くてしんどい思いをしているのに、こんなおまけなんていらないから。


 僕は歩く速度を速めたけど、それに合わせるように、後ろの誰かも速足になる。


 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ……。



 来るな。ついて来るな。

 寒さと不気味さでぎゅっと縮まる心臓を、手で押さえながら歩いていると、あっと言う間に大濠公園を通り過ぎる。だけど追ってくる足音は、依然として消えない。

 いったいどこまで、追って来るつもりだよ……ん?


 ふと目の前に、明かりが見えた。あれは、コンビニの明かりだ。


 そこにあったのは『エブリワン』という、店内で焼き立てのパンを販売している、九州を中心に展開しているコンビニだった。

 しめた、あそこに逃げ込もう。


 コンビニで時間を潰したら、不気味な足音は消えるかもしれない。それに身体も冷え切っているし、ホットコーヒーや、肉まんでも食べて暖まろう。

 カラオケ代はケチっても、さすがにこれくらいなら使う事を躊躇わない。


 自動ドアを潜って店内に入ると、暖かい空気が冷えていた体を暖めてくれる。

 冷たくなっていた手や胸などをゴシゴシと擦りながら店内を見回すと、店の中に客の姿はなく、レジの奥に四十歳くらいの男性店員が一人いるだけ。まあ、こんな時間だもんな。


 雑誌コーナーまで歩いてみたけれど、さっきまで聞こえていた足音は、もう消えていた。

 どうやら撒いたらしいな。まあそもそも、気のせいだったのかもしれないけど。


 僕はそのまま、雑誌コーナーに並べられていた一冊の週刊誌に手を伸ばした。

 せっかく暖かい場所に来たんだ。立ち読みしながら、暖をとらせてもらおう。そう思ったのだけど。


 ――――あれ?


 ふと妙な事に気が付いた。

 手に取った雑誌は、僕のよく知っている少年向けの漫画雑誌だったのだけど。掲載している漫画というのが、どうもおかしかった。


 忍者をモチーフとした、チャクラを使って戦うバトル漫画。熱血教師が不良を更正させて、甲子園を目指す野球漫画。黒猫の異名を持つ銃使いの賞金稼ぎが主人公のバトル漫画など。

 それらは全て、この雑誌に連載していた作品。連載しているじゃない、連載していた、だ。もう既に全部終わっているはずなのに、なんで載ってるんだよ?


 不思議に思って雑誌のナンバーを確認してみたけど……何だこりゃ? これって、10年以上前の号じゃないか。


 古い号なのだから、そりゃあ連載終了した作品が載っているはずだ。だけど、そんなものが何故、こうして並べられているんだ?


 不思議に思った僕は、手にしていた雑誌を棚に戻して別の雑誌を確認してみたけど、それもかなり古い物。いや、それだけじゃない。


 よくよく見ると、入り口の近くに置かれている新聞も、ずいぶんと昔の物だし。お菓子の棚を見ても、最近じゃ見なくなったはずの、一昔前の商品が置かれている。

 そしてそれらを見て、もう一つ気が付いた。


 そういえばこのコンビニ、『エブリワン』って、もうなくなったはず。何年か前に、別の大手のコンビニに吸収されたんだ。

 けど、ここに入る前に確認した店の名前は、確かにエブリワンだった。これはいったい……。


 外にいた時とは別の種類の寒気が、全身を襲う。

 何か普通じゃないことが起きている。そう思うと怖くなって、メチャメチャ寒いのに、汗が背中を伝っていった。


 たまらなくなった僕は、コーヒーも肉まんも買わずに、店員の「ありがとうございましたー」という声を背中に受けながら、一目散に店を飛び出した。


 いったいどうなってるんだ。さっきの足音といい、奇妙な事が続きすぎるぞ。

 しかし店を出た直後、外気にさらされた僕の体は悲鳴を上げた。

 ううっ、寒すぎて内臓が縮み上がる。やっぱり、肉まんの一つでも買っておけばよかったかも。そう思って振り返ってみたけど――


 ………えっ?


 目を疑った。

 今の今、確かにあったはずのコンビニは忽然と姿を消していて。そこには空き地が広がっているだけだった。


 目を擦ってもう一度見つめたけど、何も変化は起きない。コンビニなんて、どこにもなかった。


 狐につままれたとは、こういう事を言うのだろうか。

 僕は寒さも忘れて、しばらくの間その場に呆然と立ち尽くしていた。





 それから、唐人町を通って、西新について。アパートに帰り着いた時は、もう色々疲れ果てていた。

 幸い、あのコンビニの一件以来おかしなことは起きなかったけど、気味の悪い夜だったなあ。いったいあれらは、何だったのだろう?


 後日、専門学校の友達にこの事を話したら、こんな風に言われた。

「お前、そのコンビニで飲み食いはしていないんだな? それは良かった。なあ、聞いたこと無いか、死者の国の食べ物を口にしたら、二度とこの世には戻ってこれないって話を?」


 その話なら、昔聞いた事があるけど、つまりこいつは、あのコンビニが死者の国だったって言いたいのか? 

 けど、それはさすがに話が飛躍しすぎだろう。並んでいる商品が有り得ないくらい古かったことと、忽然と消えてしまったこと以外は、普通のコンビニだったぞ……って、それって十分、普通じゃないか。


 それでもさすがに死者の国は無いと思う。

 けど、おかしな場所だったということに変わりはないし、もしかしたら友達が言うように、飲み食いしなかったのは正解だったのかもしれない。

 昼間は大勢の人が行きかう町なのに。ふとしたきっかけで、いつもとは違う世界へ繋がる扉が、開かれるのかもしれないなあ。

 そう考えると、背筋がゾクゾクしてくる。


 結局、あの夜の出来事が何だったのかは、わからないまま。

 今日もまた、福岡の町に夜が訪れる。

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