第135話 器から零れる

 笠置の歌が進むにつれ、靄が晴れていき雷が落ちたあの日を段々と思い出す。


 心春は起動した。ベッドに寝たまま、ゆっくりと目を開けた心春の瞳が俺を映したとき、激しい轟音と共に眩い光に包まれ、心春の瞳は俺を映さなくなった。


 雷が落ちたなんてこの時は分からなかった。俺は何ともなかったが、心春は雷の影響をもろに受け全く動かなくなった。


 起動した時間は刹那。その僅かな時間を生きるために心春は存在したわけじゃない。


 心春に触れると温かい。アンドロイドは起動中に熱を放っているが、この温もりは雷によるもの。それでもそれにせいの温もりを感じた俺は願う。


 ここまで科学的に工学的に作り積み上げた存在を、理論的にじゃなくて天に向かって祈った。


 心春にすがりながら、泣きながら。日頃、神なんて信じないって言っていた俺が神に祈る。馬鹿だと揶揄されても、笑われてもいいと。


『この子は家族を知りたいって、だから教えるて約束したんだ……奇跡でもなんでもいい。この子を生かしてほしい……こんな短い命なんてあんまりだ。

 俺のこれまでの行いが悪いってなら償う。命でもなんでも捧げる、この子に世界を見せて……触れさせてほしい……たのむよ……』


 二度目の落雷はきっと答え。


 光に包まれ心春に触れてた俺は痺れる感覚と共に意識を失う。


 ──目の前にいるのは元俺。


 今はトラ。


 俺の為に必死に鍵盤ハーモニカの鍵盤を、たどたどしい指で押しながら音を奏でていく。


 ──お前は今幸せか?


 俺の視線に気が付いたのか、トラは俺と目が合うと大丈夫? と微笑む。自分のことで手一杯だろうに俺を気遣ってくれる。


 ──どこまでも純粋で、優しいヤツ。俺が勝手に作って、人間やれって、彼女も作れって無茶苦茶言っても必死に努力してついてくる。


 お前が一番大変だっただろうにな。


 俺は右手を動かすと元通り動くようになっていた。周りを見渡すと笠置が歌い、夕華が、きな子さんが、うっさ~♪ が演奏している。

 舞台袖には、母さんと、楓凛さん、珠理亜、來実、舞夏が見守ていて、観客席には彩葉とひなみがいる。

 もっと見渡せばクラスメイトもいて、他のクラスや学年にも知っている顔がある。


 ──ここ数か月でずいぶん知り合いが増えたものだ。これだけ賑やかなら大丈夫。


 トラは寂しくない。


 俺は右手でトラの腕にそっと触れる。トラが驚いた表情を一瞬見せる。


「もう動くでしゅから、後はわたちがやるでしゅ。ありがとう、トリャ」


 俺が微笑むとトラは嬉しそうな笑顔を見せ応え頷くと、そっと後ろに下がる。笠置たちも俺が演奏を始めたことに気付き、それぞれ笑みを浮かべ歌や演奏に集中する。


 俺はトラに見守られ演奏する。


 ──いつの間にか俺が見守られる立場になっていることが今は素直に嬉しい。


 笠置が歌い終わり深々と礼をすると、会場は歓声と拍手に包まれる。


 拍手を送る観客席の人たちに頭を下げたままの笠置は、肩を震わせ泣いていた。


 とても変わった子だと思ってたけど、笠置も夢や、やりたいことがあって自分なりに必死に追いかけてたんだろうなと思うと俺も涙が溢れてしまう。

 笠置はきな子さんに支えられながら頭を起こすと、マイクを手にして俺を見るが俺は首を横に振る。


「このバンドはかしゃぎがやろうって言ってできたバンドでしゅ。ちめ締めの言葉はかしゃぎがやってほしいでしゅ」


 笠置はきゅっと唇を噛むと、マイクを握る。


「今日は……DESYUでしゅ SYAIZUしゃいずの演奏を聞いてくれて……ありがとうなの!」


 いつもよりちょっぴり大きな声は、マイクを通して会場全体に伝わる。

 大きな拍手と歓声に包まれ、俺たちが大きく一礼すると幕がゆっくり閉じていく。


 閉じて尚、聞こえる拍手の音や歓声は幕を通して優しく伝わってくる。

 きな子さんと舞夏に支えられ控え室まできたとき、涙を拭く笠置のスカートをチョンチョンと引っ張る。


「かしゃぎ、バンドしょごくたのちかったでしゅ! 誘ってくりぇて、ありがとでしゅ」


 笠置はふるふると首を横に振る。


「私の方がありがとうなの。心春ちゃんがいてくれたから……こうやってできたの……」


「前も言ったでしゅ、かしゃぎがバンドやろうぜって言わなかったら、始まってないでしゅよ。かしゃぎの声で皆があちゅまったんでしゅ。しょして皆がいたからできたんでしゅ」


 我ながらクサイセリフだ。普段なら恥ずかしくて絶対言わないセリフだけど、今なら言える。いや今言うべきセリフだろう。


「うん……みんな、ありがとうなの。私……楽しかった……またやりたい……」


 目をうるうるさせてお礼を言う笠置に、バンドメンバーの俺、夕華、きな子さんにうっさ~♪ そして舞夏たちも優しくうなずく。


 笠置に誘われたときは正直嫌だったし、めんどくさかった。

 でも、今は凄く楽しいしやって良かったと、またやりたいとさえ思っている。


 不意に俺の右手を優しく掴まれ見上げると、何か言いたそうに俺を真剣に見るトラの顔があった。


 この雰囲気を感じとって、言い出せないのだろう。口を開けようか悩みモゴモゴするトラに成長を感じてしまう。

 母さんや他の人も、事情を知らない笠置や俺らの周りを忙しそうに駆ける実行委員の人たちに聞かれるのを避け、口に出してないのだから。


 俺は左手でトラの手を優しく叩くと、手を離してくれる。


「トリャ、しゃっきはありがとうでしゅ。大舞台で頭がまっちろになったでしゅ。

 みんなに迷惑かけてごめんなしゃい」


 頭を下げる俺を見て、笠置は首をふるふると全力で振ってくれる。


「あっ! そうだ! 打ち上げ。打ち上げをしよう! ねっ? せっかくこうして集まったんだしさ! 今日の帰りでもどう?」


 笠置以外、俺の誤魔化しに気付いて微妙な空気になりかけたところを、舞夏がパン! と手を叩き発言する。


「わたちもやりたいでしゅ!」


 舞夏の助け船に乗ったのもあるし、本当に楽しそうだと言うのもあって賛同したら、母さんも了承してくれ、皆も頷き打ち上げが決定する。


 俺がトラの服を引っ張ると、ちょいちょいと手招きし耳を近付けさせる。


「しょんな顔しゅるなでしゅ。お前、いりょはと約束があるんでしゅよね? なりゃ行ってあげるでしゅ。

 お前に隠し事はもうしないでしゅから、安心するでしゅ」


 ちょっぴり不服そうな感情が入り交じった表情を見せながら頷いたトラは、彩葉のところへと向かうため控え室から出ていく。


 その背中を見送った後、俺は自分の右手を見つめ、この後のことを考える。


 まずはひなみへの説明。黙って見過ごしてくれる相手ではないよな……。トラと一緒に話すか……。


 歩くと右手と右足が遠くに感じる。


 動くけど自分の手足じゃない感覚。


 もうこの体にいれるのも限界なのかも。


 トラは願い通り器に収まるべくして収まったが、俺は多分おまけみたいなものだろう。


 泣きそうな気持ちをぐっと抑える。


 目の前の楽しそうに笑う笠置の姿がなかったら心折れてたかもしれない。それに大切なことを思い出す切っ掛けを作ってくれたバンドに誘ってくれた笠置に、心の中でありがとうと呟くのだった。


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 次回


『打ち上げは盛り上がらないわけがないわけで』

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