08.「高級宿にて。えーっと、リゼさん? 三人でお風呂って……?」

 ナイフとフォークを手に、カチャカチャと食器が小気味良い音を奏でていた。

 ――僕がこんなに幸福で、果たして良いのだろうか……?

 僕は豪勢な料理を口に運びながら、自問自答していた。


 ――僕は今、知らない世界の、知らない贅沢を楽しんでいる。


 学院でもそうだった。綺麗な部屋。美味しい料理。

 全部がそうだ。今までの僕には、欲しくても決して手の届かなかった物……。


 ――こんな贅沢、知らなかった……。

 そして何よりも恐ろしいのは、自分がこの贅沢に慣れつつある、ということだ。

 受け入れつつある。この環境を、恐ろしいほどに恵まれたこの生活を……。


 ――ひょっとしたら、もう十年か二十年したら、僕もあの『ゴルギース伯爵』みたいになってしまうのかも……。


 頭に浮かんだを振り払うかのように、僕はブンブンと首を振った。

 そして僕は、暗殺者時代の先輩とのやり取りを思い出す。


「フフン♪ こうイう仕事を続けてクと、嫌でもお金が貯まるのネ♪ ……トーヤは何故かお金が飛んで行ってルみたいだケド」

「……僕には欲しいモノがあるんです。どうしても欲しいモノが……」

「へえ、それを買って、どうすルのかナ?」

「足掛かりにします。更に欲しいモノを手に入れる為に」

「ふゥん、成ル程。……ウンウン、良い人生ダ♪ 飢えル狼の如く、迷ウ事がなイ。……才能溢れル君のことダ。きっと大望を成スだろう」


「……たダ、本当ニ大変なのは為した後ダ」

「為した後、ですか?」

「そうダ。……為すべキ事を為しタ後の喪失感。欲しかったモノが、目の前ニあるのが当たり前になル日常。慣れていクという事は、『人生が希薄になル』というコとなんダ。……そんな時私ハ、敢えテ『死地』に臨ムようにしていル」

「死地に……?」

「そう、死地だヨ♪ 生きルか死ヌか――そんナ世界に身を投じれバ、『当たり前ノ日常』なんてモノは無くなル。全てのモノが、生き生きしテ見えてくルんだ♪」

「…………」


 ――その時僕は、先輩の言う事は分からなかったけれど……今なら何を言おうとしていたか、何となく分かる気がする。


「死地、か……」


 その言葉の重みを、痛感しながら。

 そして僕は、"その言葉"を噛みしめるように呟くのだった……。



  ◇



 そして、食事の後――。

 リゼとレオ、そして僕の三人は、フカフカのベッドの上に座っていた。


 目の前に広がっているのは、『とらんぷ』という名の紙の束。

 これは、フロリアの市場で行商人から手に入れたものだった。


 どうやら異国の玩具らしく、札には数字と絵柄が記されている。

 行商人曰く、『海の向こうの国で流行っているらしい』とのことで、中々の掘り出しモノのようだった。


 その遊び方も、行商人から教えて貰っていた。

 決まった遊び方があるわけではなく、様々な遊びができるのだそうだ。


「ねえ、、やってみない?」


 夕食を食べ終えた後、そう言ってリゼが僕たちを誘う。

 そして、早速遊んでみようという話になった僕たちだったけれども――


 ――なるほど、これは楽しい……!


 シドアニアにも"数札かずふだ"という札を使った遊びはあるけれども……それと違うのは、その『拡張性』の高さだ。

 数字、そして絵柄……それらを組み合わせて、様々な遊びが出来る……!

 なるほど……これは一日ではとても遊び尽くせるものではない。


 最初は手探りで遊んでいた僕たちだったが、徐々に遊び方を飲み込んでいき……やがて負けず嫌いの僕たちの間で、真剣勝負が幕を開ける。

 そして僕たちは、時間を忘れて『とらんぷ』に熱中するのだった……。



 …………。

 ――そして、しばらくして。

 リゼとレオの間で繰り広げられた死闘デットヒートは、『これ以上はキリが無いから』と始められた最後の三戦を、辛くも勝ち越した、リゼの勝利で幕を下ろし――

 熱戦の余韻もそのままに……僕たちは『とらんぷ』を片付けると、お風呂の支度を始めたのだった。


 ……しかしそれにしても、最終戦、リゼの最後の手は見事だった。

 あそこまであの手を温存していたなんて……そして、まさにあそこしか無いというタイミングで使うなんて……まさに『天性の勝負師』と言わざるを得ない。


「くっ……! ここでそう来るかっ……!」

「……切り札は、最後まで残しておくものでしょう?」


 ――物凄い上級者同士の会話だ……! 僕は思わず息を飲む。

 そしてレオは降参すると、悔しそうに手を明かしたのだった。


「リゼ、今日のところは負けを認めるが……次は負けないからなっ!」

「……残念だけど、次も勝たせて貰うわ」


 まるで、宿命のライバル同士の応酬だった。

 そしてレオは一早く着替えを用意すると、ベッドに腰掛け、『とらんぷ』を手に考え事を始めるのだった。

 流石は負けず嫌いのレオだ。

 もしかしたら、次の戦いに備えているのかも知れない……。


 そして、その一方で――僕が着替えを用意している隣で、リゼは何やらガサゴソと荷物を探っていた。

 そしてリゼは荷物の中から、あるモノを取り出す。

 それは――商人の女の子からお礼に貰った、石鹸だった。


「……これ、せっかく貰ったんだし、みんなで使わない?」


 そう言ってリゼが、僕たちに一つずつ石鹸を手渡す。

 ……良い匂いだ。手触りも、凄くいい。


 そう言えば、確か『翡翠の国』の石鹸、みたいなことを言ってた気がする……。

 『翡翠の国』についてはよく知らないけれど……あの口振りからして、とても良い品であることは容易に想像がつく。


「それにしてもこれ、良い石鹸ですね」

「うむ、何しろ『翡翠の国』製の石鹸だからな……! 最高級の品質だが、上流階級でも中々手に入らないと聞く。聞くところによると、同じ重さの金塊と取引されているとか……まさか、こんなモノを貰えるとは……!」


 そう言ってレオは、興奮したようにに石鹸を眺める。

 そして僕も、改めて手元の石鹸を見つめるのだった。


 良い石鹸だとは思っていたけれど、これってそんなに良い石鹸だったんだ……。

 そう考えると、かなりの大奮発だったに違いない。

 もし僕たちに渡さなければ、きっと目玉商品になっただろうに……。

 その値打ちを聞かされて、流石に申し訳なく感じてしまう。


 ……とにかく、貰った物は仕方ない。今更突っ返す訳にもいかないし、僕たちで使ってあげるのが、せめてもの礼儀というものだろう。


 しかし、そうすると……僕たちの中で、誰が最初に使うのだろうか?

 うーむ、あのゼラスから真っ先に女の子を庇ったのは、他でも無いリゼだし……やっぱり、リゼが先に使うのが良い気がする。


 そしてリゼは、僕たちの方を振り返ると、僕たちに向けて言うのだった。


「それじゃあ早速、三人でお風呂に行きましょう?」

「って、一緒に入るんですかっ?」

「そ、そうだっ。三人で入る必要はないじゃないかっ」


 唐突に投下されたリゼの爆弾発言に、僕とレオは慌てて食い下がる。

 しかしそんな様子に、リゼは不思議そうに首を傾げるのだった。


「でも、これは私たち三人で貰った物だし……三人で一緒に使うのが良いと思うわ。……何か変なこと言っているかしら?」

「それは確かにそうですけど……でも、これ、金塊と同じ価値なんですよね……」


 そして僕は考え込む。

 何よりも、一番の功労者であるリゼの提案なのだ。

 そのリゼがそう言っているのなら……やっぱり、それが一番良いのかも……。


「むぅ……言われてみれば、確かにそれが一番公平な気がしてきた……」

「と、トーヤまでっ……!」


 僕の一言に、レオは顔を真っ赤にして反応する。


 ――そしてもう一人、興奮の表情を浮かべる少女がいた。


『ととと、トーヤくんのお風呂……!?』


 ――ガタッ。天使少女のギブリールはそう言って、居ても立っても居られない様子で立ち上がるのだった。

 お、お、お、お風呂っ……!? トーヤくんのお風呂……!?

 思わずギブリールは、を想像してしまう。そして――瞬く間に、ギブリールの顔は真っ赤になってしまうのだった。


 しかし、そんな大興奮の所――ギブリールの元へ、笑顔の女神さまが現れる。

 そして、ギブリールに向かって言うのだった。


『――ねえ、ギブちゃん。ご飯はまだかしら?』

『ええっと、女神さま!? ご、御免なさいっ、もう少しだけっ、もう少しだけ待っていて下さいっ! すぐに作りますから〜!』

『駄目よぉ、女神ちゃん、もうお腹ペコペコなんだものっ。ギブちゃんの手料理が食べたい食べた〜いっ』

『ええっ、女神さまっ、今いい所なのにぃっ!』


 そして――天使ギブリールは、女神さまに引っ張られると、無念そうに姿を消したのだった……。

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