窓際

 冬になると彼女は窓際に座るのが好きだ。

「太陽の光があったかいんだもん」

僕がどうしていつも窓際にいるのか尋ねた時に彼女が言った言葉。

「ストーブに当たってた方があったかいでしょ」

僕が言うと、彼女は小さく首を振っただけだった。

カーテンを開け放した窓から透き通った光が差し込んでいて、もともと色白な彼女がその光に照らされるとさらに白さが増して輝いて見える。

彼女は窓際で太陽の光に包まれながら本を読む。体育座りで、膝の上に本を乗せて。丸まった背中を眺めながら、僕はコーヒーをいれる。たまに聞こえてくる彼女が鼻をすする音。

「コーヒーいれたけど飲む?」

僕が聞くと、彼女は僕の方を振り向いた。

「飲む」

発したのはたった二文字だというのに、彼女の嬉しそうな声に僕の胸はときめく。僕はマグカップ二つを持って彼女の隣に座る。彼女はしおりを本に挟んで床に置いてから、その一つを自分の膝へ持っていった。さっきまで本のいた場所にマグカップがおさまる。

彼女が読むのはいつも恋愛小説で、僕が読んだことのあるものは一つもない。

「辻仁成のね、目下の恋人が好きなの」

彼女に一番好きな本を聞いたときに彼女は言った。その時は特に気にもとめなかったけれど、コーヒーをすする彼女を見ていたらその本が気になってきた。

「ねぇ、こないだ目下の恋人って本が好きって言ってたけど、どんな話なの?」

こんなことを聞くのが初めてだったからか、彼女は一瞬ためらって、だけどすぐに目を輝かせて語り出した。

「プレイボーイの男の子と付き合ってる女の子の話でね、そのプレイボーイの男の子が女の子のことをお友達とかに目下の恋人って紹介するの」

「目下って当面のところって意味じゃん」

「そう、当面のところ。目下の恋人。でもね、その目下の恋人って紹介することに男の子の愛情があったことを知るの」

「どういうこと?」

意味がわからず僕が尋ねると、彼女は微笑みながらコーヒーを口に含んだ。口の中にあるコーヒーの香りを楽しむように鼻から息を大きく吸って、ゆっくりと飲み込む。

「言葉にしないと想いは伝わらないけど、言葉の本質がわからないと気持ちを理解するのは難しいって感じかな」

僕は彼女の言っている意味が分からなくて、黙って頷いた。

「そろそろ夕飯の支度しようかな」

彼女はマグカップと床に置いた本を持って立ち上がった。それをテーブルに置くと、手首につけていたシュシュで長い髪を束ねる。窓際に座っていた時はか弱く見えたのに、今の彼女の後ろ姿は、なんだかたくましく見えた。

僕が彼女の全部を理解するなんて無理だろう。彼女の思っていること、感じていること、それらは全て彼女のものだから。だけど僕は彼女のことを理解したいと思い続けるのだろう。

「目下の恋人、読みたいな」

僕も立ち上がって言った。

「本棚にあるよ」

彼女は僕がそう言うことを予想していたかのような顔で、ためらいなく言った。

本棚から取り出した一冊の本。これを読み終わった時、僕はどんな感想を持つのだろう。それを彼女に伝えた時、彼女はどんな顔をするのだろう。

「恋人も夫婦も、結局のところ当人同士にしかその形は決められないんだよね」

僕が本のページを開くのを戸惑っていると、彼女は言った。

「え?」

「あぁ、その本の話」

冷蔵庫から取り出した大根を片手に、彼女は言う。僕はあえて何も言わなかった。

部屋の中に、大根を刻む音が静かに響く。僕はそれを聞きながら、本のページをめくった。

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