第154話 お別れ
ベッドで目を瞑り寝息も立てずに横たわる心春の横に座ると、トラは優しく話し掛ける。
「心春が寝てからもう一年半。心春のお陰で沢山の人に支えられて頑張ってるよ」
なにも答えてくれない心春の顔を見て、話を続ける。
「ボクね、大学合格したよ。聞いて驚いてよ、なんとね
少し大げさに言ってみるが、静かに目を瞑る心春の手を握る。
「ボクが人の命を救う、そんなことができたら心春がくれたこの命と体は、もっと多くの人たちを救う為にあるんじゃないかってこと。心春はボクだけでなく、沢山の命を救ったことになると思うんだ」
反応のない手を少し強めに握る。
「ねえ心春、ボクはちゃんと歩めてるかな? 今のボクを見たらきっとまだまだだって怒るんだろうね。幸せになろうってボクなりに頑張ってるけど、時々不安になるんだ。これでいいのかなって。
そんなとき、心春の声が聞きたいって、そう思ってしまうんだ。もう、聞けないの……」
「いいえ、必ず聞けます」
心春の手を両手で握り、弱々しくなり絞り出すような自分の声を、遮る声にトラは驚きながら振り返る。
「きな子さん、なんでここに……」
涙で滲んだ視界に映るメイド姿のきな子は、心春のもとに近付くとそっと頭を撫でる。
「虎雄様と心春様の邪魔をしたくないので、お嬢様は散歩に行ってくるとおっしゃったので私はここに」
「雨宮さんと一緒じゃなくていいの?」
「はい、私個人的に虎雄様にお話したいので、許可をいただきました」
「ボクに?」
きな子は頷き、瞳に驚くトラの顔を映す。
「私は変わったと言われます。分析の結果、確かに思考パターンが複雑化、理論的でない別のものが混ざっていると結論付けました。
それが何かは分かりません。でもそれはお嬢様のことを考えるとき、旦那様や奥様を始め身近な人を考えるとき大きくなります。
答えるべき答えを邪魔するそれは、私を困らせます」
胸に手を当てトラを見つめるきな子は僅かだが微笑む。
「でも、それを私は嫌いではありません」
きな子がトラの手を取り、自分の胸に当てる。一瞬焦るトラだが、真剣な面持ちのきな子さんの前に、手を離せず話に聞き入ってしまう。
「それをくれた、虎雄様と心春様。論理的思考に基づいたものから発する言葉ではありませんが、きっと心春様は起きます。
そう断言するのはもちろん、お嬢様や來実様、楓凛様と葵様が日々努力されているのもあります。
確信部分はうまく表現し伝えることができないのですが、心春様はちゃんとここにいると思います」
トラの手を引っ張り、そっと心春の胸に当てる。
目を大きく開き驚くトラに、きな子が今まで見せたことのない笑顔を見せる。
「虎雄様の進むべき道は間違っていないと思います。きっと素敵なお医者様になる。それは私が保証いたします」
笑顔で断言するきな子にトラは大きく頷く。
「ちょっと自信なくしそうだったから。うん、きな子さんに保証されたら間違いないね。ありがとう」
「お役に立てたなら嬉しいです」
「すごく助かったよ。ボクは今のまま頑張ってみる」
お礼を言うトラを見てきな子が微笑む。
「夕華が待ってるからボクはそろそろ家に戻るよ。ありがとう、きな子さん」
壁に掛けてある時計を見て、再び頭を下げお礼を言うトラに、きな子は丁寧にお辞儀をして応える。
トラがドアから出ていくと、きな子は心春の横にある椅子に座り、心春の胸に手を置く。
「お嬢様の手が段々と離れていく今、私の存在価値を思考したとき、明確な答えが出せませんでした。
そんなときに、心春様の計画……いえ、夢をひなみ様と夕華から聞きました。
アンドロイドが夢を持つ、その思考に驚きそして、夢という響きを聞いたときから、思考が捕らわれてしまいました。
心春様の夢、私もお手伝いしてみたいのですが、参加させていただけますか?」
ゆっくりと立ち上がると、深々とお辞儀をする。
「返事はいつでも大丈夫です。ゆっくりお待ちしています」
そう言って心春に微笑むと部屋を後にする。
* * *
夕食後一人机に向かい勉強をするトラは、ひと段落したのか大きく伸びをする。
控えめなノックが響き、僅かに開いた隙間から顔を覗かせる夕華に手招きをすると遠慮がちに部屋に入ってくる。
「お兄ちゃんお勉強お疲れ様です。これ差し入れです」
お盆に載せた、コーヒーとお茶菓子を差し出すとトラは受け取り机の上に置く。クッキーを食べるトラをジッと見つめる夕華の視線に気が付いたトラ。
「このクッキーとても美味しいよ。中に入っているのはピーナッツかな? 香ばしくてコーヒーとも合うね」
トラの言葉に頬を緩め、嬉しさで目を輝かせる夕華を見てトラも笑みがこぼれ、小さく「やった」と声が聞こえる。
「お母さんに報告してきます!」
とてとてと足音を立て、小走りで部屋を出ていく夕華を見送る。一旦閉まったドアが、再び開いて夕華が顔を覗かせる。
「お勉強頑張って下さい」
それだけ言って笑みを見せるとすぐにドアは閉まり、階段を下りていく音が僅かに聞こえる。
その音を聞いてしばらくクッキーとコーヒーを味わった後、大きく伸びをすると再び机に向かう。
シャーペンをノックし芯を出したところで、なんとなく気になってスマホの画面を見つめる。
真っ黒な画面をしばらく見つめ続ける。
ふと我に返り、机に視線を戻そうとしたときスマホの画面が光る。
画面に表示された名前を見て、いつもなら嬉しいはずのその名前に不安を感じながら出る。
「もしもし……彩葉、どうかした?」
トラの呼び掛けに、しばらく無言のままだった彩葉の消え入るような声が、トラの耳に響く。
「おばあちゃんが……」
彩葉がすすり泣きながら伝えるその言葉の先を察したトラは、掛ける言葉を見失ってしまう。
* * *
人の生き死に一端の高校生ができる事なんて、無いに等しいだろう。通夜がいつから、葬儀はいつからだと伝えられ流れに身を任せていくだけ。
身内だけで行われた葬儀に呼ばれ参列したトラは、唐突に訪れた久枝の死と別れに呆然とし、泣き続ける彩葉を前にどうしていいのか分からず立ち尽くす。
泣き止まない彩葉を抱き締めようかとも思ったが、それは違う気がしてただ見ているだけのトラに彩葉の母、
「今日は来てくれてありがとう。おばあちゃんね、トラくんのこと、凄く気に入っててね。彩葉に、素敵な人ができて良かったって……最近は、大学合格したって聞いて、本当にね、喜んでたんだよ」
途切れ途切れになる虹花の言葉一つ一つに丁寧に頷く。
「おばあちゃんの為に……泣いてくれて、ありがとう」
口を押え泣くのを堪える虹花の言葉で、自分が泣いていたことを思い出すのだった。
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次回
『過去から未来へ ~お前に伝えるわけで~』
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