20.「僕が勇者になると誓った、あの日の夢」
……僕は、夢を見ていた。
夢の中の僕は、今より少し背が低くて。
食い入るように、目の前の出来事を見つめている。
舞い上がる土埃と、街の人々の喧噪。そして、野生の動物たちの鳴き声。
懐かしいな……。そこは、僕にとっても馴染み深い場所だった。
貧民街の一角、薄汚れた建物の間を縫うようにして存在する、小さな広場。
そこに一台、古ぼけた台車が停まっている。そしてその前には、近所の子供たちがわらわらと集まっていた。
彼らの目当ては、台車の舞台の上で踊る、人形たちの冒険活劇。
これは、昔の夢。僕がまだ、『勇者候補生』になる前の出来事……。
◇
低い天井の、薄汚れた部屋の隅で、僕は唐突に目を覚ました。
また、早く目が覚めてしまった。まだ夜明け前、薄暗い時間帯である。
僕が「荒くれ者の世界」に身を投じてから、早一年。
このところ、兄弟の誰よりも遅く寝所につき、誰よりも早く目を覚ますという日々が続いていた。
隣から、「すぅ、すぅ……」と兄弟たちの寝息が聞こえてくる。狭い室内に五人の兄弟が身を寄せ合って、一枚のタオルケットを共有しているのだった。
大口を開けて、気持ちよさそうに眠っている四人の兄弟を後目に……僕は、おもむろに体を起こした。
二度寝しようとも思ったが、身体の鈍い痛みに、目が冴えてしまった。
そろり……。僕は寝相が悪い兄弟たちを起こさないように、壁に立てかけてある木剣を手に取ると、忍び足で部屋の外に出る。
外を照らすのは、うっすらとした月明かりだけ。
けれど、これから僕がやることには、それで十分だった。
僕は、住処である長屋の前に出ると、手に持った木剣を構えた。
ギリリ……。握りしめる両手に、思わず力が入る。
想定するのは、魔物の頑強な肉体。ならば――鋼ぐらい簡単に断ち切れる斬撃でなければ、話にならない。
僕は、今持てる全身全霊を込めて、剣を振るった。
ぶんっ! 剣を振り下ろした瞬間、鋭く風を切る音が、僕の鼓膜を揺らす。
……こんなんじゃ、ダメだ。魔物の命を狩り取るには、まるで足りない……!
それから僕は、月明かりの下で、ひたすら剣を振るった。
手のひらが擦り切れて、血が滲むようになっても、それでも止めなかった。
両の腕がこわばり、筋肉が悲鳴を上げようとも、それでも止めなかった。
ただ愚直に、剣を振り下ろす。ただそれだけの動作を、何千回も繰り返した。
師を持たない僕にとって、それだけが『魔物斬り』に至る唯一の道だった。
振るう、振るう、振るう、振るう……。
剣を振るうたびに、自分の中で、無駄が削ぎ落されていく。
川に流された小石が、流水に角を削られ、徐々に丸みを帯びていくように。
そして……。
――これだッ!
何千回の試行を経て、ようやく僕は、納得のいく斬撃に巡り合った。
この斬撃なら……っ! 僕の脳裏に、鋼を切り裂くイメージが浮かび上がる。
ジンジンする痛みの中で、僕は満足感と達成感に包まれていた。
よしっ。次は、この感覚を忘れないうちに、身体に染み込ませるんだっ!
ブンっ、ブンっ、ブンっ、ブンっっ!
僕はひたすら、一心不乱に剣を振り続ける。
剣を振り下ろす度に、その斬撃は一つの『型』として、僕の体に定着していく。
そして――僕が満足して、剣を下ろしたとき。
気づけば薄闇は晴れ、空に太陽が昇り始めていた。
技を物にした達成感に包まれながら、僕は兄弟たちがいる部屋へ戻る。
どうやら彼らも目が覚めたようで、目を擦りながら、大きな欠伸をしていた。
すぐに僕は、朝食の準備をする。
朝食は、薄味の野菜スープとカチカチのパン。それを、兄弟五人で分け合う。
味気の無い、かろうじて腹を膨らませるだけの食事。
「ううっ、塩気が足りないよー。どうにかならないかなー、トーヤにぃ」
「我慢、我慢。これでも、頑張ってる方なんだから。塩は高いし……」
僕だって、塩気は欲しい。けれど……。
五人分の食費を考えたら、これがギリギリのラインだった。
今やっている『用心棒』の仕事だって、雀の涙ほどの報酬しか貰えていない。
全く、こっちは、かなり危ない橋を渡っているっていうのに……。
僕が守るのは、狙われるのも自業自得の悪党どもばかり。
驚くべきことに、そんな悪党でも命を守られれば、礼の一つは言う。だが、ひとたび報酬の話になると、ケチり始めるのだ。
薄っぺらい生き物だ、全く。守り甲斐もない……。
なんであんな奴らの為に、命を張らないといけないんだろうな……。
せめて僕の異能に魔物を倒す力さえあれば、傭兵として食っていけたのに。
けれど、現実は、非情だ。僕の【盾】は、異能を打ち消す力はあれども、魔物を倒す力はない。だからこそ、足元を見られる。
決して、弱い異能じゃないんだけどな……。僕は、ため息を付くのだった。
そして、朝食を終えた僕は、広場へと向かった。
僕が住む貧民街では、決まって週末に、広場で人形劇が開かれる。
演じられるのは、お決まりの勇者の物語。
悪党どものお守りをしてなんとか日銭を稼ぐ僕の、唯一の生きがいだった。
僕が着いたころには、既に広場には人だかりができていた。
……仕方ない、今日は後ろから見ることにしよう。
そして、しばらくして――勇者の人形劇が始まったのだった。
人形劇は、いつも通り進んで行く。
勇者が様々な苦難を乗り越えた末の、最終決戦。
七日間の戦いの末、勇者は魔王と刺し違えて、セカイを救う。
何度も見たはずなのに、ハラハラドキドキ、ワクワクが止まらない。
そして、最後……。
神様のお告げで、物語は終わりを迎える。
「"始祖"の"意思"は
その言葉を聞くたびに、僕の右腕に刻まれた聖痕が疼く……気がする。
そして人形劇が終わり、人だかりが解散する。
相変わらず、最高の人形劇だった。
僕は前に出ると、感謝の気持ちを込めて、僅かばかりのおひねりを渡す。
しかし、そんな僕と同時に、人形師さんの前に出た少年がいた。
少年は僕と同じく、人形師さんにおひねりを渡そうとしていたのだが……隣にいる僕の顔を見ると、一瞬、固まる。そして、叫んだ。
「あーっ! お前は、あの時のっ!」
どうやら向こうは、僕のことを知っているらしい。
けど、僕は全然覚えていなかった。えーっと、誰だっけ……。
僕は、思いだそうとする。確かに、どこかで見た覚えがあるんだよな……。
うーん、やっぱり思いだせない。
「……えーっと、どちら様でしたっけ?」
「覚えてねーのかよっ! 俺だよ、俺!」
黒髪、黒目……。あっ、思いだした!
以前、悪徳商人を護衛していた時に、対抗勢力から鉄砲玉として送られてきた少年が、確かこんな顔だった気がする!
その時は、僕が【盾】の力を使って、一方的にボコしたのだけれども……。
もしかしたら、そのせいで印象が薄かったのかもしれない。
「……ったく、やっと思い出したのかよ。ま、あの時は一方的にやられたからな。覚えてなくても無理ねーけどよ」
「それで、君もこの人形劇を見てたんだ。もしかして、勇者の話が好きなの?」
「ったりめーだろ! そう言うお前はどうなんだよ」
「当然、大好きだよ! ……なんだか気が合うね、僕たち」
「全く、よく言うぜ。あの時は、散々俺の事をボコボコにしたくせによ」
「あはは、その節は本当にゴメン」
そして、その後。
僕たち二人は、すぐに意気投合したのだった。
彼の名前はシャロン。彼もまた、勇者に憧れる一人だった。
同じ裏社会で権力者に奴隷扱いされている者同士、共感することも多かった。
そして何より、同じ勇者の夢を持つ者として、強い連帯感が生まれていた。
その日一日、日が暮れるまで、ずっとシャロンと語り合っていたように思う。
「今は汚れ仕事をしてるけど、いつか俺だって……!」
シャロンはそう言って、拳を強く握りしめる。
僕にはその気持ちが、痛いほどよく分かった。僕も、同じ気持ちだったから。
たとえ、攻撃ができない【盾】の異能だとしても。今は、不遇だとしても。
僕は、勇者になりたい。だって、それが僕の夢だから。
そして僕たちは夕焼け空に誓うのだった。
――絶対に、勇者になってみせる、と。
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