第五十二話 乱戦、鈍る心
三人は巨大な倉庫の立ち並ぶ一角を走り抜け、海が陸地に入り込んでいる辺りで自転車を乗り棄てた。そこには一隻の船が錨を下していたが、それ以外には何も変ったところはなく、人影さえもがなかった。しかし現場が海の近くであるということはわかっているので、三人は周囲を見廻しながら、慎重に港の奥へと足を踏み入れていった。
やがて、外海に面した岸壁の端まで来た。巨大なクレーンが、灼けたアスファルトに濃い影を落していた。揚げた魚を保管するのであろうコンクリートの冷凍倉庫と岸壁との間には、広いアスファルトの空間があったが、誰の姿もそこにはなかった。
「もう変身しておいたほうがいい」
碧衣の言葉に、二人は頷いた。三人はステッキを取り出し、一斉に叫んだ。
「博愛の天使、ユーストピンク!」
「理智の天使、ユーストアクア!」
「情熱の天使、ユーストイエロー!」
「力よ来れ!」三人の掛け声が重なり合い、一斉に三人は変身した。
陽菜は半ばはステッキの命じるまま、半ばは碧衣たちの真似をして変身したのだったが、その言葉を叫んだ瞬間、自身の全身が黄色の光を発したことに驚いた。そのまばゆさに思わず彼女は眼をつむったが、やがて恐る恐る眼を開けたとき、自分の服装が白いドレス、それも黄色が所々に入ったものに変っているのを見た。更にショートカットの髪までが、まるで檸檬のような鮮やかな黄色に染まっているのを確かめて、或る程度予想していたことではあったものの、改めて不思議さを感じずにはいられなかった。
桃香や碧衣はちらと陽菜の変身した姿を一瞥したきりで、慎重に辺りを見廻していた。しかし敵の姿はなく、更にそこから奥へと進んでいったところで、何かを発見したらしい桃香が叫んだ。
「あ……あれ!」
彼女が指差した先に、何かが転がっていた。それをちらと見て、陽菜は猛烈に厭な予感がした。二人が駆け寄っていったので、陽菜も躊躇しつつその後に続いた。それが何であるかを悟ったとき、陽菜は反射的に後ずさり、口を両手で押さえた。
「被害者の腕ね」
「まだ敵は、近くにいるんじゃないでしょうか……」
冷静に言葉を交す二人を、信じられないような思いで陽菜は見つめていた。それから恐る恐る、もう一度コンクリートの上に転がるその物体へと目を遣った。老人のものらしき腕は、爛れたような断面を、灼けつく日光に晒して転がっていた。陽菜は瞬間的に吐き気を感じた。その場に蹲み込むと、忽ち地面へと嘔吐した。二人のユーストガールの、振り向く気配がした。
「陽菜ちゃん、だいじょ――」
「情けないわね」桃香の声を遮るように、碧衣が言い放った。「そんなことでは到底、ユーストガールは務まらないわよ。ここにいる桃香も、最近は多少ましになってきたけれど、最初はあなたと同じだったわ」
やがて陽菜は、手巾で口元の吐瀉物を拭い、何とか立ち上った。
そのときだった。不意に三人の上に影が落ちたかと思うと、何者かが凄まじい勢いで落下してき、地面に着地するや否や、手にした槍のようなものを、ユーストガールたちに向って突き出した。陽菜は危うくその刺突を受けかけたが、咄嗟に地面に伏せて避けた。敵が襲来したのだと悟り、瞬間的に戦慄を感じながら、彼女は桃香の叫び声を聞いた。
「モンプエラ!」
打って掛かった桃香のユーストステッキと、敵の槍とが衝突した。顔を上げた陽菜は、碧衣がユーストソードを召喚して桃香に加勢しようとするのを見たが、そのとき唐突に倉庫の陰から現れた別の少女が、笑い声を上げながら碧衣に飛び掛かった。少女の斬撃を碧衣はユーストソードで受け止め、そのまま二人は交戦を開始した。
その隙に陽菜は急いで起き上り、体勢を整えようとしたが、桃香と戦っているモンプエラの姿を見て、思わず動きを止めた。
思えばそれが、散々悪魔だと白井や碧衣に聞かされた、モンプエラなる生き物を、まともに目にする初めての機会だった。その時まで陽菜は、人間の姿からは遠く離れた異形の怪物を、恐ろしく脳裡に思い描いていた。しかし今、目の前で桃香と武器を打ち合せているのは、高校生ぐらいの年齢の少女にしか見えなかった。
彼女――オクトパスモンプエラは、白い輪を散らした模様の臙脂色のスカートに、黒いジャケットを身にまとっていた。髪は茶色のショートで、赤いベレー帽を被っている。ごく普通の、何の変哲もない少女にしか陽菜には見えなかった。
続いて陽菜は、碧衣と戦っている少女――シーアネモネモンプエラにも目を向けた。桃色のブラウスとスカートを身にまとった、髪の長い少女である。頭には赤い花を付けてもおり、人外らしき点はどこにも見当らない。これが殺人を繰り返してきた恐ろしい怪物、白井たちの言う悪魔なのだろうか? 桃香たちはこんな少女たちを、本当に殺してきたというのだろうか?
陽菜はユーストステッキを構えていた手を下し、困惑しながら二人の戦う様を眺めていた。本当に相手が敵なのか、殺してしまってもよい相手なのか、そんな疑問が湧き出してきて仕方がなかった。彼女はその時、自分の背後に転がっている、死んだ人間の腕をさえ忘れていたのである。
「ねえ、やめて! 二人ともやめて!」陽菜は叫んだ。
「え……何……?」
反射的に陽菜を振り向いて隙の生じた桃香の身体に、オクトパスは素早く蹴りを打ち込んだ。そして桃香がよろめいて体勢を崩したところへ、口を尖らせて、黒い液体を吹き付けた。敵の口から噴出された、墨汁のようなその漆黒の液体を、桃香はまともに顔面に喰らった。
オクトパスは笑い、次の瞬間、胴体の左右から各々三本ずつ、計六本の吸盤の付いた触手を出現させた。その光沢を放つ暗赤色の触手は、視界を確保しようと眼を必死で瞬いている桃香を忽ちにして絡め取り、高々と空中に持ち上げた。陽菜は愕然として、その光景を見つめていた。
目の前で展開されていることが、陽菜にはまるで信じられなかった。先程まではただの少女にしか見えなかったモンプエラの身体から、おぞましい触手が一斉に飛び出してきたのである。恐怖と衝撃に立ち竦む陽菜へ、オクトパスは愉しげな視線を向けた。そして桃香を縛り上げて尚も余った三本の触手が、陽菜のもとへと襲い掛かってきた。
「ちょ……ちょっと待って! 一旦話し合おうよ!」
陽菜は両手を上げてそう叫んだが、触手は一切頓着なく、陽菜の身体に絡みつき、強く締め上げた。陽菜は初めて、恐怖の悲鳴を上げた。
その頃、碧衣はシーアネモネの剣を強烈な斬撃で弾き飛ばし、すかさず飛び蹴りを打ち込んで、離れた場所へと相手を蹴り飛ばしていた。そして剣を捨て、空中に手を伸ばして、ユーストボウを取り出した。
「中々やるのね、あなたも」
シーアネモネは微笑して立ち上ると胸を張り、その胴体から、鮮やかな赤色の触手を飛び出させた。触手は一斉に碧衣へと向って襲い掛かったが、彼女は慌てなかった。弓を肩に掛け、素早く跳躍してこれを躱すと、高々と舞い上がった空中で身体を回転させながら、再びユーストソードを召喚した。敵は咄嗟に上空を見上げたが、碧衣が降下しながら体勢を整え、剣を振り下ろすほうが、触手が反応するよりも早かった。
動きの鈍った触手を、碧衣は空中で、数本まとめて切り落した。そして地面に着地する否や、残る数本に斬撃を加えて切断した。シーアネモネは為す術もなく動きを止め、唸りながら二本目の剣を取り出した。触手は再生機能を持つものであったが、目の前の敵に対処するには、余りに時間が掛かり過ぎたのである。
しかし碧衣は、攻撃の手を緩めなかった。肩から弓を取り外し、矢をつがえて放ったのである。殆ど狙いを定めていないような射方であったにも関わらず、その射撃は正確だった。今度こそ矢は真直ぐに敵へと向って飛んでいき、剣を携えて飛び掛かってこようとしていたシーアネモネは、それを躱すことができなかった。
矢は微かな蒼白い残像の尾を引いて、深々とシーアネモネの、桃色のブラウスの胸に突き刺さった。鏃は、恐らく心臓を貫いていた。彼女は大きく眼を見開き、血を吐き出すと、まるで信じられないものを見るかのような視線を碧衣へと向けたが、次の瞬間、その身体は爆発して粉々に砕け散った。爆音とともに炎が吹き上り、黒煙が濛々と立ち昇った。
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