05.「男装の美少女は、暗殺者の少年に心を乱される」

 ――時はさかのぼり、今からおよそ、一時間前。

 学院の成績優秀者のために用意された、特別な寮。通称『鸞鳳らんほう館』の一室。

 その中でも最上階に位置する、"貴公子"レオ・アークフォルテの自室にて……。


 レオは一人、姿を晒していた。


 水の音が響き、湯けむりがあがっている、浴室の中……。

 生まれたままの、一糸纏わぬ姿で、湯浴みをするレオ。

 頭からシャワーを浴び、レオの豊かな曲線美に、湯水が滴り落ちる。


 浴室の鏡が、レオの体を映し出す。

 決して誰にも晒すことのない、美しい肉体美がそこにあった。


 勇者エリートとして理想的な、無駄のない引き締まった体には、ところどころ女性らしい膨らみも持ち合わせている。

 その美しさはレオ自身が、誰よりも自覚していた。


 もしレオが、普段から男装をしていなかったとしたら……。

 多くの男衆を魅了していたことは、想像に難くない。


 サー、と勢いよくノズルから湯水が流れ、ぴちぴちと床に水が跳ねる音がする。

 この水音が、実に耳に心地いい。

 朝起きて、熱熱のシャワーを浴びること。レオにとって、毎朝の習慣だった。

 優雅な一日を始めるための、決まったルーチンワーク。


 そして、しばらくして……。

 キュッキュッ。シャワーの栓が閉められる。


「……ふぅ。サッパリした」


 素肌の上からバスローブを身に纏い、浴室を出るレオ。

 レオが出た先は自室だった。

 一般生徒のそれとは全く違う、広々とした一人部屋である。


 そこは、まるで貴族の邸宅の一室だった。成績優秀者の特権で、広々とした室内には、全て高級品で揃えられた家具や調度品が、綺麗に並べられている。

 そのすべてが成績優秀者であるレオの為に、学院が用意したものだった。


 ――このカルネアデスに、平等などという概念はない。


 優秀な者は、それだけ優遇され、無能な者は徹底して冷遇される。

 勇者候補生による徹底した競争。そして、その果ての"エリート"の選別――それが、この学院の理念だからだ。


 レオも、学院のその方針に共感していた。

 優秀な人間が優遇されて、何が悪い――弱者にばかり配慮を与え、優秀な人間が不利を被るなんて、間違っている――レオは、常々そう思っていた。


 しかし――レオの脳裏に、一人の人物が思い浮かぶ。

 コモン級の異能でありながら、エピック級の異能を持つこの私を、いとも簡単に手玉にとって見せた、彼のことを――。


 あの決闘から丸一日過ぎた今もなお、あの時の衝撃がこびりついて離れない。

 彼の実力は、底が知れなかった。


 ――トーヤ・アーモンド。

 それが、私を倒してのけた、男の名だった。


 聞くところによると、彼はただ、コモン級というだけで、攻撃手段がないというだけで、班を追放されてしまったのだという。


 あれほどの実力者が、無所属の落ちこぼれ扱い……!?

 馬鹿馬鹿しい。そんなの、絶対に間違っている……!

 

 私は今まで、コモン異能というだけで、取るに足らない存在だと見下してきた。

 しかし……。

 トーヤ・アーモンド。彼の存在が、そんな私の認識を打ち砕いてしまった。


「くっ……これほどまでに心が乱されるのは、生まれて初めてだ……! トーヤ・アーモンド、君は、一体……」


 どうする、私の班に彼を誘うか? 私なら、彼を追い出したりなどしない。

 しかし彼は、私の秘密を知ってしまっているし……!

 悶々とした気持ちを胸に抱えたまま、レオは部屋をうろうろと歩き回る。


「むっ……!」


 いつもなら、この時間帯、もう少しゆっくりしていられるのだが。

 しかし今日は、そうも言ってられないようだ。

 ドアの下から、ちらりと白いメモが覗いているのを、レオは見逃さなかった。


 こうやってレオにメッセージを送る人間に、一人だけ心当たりがある。

 それは、彼女の師匠に当たる人物。そしておそらく、早急の用件に違いない。

 レオはメモを拾い上げると、素早く目を通す。

 そして――そこに書かれていた驚愕の内容に、目を見開くのだった。


「何っ、カルネアデスの塔に、踏破者が出ただと……!? 名前は!? くっ、書いていないか……! 仕方ない。こうなれば、直接聞きだすしかない……!」


 前人未到と言われるあのカルネアデスの塔に、遂に踏破者が現れたというのだ。

 レオが居ても立っても居られないのも、当然と言えた。


 しかし……最上階はおろか、最高到達地点である『火山エリア』にすら、到達したのは私の班以外にいないはず。

 一応、有力班の動向は全て押さえていたつもりなのだが……一体、どこの誰が最上階に到達したというのだ?


 はやる気持ちを抑えながら、急いで男装したレオは、学院を早足で進んでゆく。

 行き先は、師匠のいる学院長室だ。


師匠・・! カルネアデスの塔に踏破者が現れたというのは、本当なのか!?」


 ノックもせず学院長室の扉を開けると、レオは勢いよく乗り込んで言った。


 レオが声を掛けた相手は、この部屋の主。そう、レオの師匠というのは、このカルネアデス王立異能学院の学院長、その人だった。

 学院長の椅子にゆったりと腰かけた彼女・・は、血相を変えて部屋に入って来たレオを視界の端に捉えると、手に持った書類を置いて、ニヤリと笑った。


「ほほう、やはり来おったか。レオ坊よ。だが、少し遅かったのではないか? もう少し早く来るかと思ったのじゃが……」


「私の事情は、貴方も知っているはずだろう。私は身支度に時間が掛かるんだ。だが、そんなことはどうだっていい。……それで、本当なのか? この手紙に書いていたことは」


 そしてレオは、学院長のデスクの上に、例のメモ用紙を叩きつける。

 それを見た学院長は、小さく頷く。


「うむ。間違いない。昨日、二名の生徒がカルネアデスの最上階まで到達した」

「二人……残りの三人は、途中で脱落したということか……」


「いや。その者たちは、最初から二人の班で挑戦したそうじゃ。そして両名とも、無事に最上階までたどり着いたというぞ?」

「――――!?」


 学院長のその一言に、レオは驚愕する。

 セオリー通りなら、班は上限いっぱいの五人で組むのが安定のはず。

 それを、二人で、だと……!?

 あり得ない……! それに、一体何を考えているんだ、その二人は……!?

 低階層ならともかく、最上階を狙っている班がそんなことをするなんて……!

 しかし、この学院長が嘘をつくはずがない。


「……それで、その二人の名前は?」

「ふむ、やはり気になるか。なにせ、昨日まではお主が、あのカルネアデスの塔の攻略のトップだったのだからのう」


 学院長はそう言って、うんうんと頷く。

 認めるのは少ししゃくだが、彼女の言っていることは確かに、間違っていない。

 学院長のデスクの背後、ガラス張りの大窓からは、カルネアデスの塔が見える。


 確かに私は、あの塔の攻略の最前線にいたのだ。

 いつか私はあの塔の最上階まで登るんだと、信じて疑わなかった。

 それなのに、私が知らないうちに追い抜かれて――それどころか、みすみす最上階の初踏破まで献上するなんて……!


 一体誰なんだ、この私を出し抜いた、不届き者は……!

 レオは静かに、学院長の言葉を待つ。そして、学院長は静かに口を開いた。


「カルネアデスの塔を踏破した二人――そのうちの一人は、おぬしが良く知っている人間じゃ。その名も……トーヤ・アーモンド」

「っ……!」

「クックック、やはりおぬしも驚いているようじゃな。そう――おぬしが昨日、決闘をして敗れた相手じゃよ」


 トーヤ・アーモンド……!

 決闘で私が負けた、唯一の相手だ。ただ者ではないとは思っていたが……!

 まさか、私を差し置いて、カルネアデスの塔を踏破するとは……!

 ますます、彼に対して興味が湧いて来た。


「トーヤ・アーモンド……一体、彼は何者なんだ?」


 レオは、ぽつりと呟く。しかし学院長は、首を横に振った。


「正直言って、儂もよく知らぬのじゃ。しかし、一つ、興味深い噂を聞いている。それによれば……そうじゃな、あえて言うなら、我らが生きる表の世界とは別の――裏の世界の住民といえばよいかのう」


「裏の世界……! それは、一体……?」


 レオは、ゴクリと唾を飲み込む。

 予想だにしない単語が突然現れて、しかし不思議と納得する自分がいた。

 裏の世界の住人……! 

 トーヤ・アーモンドのミステリアスな雰囲気に、ピッタリな言葉ではないか。


 学院長も興味津々といった様子で、身を乗り出してレオに言う。


「うむ。儂も気になっておるのじゃ! だからレオ坊よ――今から、二人を呼んで来てはくれぬかのう?」


 そう言って、学院長は子供のような笑みを浮かべるのだった。

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