第105話 夏休み最後はご挨拶からなわけで
ツクツクボウシが鳴く夏のお昼、トラは緊張した面持ちで、日差しが照り返す道路を歩く。
手に持った紙袋を時々チラッと見て存在を確認しながらアパートの前に立つと、シャツの襟を整えて階段に足を掛ける。
鉄の階段を足でカンカン鳴らし上がっていくと、『茶畑』の表札のドアの前に立つ。
唾をゴクリと一呑みすると、インターフォンのボタンを押し込む。
チャイムの音が内側から響き、トラがしゃべる前に、インターフォンから、「今開けますから、待っててください」ちょっぴり慌てた元気な声が響く。
元気な声とは対照的に、そぉっと扉が開くと扉の隙間から顔を覗かせる彩葉。
背の低い彩葉はどうしてもトラを見上げる格好になる。いわゆる上目遣い。
トラはドキドキである。
本人もこの辺りの感覚がよく分からない。自分を自覚し始めて色々と感情が複雑化してくる。
彩葉に告白してそれは更に加速し、彩葉を見ると前以上にドキドキする。それを感じるととても嬉しくて幸せになるのだ。
今感じているドキドキを伝えるべきかどうか。伝えるならどう表現すべきか。トラは、心の中で一旦考える。ちょっと前のように突発的に発言するのではなく、間を置いて考えて話すことが意識すれば出来るようになった。
大きな成長である。
「彩葉、可愛い」
気持ちを伝えるのに言葉は、長ければ良い訳ではない。短く適格に、ドキドキの元である彩葉について述べる。
しっかりと考えて発言するトラの成長を感じられる一言ではあるが、結局表現はあまり変わらない。
至るまでの道順と深さが違うだけで、周りから見たらさして変化はない。
かあぁぁぁっと顔を真っ赤に染める彩葉は思わずトラの足を蹴ってしまう。
「そ、そそそそそんなこと言いに来たわけじゃないですよねっ! 人の家に来て開口一番それとかっ! まったくもぅ! どこでもかしこでも、そうやってすぐに言うんですから! 言われるこっちの身にもなってください!」
足の
怒ってて赤いのか、恥ずかしくて赤いのか、彩葉本人も、もう分からない。
「あのさぁ、お二人の仲が良いのは分かったから、玄関でいつまでもいちゃついてないで、上がってもらえないかな?」
玄関で騒ぎ、いつまで来てくれない2人の元にやって来た彩葉の母、
「初めてまして、ボク、あ、いや、私、梅咲虎雄と申します。よろしくお願いいたします。
本日はご挨拶に伺うお時間を頂き、ありがとうございます」
虎雄の母、
「茶畑虹花、彩葉の母です。こちらこそ、よろしくお願いします。さっ、いつまでもここじゃ悪いから上がって」
優しい笑顔で挨拶を返してくれた虹花に、トラはホッと胸を撫で下ろす。挨拶の練習の成果があったことを母に感謝しながら玄関を上がり、靴を並べる。
リビングに通されると彩葉が持ってきたお茶を前にして座ると、持ってきたお菓子を手渡す。
「あら? このお菓子
トラから渡された箱を虹花が驚いた表情で、まじまじと見る。
「あ、はい。商店街にある扇ケーキの焼き菓子です。ボクあそこのケーキが好きなので、お口に合うかなと思って買ってきました」
虹花は自信満々にオススメするトラを見てふふっと笑いを漏らす。
「私もこのケーキ屋さん好きなんだよ。昔よく行ってたけど、もうずっと行ってないなぁ。扇のおじちゃん元気?」
「おじちゃん……あ、
「ちょっと、2人で盛り上がらないでよっ!」
盛り上がるトラと虹花の間に彩葉が割って入る。
「ああごめん、ごめん。お母さん商店街にあんまり行かないからさ。この焼き菓子が懐かしいなぁって」
「あっ……ごめん」
勢いよく口を挟んだものの、虹花の言葉の意味を察し、しょんぼりする彩葉。
「謝らなくていいよ。商店街に行きづらくなったのはお母さんのせいだし。
でもほら、いづらいからこっちの校区に住んだわけだけど。そのお陰で、虎雄くんと朝からお散歩出来たんだから、良いこともあったじゃない? 結果オーライってやつ?
そう考えたら、お礼の言葉の方が欲しいかなぁ」
「うぅ……その言い方はなんか卑怯だぁ」
笑顔の虹花に対し彩葉は、頬を僅かに膨らませ小さく抗議する。
そんな2人のやり取りを興味津々に見ていたトラは、彩葉の日頃見せない一面を見れた気がしてちょっぴり嬉しくなる。
「おっと、大分話が逸れちゃったね。今日は挨拶に来てくれてありがとう虎雄くん」
虹花の言葉で当初の目的を思い出したトラは慌てて頭を下げ、練習した台詞を並べる。
「彩葉さんとの交際させていただいています。今日は彩葉さんのお母様に御挨拶に伺いさせていただきました」
「丁寧な挨拶されると緊張しちゃうな。もっと普通な感じで話してほしいけど、いきなりは難しいかな。
彩葉の母親としては挨拶に来てくれた虎雄くんは凄く好印象だし、うれしいんだけど、一つ聞いていい?」
下げていた頭をおそるおそる上げながらトラは虹花を見て「はい」と返事する。
「高校生で交際の報告する為、親に挨拶に来るって珍しいと思うんだけど、どうして挨拶に来ようと思ったのかな? すごく気になるんだ」
虹花の質問に少しだけ間を置いてトラは、自分の言葉を並べる。
「ボクは彩葉さんのことが好きです。でも完全に彩葉さんのことを知りません。だからもっと知りたいんです。それは彩葉さんの家族も含め全部です」
真っ直ぐな瞳で答えるトラの横で、顔を真っ赤にしてうつ向く彩葉だが、トラの言葉は止まらない。対し虹花は興味津々である。
「以前彩葉さんに、家族になろうって言いました。そのときは変な奴だって思われたみたいですけど、ちゃんとその言葉を言ったボクのことを考えてくれたんです。
彩葉さんがボクに一緒に好きだってことを、人を好きにっ!?」
「なっななな、なにを!? なにを言ってるんですか!? ちょっと黙ってたらすぐ調子にのるんですからっ!!」
「ひいっっ、ごめん、ごめんなさい」
隣に座っていた彩葉が立ち上がり、トラの肩を掴み激しく揺さぶる。真っ赤な顔でトラを揺さぶる娘を見て虹花は嬉しそうに笑う。
「ふふっ、虎雄くんって聞いていた以上に面白い子だねっ。それに彩葉のそんな顔初めて見たっ、ふふふふっ」
彩葉は揺さぶっていた手を止めて、揺さぶられフラフラのトラもちょっぴり揺れる視界で、笑う虹花を見つめる。
笑い過ぎて目に溜まった涙を拭いながら虹花は2人を交互に見る。
「虎雄くん、彩葉のこと宜しくお願いします。彩葉も虎雄くんを大切にしなさいよ」
「はいっ!」
と元気に答えるトラの横でコクコクと小さく頷く彩葉。
そんな2人を見る虹花はちょっぴり心に温もりを感じる。
それは久しく感じてなかった、感じていたかもしれないが、忙しくて気が付いていなかった幸せという温もり。
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次回
『母と娘なわけで』
後一話で、夏休みが終わります。長かった夏休み……でも今は夏休みが欲しい(切実)
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