02.「平穏な日常、そしてゴルギース伯爵の企み」

 『朝の鍛錬』のメニューを全て消化しきった頃には、日は昇り、学院にもぽつぽつと人の姿が見えるようになっていた。


 鍛錬を終えてクタクタな体を引きずって、学院の敷地を歩いていると。どこからか食欲を刺激する美味しそうな匂いがしてくる。


 これは……パンの焼ける香ばしい匂いだ!


 ――できたてホカホカのパン。一口かじりつけば、外はカリっと、中はふわふわもちもちのボリューミーな食感……。

 じゅるり。想像するだけでよだれが出そうになってしまう。


 まるでガス灯の明かりに吸い寄せられる蛾のように匂いに釣られて歩いていると……気づけば僕は、購買の建物の前に立っていた。


 ぐう、とお腹が鳴る。


 そう言えば朝食はまだだったっけ。

 ……決めた。今日の朝食はパンにしよう。


 カランカランと扉を開けると、僕は購買の建物の中へ。色々ある中で、一直線でパンのコーナーへと進む。棚には色々な種類のパンが並んでいた。それを片っ端からトレイに乗せていく。


「はー、これ全部食べるのかい。相変わらずよく食べる子だねぇ」

「運動した後だから、お腹が減るんです。ここのパンは美味しいから、つい一杯食べたくなって」

「そうかいそうかい。そう言ってくれると私も作った甲斐があるってもんだ。……はい、一つおまけしといたよ。またあの塔に登るんだろ? 頑張んなさいね」


 『朝の鍛錬』の後に毎日のように通うものだから、購買のオバちゃんとはすっかり顔なじみになってしまった。パンが詰まった紙袋を受け取ると(ずっしりと重い)、僕は購買を後にする。


 ……ここでの生活も、すっかり慣れちゃったな。僕は買ったばかりの出来たてアツアツのパンを一口に頬張る。うん、美味しい。貧民街にいた頃は、こんな美味しいパンにありつけることなんてなかった。


 僕が食べていたのは、もっと小さくて、固くて、バサバサしていて……それでもあの頃の僕にとっては、すごいご馳走だった。


 僕はふと、遠くに見える城壁を眺める。


 カルネアデス王立異能学院。この外界から隔絶された箱庭こそが、僕たち勇者候補生の暮らす場所である。

 学院そのものが城壁に囲まれた城塞都市であり、〈カルネアデスの塔〉を中心に様々な施設が立ち並ぶ一大学園都市なのだ。


 途中、売店で購入したパンを朝食代わりに頬張りつつ。僕は学生寮のエントランスを通り抜ける。廊下では寝起きの同級生たちとすれ違った。彼らは眠たげな眼をしながら、呑気にあくびを噛み殺している。


 ちなみに今日は休日で、普段なら一時限目の授業が始まる時刻である。休日の過ごし方は人それぞれだが、大抵は学院の課題を片付けたり、気分転換したりするのが一般的だ。

 中でも一番の娯楽は美味しい料理グルメだろう。うちの学院の食堂は絶品だともっぱらの評判なのだ。一流の勇者を育てるには、一流の料理から。特に休日は食堂のメニューも一段と豪華になっており、学生からの人気を集めていた。きっと彼らも、これから食堂へ朝食を食べに行くんだろう。


「はあ、羨ましいな……でも、今日ぐらい、我慢しないと。どうせ退学になったら、食べれなくなるんだから……」


 僕も行きたい所だけど……残念、今日の僕はのんびりしている暇はないのだ。


 なぜなら、これから僕は〈カルネアデスの塔〉に単独ソロで挑戦するつもりだったからだ。別に攻略を目指すわけじゃない。ただ単純に、今の自分の実力を正確に見極めておきたい、そう思ったのだ。


 今まで何度かソロで挑戦したことはあったけれど、いずれも低階層どまり。だから今日は思い切って上の階層まで、どこまで通用するのか試すつもりだった。


 これから新しいチームを見つけるにしても、きちんとした形で自分の実力を示しておくのは大事なことだ。特に僕のようなサポート型の異能持ちは、班に頼らずにどこまで一人で戦えるのかが一つの判断基準とされている。


 なんとも世知辛い世の中である。どうしてサポート型だけ……とは思うけれど、これも現実だから仕方ない。


 そういう訳で、自室の前まで戻ってきた僕は、ガチャリと扉を開けて中に入る。


 薄暗い部屋の中には、僕以外誰もいない。


 本来は同級生と相部屋で生活するのが通例なのだが……たまたま同じ部屋に入る予定だった生徒が、入学直前で辞退してしまい。他の生徒の入居も既に終わっていたということもあって、部屋割りを変えることもできず。

 結果、僕だけ一人でこの部屋を使うことになったのである。

 

 正直一人で好き勝手出来るのは、色々な意味でありがたかった。僕が『朝の鍛錬』といって好き勝手しても、ルームメイトを起こしてしまう心配もないし。

 何よりプライバシーが守られているというのが最高だ。人目を気にせず伸び伸びできるのだから、気が楽でいい。


 そして、何より……いや、『アレ』のことを考えるのはよそう。思い出すだけで気分がげっそりする。それに、わざわざ自分で蒸し返すのも馬鹿らしい。


 さてと。さっそく装備を整えて、塔に向かうとするか――


 壁に立てかけてある剣に手を伸ばそうとした、その時。コンコンと、窓の方から乾いた音が聞こえてきた。


 ……嫌な予感がする。窓からの訪問者なんて『一人』しか心当たりがない。

 いっそのこと無視しようかと思ったが、後々面倒になるのも嫌だったので、僕は渋々窓の方へ向かった。


 ――バサバサバサッ。窓を開けると、羽根の羽ばたきの音が聞こえてくる。見れば、窓の外に一匹の老鷹が留まっていた。


 うげっ、やっぱりか……! 噂をすれば何とやら。僕が今一番会いたくない人(鳥)が、窓の外から揚々と僕の部屋へ入ってきたのである。


 バサバサと羽根を羽ばたかせ、部屋に風を舞い上がらせながら、老鷹はゆっくりと丸テーブルの上に舞い降りる。


 部屋の中に白い紙が舞う。

 ああっ、僕の『魔物図鑑』が……! バラバラになった紙の束を目にして、僕は部屋の真ん中で立ち尽くす。


 『魔物図鑑』――それは僕が手作りで作った、魔物の分析レポートだ。

 暗殺者たるもの、標的ターゲットの分析は欠かせない。

 そこで、僕は一枚一枚、紙に魔物の情報をまとめていた。それを自分で『魔物図鑑』と呼んでいたんだけれど……。


 しかし、そんな自慢の魔物図鑑が、無残にもバラバラになってしまった。

 こんなことになるなら、ちゃんと紐で留めておけばよかった……!

 せっかく通し番号までつけて、順番通りにまとめておいたのに……。しかし鷹は悪びれるどころか、「ガハハハハ!」と人間のオッサン声で・・・・・・・・・大笑いしている。


「グフフ、聞いたぞ~。貴様、チームを追放されたそうじゃあないか! 残念だったなあ、フフフ……。最底辺のコモン異能でも勇者に成れると息巻いていた貴様には、お似合いの末路だとは思わんかね。ええ、トーヤ・アーモンド!」


 そう言って、老鷹は嘴を広げると、愉快そうに僕をあざ笑う。鷹が人の言葉を話すこの光景は、きっと知らない人からすれば不思議な光景に見えるに違いない。


 しかしこの鷹は、人語を解する不思議な鷹……などではない。


 ――【猛獣遣いテイマー】の異能アーク


 その能力は、支配した生き物クリーチャーを意のままに操ること。 

 そしてその持ち主は『ゴルギース伯爵』。認めたくないが……僕の叔父である。



  ◇



 ゴルギース伯爵との因縁・・は、僕がこの学院に入学する以前にさかのぼる。

 僕のようなコモン級の異能アーク持ちが学院の入学試験を受けるには、騎士一人から推薦を受けることが必要だったのだが……。


 表に生きることを決めた僕にとって、暗殺者としての経歴は、葬り去らなければいけない過去となってしまっていた。だから暗殺稼業から足を洗い、勇者を目指すと決めた時点で、過去の痕跡は全て抹消することにした。


 そうして残ったのは、『トーヤ・アーモンド』という何も持たない少年。『アサシンズ・ギルド』に入る前に、逆戻りという訳だった。


 そして、僕みたいな名の知れない馬の骨を推薦してくれる物好きなんて、一人もいないというのがこの世界の厳しい現実である。


 適当にうだつの上がらない騎士を捕まえて、金でも掴ませるか……。いやいや、そういう『汚いこと』をしたくないから、暗殺者を辞めて勇者を目指したわけで。


 今更ながらポンポンと汚い手が浮かんでしまう自分に、自己嫌悪を感じてしまう。


 とにかく、どうにかして騎士の推薦状を手に入れなければいけない。

 諦めたくなかった僕は、最後の手段に出た。絶対に頼りたくなかった相手に、頼ることにしたのだ。

 『トーヤ・アーモンド』の名前と、母の形見のペンダントを見せると、すんなりと屋敷に入ることができた。

 そうして僕は、実の叔父であり、王国騎士であるゴルギース伯爵と面会するところまで何とかこぎつけたのだった。


 僕と対面したゴルギース伯爵は、推薦に一つ条件を付けてきた。

 それは一か月間、ゴルギース伯爵の従者として働くこと。


 そんなことで推薦を貰えるなら安いもの。そう思った僕だったが、従者としての生活はそんな甘いものじゃなかった。


 殴る蹴られるは当たり前。猛獣たちに襲われたのも、一度や二度じゃなかった。猛獣たちの世話やら、彼らが食べる飼料の買い出しやら。日が暮れるまで重労働を押し付けられて、クタクタになってベッドに潜る毎日。

 でも、それだけならまだ良かった。


 なによりも嫌だったのは「折檻」だった。その行為に理由はない。少しでも気に入らないことがあったら、呼び寄せられて、「折檻」が始まる。


 氷のように冷たい目をした、メイド姿の女性。その手は、鞭をしならせている。

 空気を切る音。それと同時に背中に激痛が走る。激痛なんてもんじゃない。もし布を噛んでいなければ、苦痛に耐えられずに絶叫していただろう。


 そんな苦痛に歪む僕の顔を、ゴルギース伯爵はでっぷりと椅子に腰かけて、ニヤニヤした眼で眺める。真正のサディスト――それがゴルギース伯爵の正体だった。


 地獄のような毎日だったけれど、それでも僕は挫けなかった。スタート地点に立たずに諦めるなんて、そんなこと、絶対にしたくない。絶対に勇者候補生になる――その一心で、僕は地獄の一か月間を耐え抜いた。


 そして、一か月後。ようやく地獄から解放された僕だったけれど……推薦状を要求する僕に、ゴルギース伯爵は意地悪そうな顔をしてニタリと笑った。


「推薦状か……グクク、そんな約束、した覚えはないなあ。貴様のような無能が勇者になろうとは、おこがましいとは思わんかね。まあ、儂との立ち会いで勝つことができれば、考えてやらんでもないがな。ガハハハハ!」


 そう、ゴルギース伯爵は、はなから僕を推薦する気なんてなかったのだ。

 現役の王国騎士である自分が、コモン異能の青二才になんて負けるわけがない。それは驕りでもなんでもなく、明白な事実だった。


 確かに、伯爵の【猛獣遣いテイマー】の異能は厄介だ。僕の【盾】は異能による攻撃を無力化できるが、猛獣を操る異能までは無効化できない。『異能殺しの盾』にも弱点がある、というわけだ。

 それに"正面からよーいドン"な戦いだと、暗殺者としての技を生かすこともできない。

 さすがに僕でも、猛獣相手に真正面から戦ったところで、勝機があるかどうか。


 けれど僕は、この立ち合いを受けることにした。向こうがその気なら……。むしろ、これはチャンスだ。僕には秘策があった。


 必要なのは、油断を誘うこと。たった一つの勝機。それを虎視眈々と狙っていることを、悟られてはならない。


 だから僕は、あくまで無鉄砲な若者を演じ切った。「そんなこと、やってみないと分からない!」なんて言葉をわざわざ口にして、根拠のない自身で突っ走る、無知蒙昧な若者だと思わせるように仕向けた。


 "そんなこと、やってみないと分からない"――なんて言葉はまやかしだ。勝負に挑む時点で、勝利への道筋が見えていない者なんかに、勝利の女神は微笑まない。


 仕込みは、完了。

 向こうには、嗜虐心をうずうずさせるゴルギース伯爵の様子が見える。


 ゴルギース伯爵が出してきたのは、持ちうるしもべの中でも最強の猛獣、『白虎』。


 伯爵は、既に勝利を確信した表情だった。それも当然だろう。古今東西、剣と盾だけで白虎に敵った例など存在しないのだから。僕だって、それは承知の上だ。


 ――最初から、白虎に勝とうなんて思ってなんかいない。倒すべきは、その背後で勝ち誇った顔をしている、あの男の方だ。


 伯爵は、じっくり僕をいたぶるつもりのようだった。……狙い通り。白虎の鋭利な爪が襲い掛かる。僕は【盾】で、何とかギリギリのところでそれを防ぐ。


 この一か月間、僕はこの白虎に手を焼かされ続けてきた。餌をやろうとして殺されかけたのも、一度や二度じゃない。


 けれどそのおかげで、既に僕は白虎の"癖"を掴んでいた。


「どうだ、手も足も出まい! それが現実よ、生まれ持った才能こそが全てとな! グクク、二度と歯向かえんようにしてやる……終わらせろ、白虎!」


 ゴルギース伯爵の号令を受けて、白虎は牙をむき出しにする。


 来た……! 僕は、これを待っていたんだ!

 これだけお預けを受けた白虎は、最後には必ず大きなモーションで飛び掛かって来る。この一か月間、何度も見た光景だ。それこそが最大の隙。僕が虎視眈々と待ち続けてきた、唯一の勝機だ。


 僕は白虎の猛撃をかいくぐり、一直線でゴルギース伯爵の元へ向かう。油断しきっていた伯爵が慌てて白虎を呼び戻そうとしたときには、既に決着はついていた。


 ――喉元に突き付けられた、きらめく短剣の切っ先。



「馬鹿な……! この儂が、こんな青二才のガキに足元を掬われるとは……!」

「約束です。これで、推薦状、頂けますよね?」



 「ぐむむ……」と、伯爵は苦虫を噛み潰したような顔でペンを走らせると、僕に推薦状を押し付ける。そしてゴルギース伯爵の推薦を受けた僕は、学院の入学試験に合格。晴れて勇者候補生になったのだった。



  ◇



 僕は、目の前の老鷹を睨み返す。このゴルギース伯爵という男は、何の理由もなしにしもべを送ってくるような奴じゃない。


 伯爵は、あの立ち合いのことを相当根に持っているらしく、学院に入学してからも、僕はこれまで何回も嫌がらせのような行為を受けてきた。


 王国騎士という立場でありながら、その内面はひどく歪んでいる。そして周りの人間も、彼に目を付けられることを恐れて何も言えない。それがゴルギースという男なのだ。


「あなたも暇な立場じゃないはずです。一体何の用ですか、ゴルギース伯爵?」

「クックックッ、そう粋がるでない。今日は貴様の顔を拝みに来ただけよ。……しかし残念だったなぁ、甲鉄虫アイアンワーム相手に手も足も出ずとは。貴様の異能が【シールド】という『守るしか能のない』『クズ異能』であったばっかりに……」


 ――グサッ、グサッ!


 くっ……。相変わらずこの人は、他人の傷を抉るのが上手い……!


 人が一番気にしていることを、躊躇なく突いてくる。おかげで時間が経って少しは癒えてきていた僕の心の傷が、また開きかけてしまった。


 でも……絶対に負けるもんか。


「そうやって揺さぶろうとしても無駄ですよ。誰が何と言おうと……僕は、絶対に・・・諦めませんから」

「フン、無駄な足掻きよ。もはや、貴様と組もうなどとのたまう輩は皆無・・なのだから。クックックッ……その威勢がいつまで続くか見ものよの」


 それだけを言い残して、老鷹、もといゴルギース伯爵は、翼をはためかせると、窓の外へと飛び去っていったのだった……。

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