06.「第一階層『洞窟エリア』」

 剣を振りかざし、憤怒の形相で襲い掛かるゴブリンリーダー。

 そしてその背後には、弓を構えた二体のゴブリンアーチャー。


 ……なんてツイてないんだ、今日の僕は。


 朝起きて早々、ゴルギース伯爵から嫌がらせを受けた。

 この塔に来る道中には、あのレオに決闘を吹っ掛けられた。

 そしてやっと塔に来れたと思えば、おまけにこれだ。


 今日はまだ始まったばかりだというのに、なんて散々な一日じゃないか。


 ――けれど、やるしかない!


 〈カルネアデスの塔〉に入って、ばったりとレアエネミーと遭遇してしまった僕は、自分の不運を呪いながらも、即座に切り替えて臨戦態勢を取る。


「――【シールド】!」


 僕が叫ぶと、左腕に『盾』が実体化した。


 ――いばらの紋様が刻まれた、紅色スカーレットの盾。


 別に叫ばなくても実体化は出来るけれど、今は自分を鼓舞するために、あえてその名を叫ぶ。


 そして、僕は右手で腰に下げた剣を抜いた。

 剣術。それが僕が魔物に対抗するために選んだ手段だった。


 この学院では、剣術は評価されない項目だった。異能の力が絶対で、その他の攻撃手段なんて見向きもされない。


 だから、わざわざ剣術を磨こうなんて生徒は僕ぐらいだろう。

 僕には、異能による攻撃手段がない。だからこそ、徹底的に剣術を磨いてきた。


 今こそ、それを試す時。

 僕は、剣を握る手に力が入る。


 ――カキンッ! カキンッ! 鋭い金属音が洞窟内に響き渡る。


 猛烈な勢いで襲い掛かる白刃の暴力を、僕は盾を構えて防ぎ切ったのだ。


「ゴヴッ……!?」


 剣先を逸らされてゴブリンリーダーは体勢を崩す。

 絶好の反撃のチャンスだ。僕は、剣を構える。

 しかしそうはさせじと、今度は後方のゴブリンアーチャー達が矢を射ってきた。


 ピュン、ピュン。

 風を切る音と共に、剣を持つ方の体の右側を狙って矢が飛んでくる。


 このまま矢を盾で対応すれば、今度は前衛のゴブリンリーダーに無防備を晒すことになる。それならっ。

 一瞬で判断すると、僕は後方に跳んで回避しつつ、同時にゴブリンリーダーと距離を取った。


 ……厄介だな、この連携は。守ってばかりじゃジリ貧だ。


 仕方ない、こっちも奥の手を使うか。


 僕は一旦、手に持った剣を鞘に戻す。

 そして下げた二本の剣のうち、の鞘から剣を抜いた。

 柄の傷み具合からは想像ができないほど、その刀身は曇りなく光輝いている。


 参ったな、こっちの方はもっと後半になってから使うつもりだったんだけど。

 こうなってしまったら、そうも言ってられないか。



 ――最上大業物"花月カゲツ"。


 僕が暗殺者時代、わざわざ大枚を叩いて手に入れた逸品である。

 天下に並ぶもの無しと謳われた名工『クオン』が手掛けた後期の作で、その切れ味は鉄の鎧さえ容易く両断するほど。


 本来なら王国の宝として厳重に保管されているべきもので、ちょっと人には見せられない、ヤバめな品なのだが……。

 もちろん、この〈カルネアデスの塔〉に持ってくるのは初めてである。


 そんな物を持ち出してきて、それでようやくゴブリンの親玉一匹を倒すのに四苦八苦している。


 ……やっぱり、現実は厳しいな。



「――グヴオォォン!!」


 ゴブリンリーダーは牙をむき出しにして大きな雄たけびを上げると、大地を蹴ってものすごい勢いで突進してきた。


 風を切る音。迫りくる白刃。僕は【盾】を構えて迎え撃つ!


 ――カキンッ! カキンッ! カキンッ! カキンッ!


 盾と剣が撃ち合うごとに、火花が飛ぶ。僕は斬撃を上手く盾で受け流しながら、虎視眈々と攻勢に出るチャンスを窺う。


 そして――今だっ!


 痺れを切らして剣が大振りになった瞬間を、僕は見逃さなかった。


 僕は盾で襲い掛かる剣を弾き返すと、そのままゴブリンの潰れた顔面に向かって、カウンター気味に盾を叩き付けるシールドバッシュっ!


 盾を大槌ハンマーのように使い放たれた一撃は、ヤツを怯ませるには十分だった。

 昏倒して後ろずさるゴブリンリーダーに対し、僕は大地を蹴って追撃に移る。


 ――よし、懐に入り込んだ! このまま一撃でっ!


 僕は【盾】を解除すると、剣を両手に持ち替えた。そして勢いそのままに、大きく剣を振り抜く。

 大きな踏み込みから放たれるそれは、まさに『必殺』に値する一撃だった。


 手応えは、あった。これでヤツは、立ち上がれないハズ……!


 大きく倒れ込んだゴブリンリーダーの亡骸は、光の粒子となって消滅していく。


 あくまで彼らは本物の魔物ではなく、この塔に生み出された幻影。倒されればこのように形を失い、光となって消えてしまうのだ。


 ……これで、連携は崩れた。

 こうなったら、こっちのものだ。前衛を失った後衛を屠るのは容易い。


 そして、その後。


 リーダーを失い、恐慌状態に陥ったゴブリンアーチャーたちも、きっちり各個撃破し。なんとか僕は、ピンチを切り抜けることに成功したのだった。



  ◇



「はぁ、はぁ……やっと追いついた……」


 洞窟の奥にリゼの後ろ姿を見つけて、ようやく僕は安堵の声を上げる。

 息も絶え絶えになりながら、早足で僕はリゼに駆け寄った。


 道中、ゴブリンと遭遇すること複数回。その度に応戦し、時には逃げ。ようやくダンジョン最奥の扉の手前で、リゼを見つけることができたという訳だった。


 本当は、もう少し早く追いつく予定だったんだけどな……。


 全くもって、野生の本能というものは恐ろしい。なるべく気配を消して、隠密で動いていたつもりだったのに、それでも僕を察知する魔物がいるとは。


 さすがにあのゴブリンリーダーほど強い魔物はいなかったけれども、それでも攻撃できる異能を持たない僕にとっては、手間どる敵であるのは事実で。


 それらをなるべく早く蹴散らして、リゼに追いつくために全速力で洞窟を駆け抜けて来たのだった。

 おかげで呼吸が苦しい。あと足も痛い。


 「暗殺者は息をひそめルのが仕事ネ。動き回ルのは向いてないのヨ」というのは暗殺者時代の先輩の言葉だ。全員がそうではないと思うけど、なるほど確かに僕はスタミナが足りていないかもしれない。


 


 ちなみにその先輩だけど、「ちょっとひとっ走りして来るネ。トーヤ、お前も来イ」なんて言い出して、近くの山に連れてこられたことがある。


 先輩は一時間全力疾走を続けても、全く呼吸が乱れていなかった。

 僕は五分で無理だとギブアップして、地面に倒れ込んでいたというのに。


 ……やっぱり僕は修行が足りないのかもしれないな。鍛錬を続けないと。


 しかし、それにしても。

 僕がこれだけ全力疾走したのにも関わらず、追いついたのが第一階層の最奥ということは、リゼも相当なペースでここを攻略したことになる。


 おそらくは、ゴブリンたちも一撃で。

 ならば、その異能はハイレア以上に匹敵するに違いない。


 だからといって、この塔はソロで攻略できるほど甘くない。初見ならば尚更だ。

 少しでも油断をすれば、命を奪いにかかって来る。

 それがこの〈カルネアデスの塔〉なのだから……。



 駆け寄る僕の姿を見て、リゼは歩く足を止めて僕のことを待ってくれた。

 呼吸を整えようとする僕を、無言でじっと眺めている。


「……あなたも大変ね。編入生相手に、こんな役目を押し付けられて」

「大変な理由の大半は、リゼさんに原因があると思うんですけど……」


 リゼの、まるで他人事のような反応に、僕は思わずツッコミを入れる。

 リゼは少し思案して「……それもそうね」と、小さく呟いた。


 ……本当に、自覚なしでやってたんだ。

 うすうす感づいてはいたけれど、この人、結構な天然なんじゃ……。

 と、そんなことを考えているうちに、リゼと僕は扉の前にたどり着いた。


 僕の身長の優に倍はあるであろう、大がかりな扉である。黒の金具のついた、暗褐色の木の板で造られたその扉は、いかにも物々しい雰囲気を醸し出していた。


 僕たちが目指している転移門は、この扉の先にある。しかし、その前に立ちふさがるのが、転移門の番人キーパー――いわゆるこの階層のボス、というやつだ。


 僕たちは、この部屋のことを『ボス部屋』と呼んでいる。ボス部屋はダンジョンの最奥に存在し、番人キーパーと呼ばれる強力な魔物が転移門を守護しているのだ。


 よって、次の階層に進みたければその番人を倒す必要があるのだが……。

 やっかいなのは、その強さだ。


「……そう言えば、リゼさんの異能アークってまだ聞いてなかったっけ」


 連携を取るにしても、まずはリゼがどんな異能を持っているかを知らなければ始まらない。なにせ、番人が相手なのだから。

 彼らは『魔族』と呼ばれる、魔物の中でも上位存在エリート。そこいらの魔物とは、比べ物にならない強さを持つ怪物なのだ。


 確か……第一階層の番人は、『オーガ』だったはず。以前、ウェイン班にいた時は、三回目の挑戦でようやく突破した難敵だった。


 でも、僕はあれから経験を積んで、更に強くなった。剣術も磨いてきたし、大型の敵のいなし方も学んだ。僕ら二人でも決して勝てない敵じゃない、はずだ。


「そうですね……それじゃあボス部屋に入る前に、作戦会議をしましょうか。まずは、第一階層の番人の『傾向と対策』から――」


 と、言いかけたその時。

 ガタガタとひとりでに金具が動き出し、扉が開き始める。……なぜ? この扉は、僕たちが触れない限り開かないはず――


 ふと隣を見ると。

 相変わらず何を考えているか分からない、人形のように無表情のリゼが。

 扉に手を伸ばし、触れたところだった。


「って、何やってるんですかっ、リゼさん! この扉が開いたら、もう番人が襲い掛かってくるんですよっ!?」


「……それで?」


「普通はボス部屋に入る前に、いろいろ準備をするものなんですよっ! リゼさんの異能アークだって教えてもらってないですし……! ああ、オーガがこっちを睨んでる……!」


 ガラガラと開かれた門の向こうで、オーガが雄たけびを上げている。


 オーガは巨大な鬼の化け物で、人間の倍以上の背丈と、異常に発達した筋肉を併せ持つ。それが目の前で、殺戮衝動に任せて雄たけびを上げているのだから……恐ろしいことこの上ない光景だ。


 人間を相手にするのとはわけが違う、圧倒的な暴力がそこにある。


 けど……こんなことで怖気づいていたら、【盾】の異能なんて使えない。


「――【シールド】!」


 僕は叫ぶと、左腕に『盾』が実体化する。

 そしてそれを構えながら、リゼに向かって宣言する。


「仕方ない……! 僕が異能アークでヤツを引き付けます! その隙に、攻撃を叩き込んでくださいっ!」


 とっさの判断だった。しかしリゼの異能が分からない以上、これぐらいしか僕に出来ることはない。

 とにかく、やれるだけやった。あとは、目の前の化け物を抑え込むだけだ。

 そう考えて、前に出た僕だったが……。


 そんな僕を意に介することなく、リゼは前に進んでゆく。


 一体、何を考えて……。僕は止めようとするが、その時、気づく。リゼの雰囲気が、まるでオーガを脅威としてすら・・・・・・・認識していない・・・・・・・様子であることに。


 迫りくるオーガを目前にしてすら、リゼは超然とした態度を崩さず、ただ一言。



異能アーク。――【剣聖ソードセイント】」





 僕は今……信じられないものを見ている。


 目の前の光景は、本当に現実なんだろうか。そうやって自分の目を疑うぐらい、僕の瞳に映る景色は荒唐無稽過ぎていて。


 ――オーガの巨体が崩れ落ちる。


 両断された上半身が、ボトリと、音を立てて地面に落ちていく。

 まるで、ツバキの花が落ちるように。


 全ては一太刀で終わった。リゼが白銀に光る剣を振るうだけで、あんなに分厚かったオーガの肉体が、真っ二つに切断されたのだ。


 一方的な虐殺を終えて、光の粒子となって消えていくオーガを背に、リゼは着地する。その手には、一本の剣が握られていた。


 ――まるで天使のひとひらの羽根のように、美しく輝く白銀の剣。


 剣は一瞬、光を発したかと思うと、次の瞬間消えていた。

 リゼは振り返ると、『オーガだったもの』に対し、まるで詰まらないものを見るように一瞥する。


「そっか、誰も頂上までたどり着いたことがないんだっけ」



「……じゃあ、それも今日で終わりね」

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