12.「平和な一日の終わり。――まるでそれは、嵐の前の静けさのようで」

 そして、脱衣所にて――


 もわもわと、熱気あふれるお風呂場から出た僕たちは、お風呂上がりで水がしたたる体をタオルで拭くと、各々寝間着姿に着替えたのだった。

 リゼが着替えたのは、透き通るような亜麻布リネンの白い寝間着ネグリジェ

 一方のエレナは、男装の延長なのか、男物の肌着にズボンという出で立ちだ。


「……へぇ、エレナって、コレで胸を押さえつけてるんだ。ふぅん……ここの留め金を外したら、どうなるのかしら?」


 ――ばいんっ!

 リゼの手により制約を失った大質量が、勢いよく弾ける。

 そしてエレナは顔を真っ赤に染めて、慌てて胸元を押さえるのだった。


「っ……! リ、リゼっ! 君は私に何か恨みでもあるのかぁっ……!」


 一方のリゼは、「ふんふふーん」と鼻歌混じりでどこ吹く風。そんな女の子同士のじゃれ合いを目の前にして、僕は微笑ましい気持ちになるのだった。

 最近はリゼもエレナも、お互い打ち解けて来たみたいで……

 もはや初対面の頃が懐かしくなってきたぐらいだ。確か二人とも、睨み合いをしていたっけ。今の二人を見ていると、それが遠い昔のように思えてくる。


 そして僕も、タオルで髪を拭いていたのだが……。

 そういえば、ギブリールの姿が見えない。いつも夜になると帰ってしまうから、もしかして今日はもう『向こう』に帰ってしまったのかも知れないな。


 さっきお風呂場で盛大に鼻血を出していたから、少し心配だ。

 けど、どうしたんだろう? 何か『大きい』みたいな事を言ってたけれど……。

 天使なだけあって、体は丈夫なはずだから、大丈夫だとは思うけれど……後でお見舞いに行った方がいいかも知れない。


 ……あれ? そういえば、いつもギブリールの方から僕の元に来てくれるけど、僕の方から『向こう』にコンタクトを取る手段はないんだっけ。

 困ったな……ギブリールの体に何か無ければ良いんだけれど……。


 そして寝間着姿の僕たちは、脱衣所を出ると、寝室へと戻ってくる。

 例のキングサイズのベッドが中央にドン! と置かれた、広い寝室である。

 窓際では、ベージュのカーテンがゆらゆらと揺らめいており、お風呂上がりで火照った体に心地よい風が吹き込んでいた。


 ――静かな夜だ……。

 そして僕たちは、各々夜のときを過ごすのだった。



  ◇



 そして――しばらくして。

 静かなフロリアの夜を、コツコツコツと、壁時計が時を刻んでいた。


 床に座る僕の手元にあるのは、大事な『商売道具』の数々だ。

 道具は大事にしないと、肝心な時に裏切るからな……特に『暗器』は繊細だから、こうやって小まめに手入れをしないと、すぐにガタが来てしまう。


 僕は視線を上げる。もう十時か。そろそろ明日に備えて、眠っても良い時間かも知れない。


 そして僕は暗器を片付けると、ベッドへ向かおうとしたのだが……。

 僕は無意識にリゼの姿を探す。リゼはすぐに見つかった。一人窓際で佇むリゼ。

 リゼは窓の向こうの夜の町を眺めていた。その横顔は、どこか物憂げで……。

 僕は静かに近づくと、思わずリゼに声を掛ける。


「どうしたんです、そんな所で。薄着なんだから、風邪を引いちゃいますよ?」


 そう言って、僕は手に持ったブランケットをリゼに掛ける。


「ん……ありがとう、トーヤ君。暖かいわ」


 良かった。どうやらリゼは、気に入ってくれたようだ。

 そしてリゼは、続けて言う。


「……ねえトーヤ君。ここからの眺め、綺麗だと思わない?」

「……ええ、そうですね」

「私、想像してたの。あの光も……きっと普通の家だけど、お父さんとお母さんがいて、小さい子供もいて……普通の生活をしてるんだろうって。私には、小さい頃から家族が居なかったから……」


 そう言ってリゼは、切なそうな、寂しそうな、そんな顔を僕に見せる。

 しかしリゼは、僕を見ると、精一杯の笑顔で微笑む。


「けど……今は楽しいわ。トーヤ君もいるし、エレナも……一人でいる時より、ずっと楽しい。今まで、ずっと一人だったから……」


 ――リゼは、僕と同じなんだ。

 そして僕は、小さい頃のことを思い出していた。

 大好きだった、母さんを亡くして。大人は誰も、頼れなくて。

 ただただ、寂しかった……。

 あの頃は、家族の暖かさに飢えていた。人肌の温もりが欲しかったんだ……。


 そして僕は、リゼの手を握る。

 二人の指は絡み合い、二人の接点は熱を帯びてゆく。


「んっ……トーヤ君……」


 いつも無表情なリゼだったが、今は顔をポッと赤く染めていた。

 熱を帯びた視線で、リゼは僕を見つめる。見つめ返す僕。

 そして僕はリゼの髪を撫でると、優しく宣言するのだった。


「――大丈夫ですよ。これからずっと、僕たちは一緒ですから」



  ◇



 灯りを消し、暗くなった寝室のベッドの上で、僕たちは三人揃って横になる。

 一つの布団を三人で共有しながら……僕たちは、同じ天井を見上げていた。


 寝息、そして衣擦れの音が、直に聞こえてくる距離である。

 今まさに、同じ一つのベッドの上で――リゼもトーヤもエレナも、これまで体験したことがない夜を体験しようとしていた。


 ――リゼは無言でトーヤの胸元に抱きつくと、まるで抱き枕を抱きしめるかのように、ギュッとくっつく。

 そしてトーヤもそんなリゼを受け入れるように、優しく抱きしめるのだった。


(……なななっ、二人ともっ、積極的過ぎだろうっ……!? そのっ……ベッドの上で抱き合うなんてっ……)


 隣で動揺するのはエレナである。

 目の前に見えるのは、トーヤの背中だ。お風呂場でも思ったことだが……着痩せするたちなのか、トーヤの背中は、エレナにはずっと大きく見えていた。

 

 ――わ、私も、少しぐらいなら……


 ガサガサ……エレナはゆっくりと、トーヤの背中に近づく。衣擦れの音にドキッとしながらも、エレナはゆっくりとトーヤの背中に抱きついたのだった。

 そして――トーヤの体が、一瞬ビクッとする。


(っ…………!)


 ――バサッ! 急に恥ずかしくなったエレナは、慌ててトーヤから離れると、布団の中に潜ってしまう。

 ダメだっ……! 私には、リゼみたいには出来ないっ……!

 顔を真っ赤に染めて、エレナは天井のシミを数え始める。

 カサカサ、カサカサ……隣から何か聞こえるが、気にしないっ。


 そして――エレナは緊張で胸を高鳴らせながらも、一人考えるのだった。

 

 ……これから自分は、王都へと向かう。

 王都シドニス――良い思い出ばかりとは、お世辞にも言えない場所だ。けれど……絶対に、いつかは戻らなければならなかった場所でもある。


 ――リゼ。

 ――トーヤ。


 君たちが『選ばれし者』だと言うのなら……私も覚悟を決めよう。

 私自身の『使命』を果たすために……。


 エレナは二人の隣で、静かに決意する。

 そして三人は、各々の想いを胸に、ゆっくりと眠りにつくのだった。


 しかし――三人は、すぐに目を覚ますことになる……。

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