11.「何やら聖天使さまは、暗殺者が気に入らないようです」
――〈カルネアデスの塔〉第十一階層。通称『荒野エリア』。
死霊が
辺りを徘徊している、ゾンビやスケルトンなどのアンデッド達を後目に……僕は、それらの魔物を置き去りにして、どんどんと先に進んでゆく。
魔物にも『暗技』が通用する――そのことに気付いてから、僕は第七階層からここまで、ほぼ最小限の戦闘で来ることが出来ていた。
第十一階層。ここは本来、僕が班を組んで、ようやくたどり着いた場所だ。
一人で辿りつくなんてこと、普通なら絶対に無理だと断言できる。
けれど――僕には、暗技があった。
僕が暗殺者時代、血の滲むような努力をして身につけた、暗殺者の技。
それに助けられて、僕は今、ここまで来れているのだ。
標的に気付かれない隠密行動は、暗殺者の本領。
いかに静かに、殺しを遂行するか……ただその為だけに、研鑽を続けてきた。
影と同化し、相手の盲点をすり抜け、音も無く近づく――今使っている【影取り】も、その数多ある暗技のうちの一つにすぎない。
戦闘は最小限に。求めるは最速。
僕の存在に気付いた
この暗技を駆使して、僕はこの『塔』を駆け上がってみせる。
前方に見えるは、二体の魔物。
止められるものなら、止めてみろ――久々に"スイッチ"が入ってしまった僕は、更に『
そして僕は再び『影』になると、赤土の荒野を疾走するのだった。
◇
そんな塔を駆け抜ける『影』の姿を、じっと観察する者がいた。
聖天使ギブリール――それが彼女の名前だった。
「やっぱり、気に入らないな……」
ギブリールは『影』の動きを目で追いながら、静かに呟く。
その影は、明らかに彼女の想定外の動きをしていた。
この〈カルネアデスの塔〉は、かつて地上に現れたという"始祖"の死を悲しまれた女神さまが、その"始祖"を継ぐものが現れることを祈って建てられたものだ。
女神さまより異能を授かった人間たちの中から、『資格ある者』を選別し、女神さまの"神託"を与えるという、霊験あらたかな場所なのだ。
残念ながら、今まで最上階まで踏破する者は現れなかった。
今日は、この塔を踏破する者が現れるであろう
よりにもよってこんな日に、
許せない。許せない許せない許せない。
せっかく女神さまが、ボクに塔の管理を任せてくれたのに。
一度は失態を演じたボクを、再び信じて大事な仕事を任せてくれたのに。
鼠が入って来たのなら、掃除しなきゃ。
不届き者には、実力行使あるのみ。
そしてギブリールは、背中の天使の翼を翻すと、
塔に紛れ込んだ
◇
そして――〈カルネアデスの塔〉第十四階層。通称『遺跡エリア』。
それはまるで、古代の遺物を思わせる、不思議な建造物だった。
おそらく、朽ちてから永い年月が過ぎ去っているのだろう。その遺跡はもはや自然と同化しており、木々が根を張り、相当な侵蝕を受けている様子だった。
かなりの繁栄を誇ったのだろう、大規模な遺跡群である。しかしそれが、どの文明に属するのかは、ちょっと僕の知識では判別不能だった。
ただ……僕たちの文明とは遠くかけ離れていることだけは、僕にも分かった。
技術体系からして、僕たちの世界とは全然違う。物体の加工技術を見ても、僕たちの文明の遥か先を行っているのではないだろうか。
果たしてこの塔の為だけに、こんな大掛かりな遺跡を作るものなのだろうか。
ひょっとしたら、実際にどこかに存在する遺跡のレプリカだったりして……。
立ち止まって調べてみたい……。しかし、僕はそんな好奇心をなんとか押し殺して、脇目も振らずに遺跡の奥へとひた走る。
そして、遺跡の最奥部――
第十四階層のボス部屋を目前にしたところで、僕は遠目に一人、何かを待っているかのように立ち止まる人影を見つけたのだった。
リゼでないことは、雰囲気で分かる。
要警戒だな――僕は無意識に、剣を抜いていた。
少なくとも僕の目には、あの人影が学院の生徒ではないことは判別できている。
学院外の人間がいること自体、有り得ない非常事態である。なにせこの塔は、学院外の部外者は立ち入り厳禁なのだから。
警戒するに越したことはない。そう思って、身構えていたが……。
その人影は、僕を視認すると、僕に声を掛けてきた。
「やっと来たみたいだね。待っていたよ、キミが【剣聖】の『連れ』だね」
それは透き通るような、美しい少女の声だった。スッと頭の中に入ってくるような、歌うような音色の声だ。
彼女は僕のことを『剣聖の連れ』と呼んでいた。
剣聖――間違いなく、リゼのことだろう。
リゼのことを知っている人間か……。
雰囲気からして、現状、彼女には敵対する意思は無さそうに見える。
僕はひとまず剣を収めると、足を止めて、その少女の前で立ち止まった。
「……えっと、僕に何か用ですか? 先を急いでいるので、手短に済ませてくれると有り難いんですが」
そう言って、僕は手短に急いでいることを伝える。
今の僕に、誰かに構っている暇なんてないのだ。
しかし、そんな僕の事情なんてお構いなしという風に――目の前の少女はぐいぐいと僕に近寄ってくると、笑顔で僕に語りかけてきた。
「まあまあ、そんなに急ぐことはないだろう? 自己紹介だって、まだ済ませていないのにさ。ま、どちらにしても……ボクがここにいる限り、この先にキミを通すわけにはいかないんだけどね」
「……僕を、通さない? 一体、どういうことですか?」
突然彼女から漂って来た剣呑な雰囲気に、僕は思わず身構える。
しかしそんな僕を見て、少女は愉快そうに笑うのだった。
「その前に、自己紹介をさせてもらおうか。ボクの名前はギブリール。この塔を管理する……さしずめ、管理者みたいなものさ」
「塔の管理者……」
塔に管理者がいるなんて話、聞いたことがない。
けれども、ギブリールと名乗った少女は、なおも言葉を続ける。
その表情は、とても虚言を弄しているようには見えなかった。
「ボクは塔の管理者として、キミがこの塔に来てからの様子を、ずっと見させてもらった。その上で、はっきり言わせてもらうけど――」
「――
「だって、キミは番人を一人も倒していないじゃない」
ぎくっ、図星を突かれた僕は、ちょっぴり狼狽える。
……それは反論の余地もなく、一言一句、正しかった。
彼女の言う通り、今日というこの日、この塔に入場してから今まで……僕は、番人の一体も倒してはいなかったのだ。
なぜなら、僕が何かをするより先に、リゼが番人を倒してしまうから。
いやいや、僕も戦おうとはしましたよ? でも、僕が剣を抜くよりも先に倒してしまうものだから、どうしようもなくて……。
こうして追いかける立場になると、それは尚更だった。
けど確かに……客観的に見てみると、塔の管理者という立場からしたら、僕みたいな人間は排除しておきたいと思うのも無理もないかもしれない……。
「……」
「いやいや、通さないからね?」
うーん、駄目か。
無言で横を通り過ぎようとしたところで、僕はギブリールに遮られてしまった。
暗殺者として、全身全霊を込めた忍び足だったんだけどな……。
これが駄目ならもうお手上げだ。あとは泣き落としで、情に訴えるしか……。
そして僕が"泣き落としモード"に入ろうとした、そのとき――
「全く、仕方ないな……どうしてもって言うのなら、このボクが番人の代わりをしてあげるよ」
ギブリールがやれやれと言った様子で、僕に向かって言ったのだった。
◇
それから僕たち二人は戦うために、第十四階層のボス部屋に入った。
リゼが番人を倒し、空っぽのボス部屋に、僕とギブリールは向かい合う。
僕が彼女に勝てば、このままこの先に進める。しかし、もし僕が負けた場合、この塔を一から出直さなければならない。
「……それで、決着はどうします?」
「そうだな、キミは、ボクを殺せたら勝ちでいいよ。ボクもキミを殺すつもりでやるから、そのつもりで」
ギブリールは、あっさりとそう答える。
ふーん、デスマッチか……。
後腐れがないのはいいけど……問題は、
「っと、その前に……ボクの真の姿を解放しなきゃね」
ギブリールはそう言って、上に羽織ったローブを脱ぐ。
その下には、背中の部分が大きく開いた服を着ていたのだが――そこに一瞬、光の粒子が渦巻いたかと思うと――次の瞬間には、純白の翼が生えていたのである。
「ふふ、驚いたかい? え、そうでもない? ……まあ、いいけど」
ギブリールが、天使であること。
まあ、そうだよね、といった感じだ。
『塔の管理者』を名乗る存在がただの人間のはずがないってことは、薄々感づいていた。だから僕は彼女の天使の羽根を見ても、あまり驚かなかったのだ。
そんな僕に、ギブリールは少しだけ不満そうだったけれど……それもすぐに切り替えて、僕に向けて言葉を続ける。
「ボクたち天使は……人間が異能を授けられるのと同じように、"神器"っていう、神様の財宝を一つ授けられているんだ」
そう言葉を紡ぐ彼女の手には、いつの間にか、一本の槍が握られていた。
そして――
目にもとまらぬ早業で、彼女はその槍を、僕に向けて投擲してきたのである!
まさかの不意打ち――。
敵の能力という、最も気になる情報をチラつかせておいての、不意打ちである。
普通の人間なら、会話に気を取られて、グサリとやられていたかもしれない。
しかし、そんな"裏技"にやられる僕じゃあない。
ものすごい速さで迫りくる槍を目前に、僕は素早く【盾】を構える。
投擲された槍の対処はシンプルだ。盾で"受ける"のではなく、"受け流す"――
盾で軌道を変えると、槍は大きく逸れて右側後方の大木の根に突き刺さった。
神器の力なのだろう、槍が突き刺さった木の根は、氷に覆われて凍結している。
「これが、"
いつの間にか、木の根に突き刺さっていた槍は忽然と消え。
ギブリールの手には、先ほどの"
ギブリールは、槍の投擲が防がれたことを、露ほども気にしていない様子だ。
なるほど……先ほどの不意打ちと言い、表面上の気さくな性格は油断させるための罠で、中身はかなりの曲者らしい。
もしかしたら、僕とかなり気が合うかも――なんて軽口を心の中で叩いてみるけども、実際のところ、そこまでの余裕はない。
おそらく彼女は、この塔の中で一番の強敵になるだろう。そんな予感がする。
そして最後にギブリールは、得意げに言った。
「言っておくけど、ボクの槍の腕は一級品だよ。天界でも、負けたことはなかったしね。それで……この"四織の槍"を操るボクを、キミは倒すことが出来るかな?」
槍を構えるギブリールと、盾を構える僕。
決戦の火蓋が、静かに落とされたのだった。
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