其の六十八・とある化粧師の話(元桑661・負屓)

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「火の国の女王と戦った死体を操る人って、水龍剣すいりゅうけんを使う引率者の先生だよね?水属性って炎属性に強いじゃん、なんで女王が勝ったの?」

 子供は不思議そうに聞いた。

 普通に戦えば、引率者の水龍剣は女王の火龍剣かりゅうけんに勝てただろうね。けど引率者が取ったのは死者の血を循環させて操る戦い方で、操作の難易度が高い割に属性ダメージは低い、だから火龍剣にギリギリで負けたさ。

 声の主は説明した。

「あっ、わざと不利属性のキャラでボス攻略するプレイヤー、いるよね!」

 子供うんうん頷き、

「じゃあ、彼も『魂剥がし』の儀式を受けたの?」

 と聞いた。

 じゃあ、とある化粧師のお話をしましょうか。

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 町外れの場所に、小さな一軒家が佇んでいた。そこには初老の女が一人で住んでいる。

 あの日、まだ夜が明けぬうちに、家の扉が叩かれた。女が扉を開くと、そこには旅人風の二人組が立っていた。

 一人は白髪交じりの中年男で、ぼろぼろの上着が血の飛沫で赤黒く汚れ、立っているのがやっとの憔悴ぶりだった。

 男と手を繋ぎ、無言で俯いているのは幼い子供で、着ている服は古いものの、ほつれは少なく、大事にされていることは見て取れた。

 とても疲れているから、少し足を休ませてくれないか、と男は願い出た。

 これから仕事で出かけるが、好きに休んでいくがいい、と女は二人を家に上げた。


 男は子供を寝かせ、家主のいない部屋を見回した。

 簡素でさして広くない部屋のほとんどは、作業場として使われているようだ。

 布、皮、金棒、木材等の材料や、のみ刷毛はけ等の器具が散乱する中、ひと際目を引く物があった。最初は誰かが立ってるのかとびっくりしたが、手を伸ばして、その手足に触れ、無機質な冷たさを感じてやっと、それが人を模った人形だと知った。


 女は夜遅くに帰宅し、まだ家に居座っている男に、少ないながらも食料を分け与えた。

 男は子供が寝床を使っていることを詫び、女の職業を聞いた。

 女は、化粧師と名乗った。体を綺麗に整え、髪を梳き、顔を美しく仕上げるのが化粧師の仕事で、作業場にある人形は練習台だとも。

 男は手慣れた感じで人形に向かって作業する女を見た。

 大小さまざまな刷毛を使い分け、色とりどりの顔料を塗り重ねている内に、目元にお茶目な笑い皺が出来、瞳に光りが宿り、頬にかすかな朱が差した人形は、鮮やかな変身を遂げた。

 人形の精彩に満ちた表情を見て、男は圧倒されるばかりだった。


 でさえなければ、あなたの腕は多くの人々を笑顔にできただろうに――

 男は惜しむようにつぶやいた。

 だからこそ、私の仕事は絶えないのだわ――

 女は答えた。

 男はその答えに一瞬戸惑ったが、すぐにその意味が分かった。彼女はきっと、この戦乱の時代においても、享楽に耽っていられる人たちの為に働いているに違いない。日々を生き延びるのに命がけの塵芥平民の上にふんぞり返ってる人たちの為に……


 試しに私にも、一つ化粧してくれないか――

 男はおどけるような口調で聞いてみた。

 いいえ、あなたにはそのがないわ。

 女は素っ気なく断わった。

 

 次の日の朝、部屋の隅にうずくまって寝ていた男を、女は揺すり起こした。

 昨晩はあなたのお願いを断ったが、代りにこの子に化粧を施してやった。この子にはがあるから――

 

 ぼさぼさの髪はつやつやになり、子供らしいお団子に仕上げられた。

 落ち窪んた片目の眼窩に作り物の目が嵌めこまれ、ずっと前からあったような自然さだった。

 痩せ細った頬はふっくらして、健康的な薄紅色がよく馴染んだ。

 男は子供の顔を長い間無言のまま凝視し、やがて震える手をその頬にそっと添えて呟いた。

 そうだった……こんな顔だった……

 生きていたあの頃は、こんな顔だった……


 この不運な時代に生き、呆気なく命を落とす人は沢山いた。彼らは時に顔や体の原型を失うような非業な死を遂げ、家族たちはその死を認めず、現実を受け入られないまま悲しみに暮れるしかなかった。

 そのために、化粧師という職業が生まれた。欠けた死体を繋ぎ合わせ、失われた形を取り戻し、それを生前の一番美しい姿へと蘇らせる。

 女もまた、死の化粧師の一人であった。

 それは時に残酷な仕事である。自分の家族や友人が、原型すらないにくかいな訳がない、きっとどこかで生きていると信じる人々を、残酷な現実へと引き戻すからだ。

 それは同時に慈悲深い仕事である。自分の家族や友人にもう一度会えた、その安らかな眠りは二度と苦痛に犯されることはない、と人々を最後の別れから立ち直らせるからだ。

 

 まだ手放せないのなら、そのまま連れていけ。その子を送り出す勇気が出来たらまた来てください。あの世で再会してすぐに分かるように、最高の化粧をして差し上げるわ。

 女は言った。


 男は、生きた人の心臓を移植することで、死んだ子供を生き長らえさせていた。

 例え魂は取り戻せず、生き返らせたのは体だけだとしても、新しい心臓を探し求めずにはいられなかった。

 町外れにある女の家の門を叩いたのも、家主の心臓が欲しかったから。

 しかし子供のためと言いながら、男はゆるやかに腐り行く子供の顔から目を逸らし続け、どんな顔だったかすら思い出せなくなっていた。


 ありがとう、やっと、この子の顔を思い出した。このまま、葬式を執り行って頂けませんか。

 男は女に向かって、深々と頭を下げた。

 

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 十数人いた子供のほとんどは、女王との戦いで火龍剣に焼かれ、最後に残った一人を連れて負屓の国まで逃亡した螭吻のあざ持ちは、子供のためのささやかな葬式を執り行った。その後、彼は子供たちが死んだ場所――月光花が生えている山の洞窟――へ向かった。命と引き換えに水龍剣を使って洞窟全体を氷で封じた。月光花に命を奪われる人が二度と出ないように――

 声の主は締めくくった。

「氷で自分と国宝を封印しちゃったか、じゃあ魂剥がしの儀式はできないね……」

 螭吻の王家にいるあざ持ちたちはちゃんと儀式を受けたよ。蒲牢ほろうが秘密裏に保護してたあざ持ちの姉弟は公には存在しないことになってる。氷で封じられた洞窟も、外側は崖崩れで塞がれて通れなくなり、普通の事故として処理された。

 声の主は補足した。

「上手く出来すぎじゃない?火龍剣の女王と戦えた水龍剣なら、絶対目立ってたよね、誰も探さなかったの?」

 子供は得心がいかないようだった。

 水龍剣は、水面みなものように透き通る刃を持つと噂されていたけど、男はそれを人の心臓を刳り出すのに使っていた。多くの人の血を吸い過ぎた剣は、やがて錆にも似た赤黒い色に変じ、誰もそれを水龍剣だとは思わず、閉ざされた氷の中で眠り続けるのだった――

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