第152話 心春の日記

 トラはリビングにノートパソコンを持って来て開くと、母の嘉香が横からのぞき込む。


 そしてパスワードを打ち込む、その段階になって気が付く。母親、嘉香から教えてもらった『未来』これは二文字『みらい』『ミライ』は三文字。ローマ字『MIRAI』で五文字。


「どれにしても文字数が足りない? 英語だと『FUTURE』で六文字だけど」


 パスワードの空欄は六マス。とりあえず『FUTURE』を入力してみる。エンターを押し確定をするか悩む。何せ二回の失敗でデーターが飛ぶと警告されているからだ。

 画面を見て悩むトラだが、確定していないのに突然枠が赤く点滅する。


「ええっ! どういうこと。わわわっ!」


 文字を消去しようと思っても操作を受け付けず、始めは枠しか光ってなかったが、やがて画面全体がピカピカ派手に点滅を始める。そしてデカデカと表示される文字。


『慌てりゅな! パシュを確認したでしゅ! そして間違ってるでしゅ! 英語じゃねえでしゅ』


 爆発でもしそうな勢いに頭に座布団を被り、衝撃に備えるトラの後ろで嘉香が大きくため息をつく。


「はぁ~、あの子らしいといえばそうなのかも……トラ、『MIRYAI』で打ってみて」


 嘉香に言われたとおり『MIRYAI』を打ち込みエンターを押し確定する。


「まさか、舌足らずのパスワードとか。よく分かったね」


「あくまでも心春として見ろってことでしょ。それより何か見れそう?」


 パスワードを当てた嘉香に感心しながら画面に注視する。そこからは静かに読み込みが始まり二つのフォルダーが現れる。


『トラへ』


『日記』


 二つのフォルダのうち『トラへ』に僅かに震えるカーソルが合わさると、中にあった一つのファイル『心春より』が現れ、それをクリックして開く。


 ──始めに、トラのことを隠したまま消えようと思っていたけど。その日が近付くにつれて、虎雄として何か残したいと思い父さんと母さんに手紙を送ってしまったこと。そのせいでお前に迷惑をかけてしまっているであろうことを謝りたい。


 母さん驚いていたか? いや信じてないかもな。


 せめてもと、彩葉を始めみんなにお前のことをお願いして回ったんだが、勝手だよな。お前を勝手に生み出して、苦労させて、今苦しめてるかもしれないのに。


 それでも生きて欲しい、梅咲虎雄として人生を楽しんで幸せになって欲しいと願ってこの文章を残しておく。


 俺を怨んでもいい、憎んでもいい。でもこの世に生まれたこと、お前を慕ってくれる人は間違いなくいることを忘れないで欲しい。そしてお前は自分のやりたい道を進んで欲しい。余計なお世話かもしれないが機械工学には間違いなく向いてないと思う。その優しさを周りに向けた方が良いかもな。本当に余計なお世話だが。


 最後に、厚かましいお願いだが父さんと、母さんのことを見守ってやって欲しい。お願いします。



                                梅咲 心春


 トラは心春からの言葉を読んで、滲む目を何度も擦る。横には涙をこらえきれず、涙をこぼす嘉香の姿がある。

 ずっと読んでいたい気持ちを抑え、心春の日記にカーソルを合わせ開くと、日付がファイル名になっているものが並ぶ。


 一番上のファイル『08月03日』を開く。


 ──夏休みに入る前から感じ始めた違和感についてまとめようと思う。今後起きるかもしれない不具合に備え記録をつける。


 右手に僅かな痺れ。思えば洗い物の際皿をよく落としていたことと関係性があるのかもしれない。


『08月05日』

 ──夏休みに入って來実とすぐにデートをして、今日珠理亜とデートをした。告白されたこと、新たな感情に揺れるトラが心配だ。

 この日電車の中でコケる。右膝に違和感あり。右側を中心に違和感は広がる。


『08月10日』

 ──ひなみに俺が虎雄だったと打ち明ける。驚いていたが、その可能性も考えていたと言う。相変わらずとんでもない、でもこの人なら最悪の事態になっても託せる。

 俺とトラの事情を誰も知らないより、一人でも知っている方がトラにとってもいいはずだ。

 ひなみに話したことで前から思っていたことを決意した。俺はもう元の体に戻らない。心春として生きていくことを決意する。


『08月15日』

 ──楓凛さんに続き、彩葉とのデート。途中で別れひなみから手術日が決まったと知らされる。

 正直不安だが、希望も見出せそうだ。


『08月17日』

 ──建造さんに連れられ夕華が突然やってくる。俺を目指し作られたそうだが、感情の構築を実践形式で手伝って欲しいとのことだ。

 思わぬ形で妹ができる。この子を大切にしていこう。


『08月24日』

 ──女子会怖い……。まさか俺が手術することを來実が聞いていたとは思いもしなかった。こんなにも心配してくれるなんて、最近涙もろくなった気がする。

 手術に不安はあるけど、それ以上にみんなと一緒にいたい気持ちの方が大きい。


『08月26日』

 ──トラが告白することを決意する。そして俺はトラに元の体に戻らず、お互いの人生を生きていくことを告げる。

 もう後戻りはできない。最近鮮明になっていく思考に比例して手足の不具合が多くなる。簡易チェックしても何も問題ないのに、いったいどうなっているんだ。


『08月28日』

 ──トラが彩葉に告白して付き合うことになった。言葉は激しいけど、とても優しくて、なにより人の痛みに気が付ける子だと思う。

 あの子なら、トラを任せれると思う。それにしても元自分に彼女ができるのを見るなんて変な気分だ。

 羨ましいかどうかと言えば羨ましい。二人の行く末を見守りたい、そのためにも手術を成功させるように自分を構成する部品のリストを思い出さねば。

 後悔しても始まらないが、紙に書いて残しておくべきだった。


『09月08日』

 ──検査に行く前に楓凛さんから夢を持ったらどうかと助言をもらった。この体で何を夢見れるか分からないが、体がまともに戻ったらなんでもいい。何かしてやりたいことを探そう。夢を語る楓凛さんが凄く輝いて見えた。俺もあんな風に言える何かを見つけたい。


 検査中、自分がアンドロイドであることを改めて知って認識させられた。頭では理解していたが現実を見せられるとショックだった。

 アンドロイドとして生きていくと決めたり、悩んだり、ショック受けたり……こんなんで大丈夫かな。


『09月12日』

 ──なぜか副委員長になる。ついでに來実が俺の補佐につく。最近暗くなることが多かったから、なんだかすごく楽しい。

 柄にもないが頑張ってみよう。


『09月15日』

 ──学校の行事とかバカにしていたけど、一生懸命にやってみると楽しい。珠理亜や來実とこんな風に話して行動する日が来るなんて思ってもみなかった。

 そして昼休みに今まで話したこともなかった笠置が話し掛けてきた。

 家について行くとバンドをしようと言われる。全く予想にしなかった展開だ。

 これもこの体になったからなのだろう。そう考えれば悪いことばかりではないのだが……。


『9月20日』

 ──ひなみの実家に夕華と一緒に行った。みんな優しくて、もしもの場合夕華のことも面倒を見てくれると言ってくれた。

 ひなみからもっと人に甘えろと言われた。甘えて忘れるのは逃げだと思ってたけど、それを許してくれる人がいるなら少しは寄りかかっても良いのもって思ったら、少し気持ちが楽になった。


『9月28日』

 ──笠置が俺の鍵盤ハーモニカに合わせた楽曲、その名も『光に包まれて』を練習して初めての音合わせ。みんなのレベルが高すぎて焦ったが俺専用の詩『地獄へ落ちろでしゅ、ブタしゃんたちぃ!!』がよく分からないが好評なのでよしとておく。

 本当に人生はよく分からない。この体になって、元に戻りたいと思っていたのが数ヶ月前。今はこの体でもいいからずっと楽しく過ごせればなと思っている。


『11月02日』

 ──朝からと調子が良くて、昨日は鍵盤ハーモニカを完璧に弾くつもりだったが、まさか途中で手が動かなくなるとは思わなかった。

 あの時トラが助けに来てくれて本当に嬉しかった。そして思い出した。


 この体はもう動かない。動いてることが間違ってるんだ。


 入れ替わった原理は分からないが、これは俺が望んでやったこと。治らないなら、せめてトラの為に動こう。


『──』

 ──思いつく限り沢山の人に会ってきた。最後にトラにこの日記を残しておこう。初めは体の不具合を記録しておくために書いていたが、俺が存在した証にでもしようかと思う。

 信頼できる人たちにパソコンを起動するキーを渡して、トラが沢山の人に話を聞くきっかけになれば、これから生きていくヒントになるかもしれないし。


 ──ここで日記は終わる。おそらくひなみに渡して、更新できなくなったからだろと思われる。


 実際にトラと嘉香が見た日記はもっと細かい日付で更新されている。


 大きな出来事があった日は、言葉に明るい雰囲気があり、目に留まってしまう。間に書いてある内容は、──右の小指が動かな。──膝関節に不具合などの様子が詳しく書かれ、途中から──全く右の手足動かない。──叩いても感覚がないなど淡々とした観察と感想へと変わっていく。


 読んでいて心春の言葉に涙を流すトラだが、嘉香は僅かに目を潤ませつつも唇を小さく噛み締める。


「ここにも心春ちゃんの声はないのね……」


 嘉香は小さく呟いて、きゅっと拳を握る。


「本当は怖かったでしょうに……」


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 次回


『お手紙』










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