第143話 今できること、できないこと

 珠理亜は井藤を目を合わせると、丁寧に頭を下げると、井藤も頭を下げ挨拶をする。


「井藤さん、何度かお会いしたことがありますわね。お父様からも優秀な技術者だと伺っています」


「社長からとはそれは光栄ですね。ところで珠理亜お嬢様、ここには何をしにいらっしゃったのですか?」


 珠理亜が井藤の言葉を受けてチラッと夕華とトラ、彩葉を見て小さくため息をつく。


「一応この場を収めにかしら」


「ほう、お嬢様の未来を見据え、会社を仕切る者として、といったところでしょうか?」


「わたくしにそんな権限はありませんわ。所詮社長の娘というだけ、会社の経営に口を出せる身でないのは理解しているつもりですわ」


 鋭さを宿す目で井藤を見てスマホを取り出すと、井藤に差し出す。


「お話の内容は把握していますわ。そのことについてお父様から井藤さんへ提案があるそうですわ」


「ほう、私に提案ですか」


 興味深そうにスマホを受けとると会話を始める。淡々と会話をしすぐに通話を終え、スマホを返すと珠理亜はそのまま、葵の下へ行きスマホを差し出す。


「わ、私もですか?」


 予想していなかったのか慌てふためく葵が恐る恐るスマホを取り、びくびくしながら会話を始める。

 頭を全力でスマホにペコペコ下げ、見えない相手に必死に謝る姿は社会人の性を垣間見せてくれる。


 葵が半泣きで珠理亜にスマホを返すと、珠理亜が井藤をチラッと見る。井藤は小さく頷いてどうぞという感じで、手を広げ珠理亜に発言を促す。


「今決定したことをお伝えしますわね。夕華は今まで通り梅咲さんの家で預かってもらいますわ」


 目を大きく見開き喜びの表情を見せる夕華に抱きつく彩葉。トラも安堵の表情を浮かべている。


「ですが夕華。あなたはあなたの責務を果たす義務がありますわ。あなたが心春さんの側にいたいのであれば、やるべきことはやるべきではなくて」


 珠理亜の言葉に項垂れる夕華の前に彩葉が出て庇う。


「さっきからこのおじさんが夕華の頭の中を見るとか、心春をバカにすることばっかり言うんだって! 夕華だってそんなこと言われてついていくわけないじゃん!」


「そうだとしても、立場上やらなければいけないことはありますわ。それは夕華も理解しているのでしょう?」


 夕華が下を向いて「はい」と小さな声で答える。


「でも、夕華への言い方が悪かったのも事実ですわ」


 珠理亜に視線を向けられた井藤が、軽く頭を下げる。


「お父様からの提案ですわ、夕華。あなたのデーターの提出は義務ですわ。ただ、梅咲家にて葵さんの手によって行うこと、それとレポートの提出をあなたに課しますわ。それと葵さん!」


 珠理亜に名を呼ばれ、体を一瞬大きく震わせると項垂れながら頭を下げる葵だが、珠理亜に睨まれ背筋を正す。


「私、葵優あおいゆう、本日付けで夕華のサポートと心春さんの経過観察及び、打開策を探すよう命じられたであります」


 なぜか敬礼をする葵。


「研究室を出されましたか。ご愁傷様です」


 小さな笑みを浮かべる井藤の言葉に敬礼のまま涙目になる葵。


「うぅ、社長に怒られました……」


「そこは怒られて済んで喜ぶところでしょう。普通ならクビですよ。

 さて、かく言う私も葵くんを手伝ってやってくれとは頼まれましたが、あまり役に立たないでしょうから、ここは葵くんに任せて私は帰るとしましょうかね。

 夕華の提出するデーターとレポートを楽しみにしていますよ。思わぬ収穫があって私としては大満足な結果ですねぇ」


 井藤は夕華の肩を叩くと去って行く。その背中に向かって彩葉は舌を出して悪態をつく。


「なによあいつ、最後まで嫌みったらしいぃ~」


 地団駄を踏み出す彩葉をトラが宥める。


「ごめんなさい」


 しょんぼりと項垂れる夕華が謝るとトラが優しく頭を撫でる。


「ううん、ボクの方こそごめんね。夕華は一生懸命にやってくれてたのに、夕華も寂しいのに気付いてあげられなくて」


 泣きそうな顔で首を振りトラにしがみつく夕華を、トラが抱きしめる。


「予想していた以上の変化……喜怒哀楽の怒と哀の感情パラメーターは振り分けそんなにないはずなのに。興味津々ですねぇ~」


 トラと夕華の姿を見てちょっぴり涙を浮かべる彩葉の隣で、ブツブツと呟く葵を彩葉が睨むと慌てて姿勢を正し、涙を拭うフリをしながらうんうんと頷き始める。



 * * *



「お嬢様、黙って帰ってよろしかったのですか?」


 珠理亜の後ろをついてくるきな子が尋ねる。


「ええ、あのままいても邪魔者でしかありませんわ」


 それだけ言うとしばらく沈黙が続き二人はオレンジ色に染まる夕日を背に歩く。

 長い影が二つ重なり歩くが一つの影が止まると、後ろの影も止まる。


「彩葉さんに頼られ首を突っ込んだものの、結局わたくし一人では何もできませんでしたわ。考えた結果お父様に相談することしか思いつきませんでしたもの」


「お嬢様は今できることを立派に果たされたと思います」


 十一月の低い太陽は二人の影を長く伸ばし、逆光は珠理亜の表情を隠してしまう。


「あれだけお父様に一人で何でもやってみせると豪語しておきながら、あの場を収めることも、友人に味方し助けることもできませんでしたわ。

 できないことの方が多いというのは悔しいですわね……」


 悔しそうな珠理亜の背中を見つめるきな子は、腕にかけてあったカーディガンを珠理亜にそっとかける。


「お嬢様、寒くなってきました。早く帰りませんと風邪を引かれます」


「ええ、そうですわね」


 そっと肩を押す、きな子に促され珠理亜は歩き始める。


 そして思う、あの場で、自分が彩葉の立場だったとして……


 遠い目をする前に突然鳴り始めるスマホはいつもより騒がしく感じ、画面に表示される彩葉の名前を見て僅かに笑みを浮かべる珠理亜が電話に出ると、


 〈もー勝手に帰らないでくれます! お礼くらい聞いてからでもいいじゃないですか!〉


「申し訳ありませんでしたわ。急ぎの用がありましたので、先に帰らせていただきましたの」


 〈そうだったんですか!? 用事があったのに突然呼び出してごめんなさい。どうしても珠理亜先輩に力を借りたかったんで〉


 しょんぼりした声の彩葉の声がスマホからハッキリ聞こえてくる。

 さっきまでの勢いとは打って変わるコロコロした感情の変化がスマホを通しても伝わる彩葉に対し、自然と笑みがこぼれる。


「わたくしは何もしてませんわ」


 〈ううん、そんなことないです。珠理亜先輩が来てくれて本当に助かりました。来てくれないかもって思いましたけど、来てくれたの、凄く嬉しかったです!〉


「わたくしも夕華と関わりがないわけでありませんし、お父様と電話を繋いだけ……さて、わたくしは今からやることがありますから電話切りますわ」


 〈忙しいのにごめんなさい。そしてありがとうございます!〉


 珠理亜は彩葉との通話を切った後、もう繋がっていない画面に向かって話し掛ける。


「あの場にわたくしがいたのであれば、間違いなくあなたを呼ぶ選択をしませんでしたわ。それはわたくしのプライド、意地……結果よりその場の自分の立ち位置を気にしてのこと。


 彩葉さん、あなたは冷静に判断し最適解を選ぶことのできる人なのですわね。わたくしは、まだまだですわね」


 珠理亜は少し寂しさの混ざった笑みを浮かべ呟くと、ゆっくり歩き始める。その背中を見つめながらきな子も歩き始める。



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 次回


『眠れる幼女に最適な環境を!』





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