芸大に通う女子大生の日記

糸目未彩

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 今親とちょっと話し合っていた。

 その記録用のノートである。

 まず、簡単に自己紹介をすると、私は某芸術系の大学に通う女子大生である。

 要点は、私は小説を書きたいから大学に通う。その明確な理由が、現状の大学に持てるのか? という話。

 講義をせずに課題だけをこなすことに、本当に価値があるのか。芸術を学ぶために学校に行っていたのに、何も「体感」も「体験」もできないのは無価値なのでは? 芸術は、確かに想像力も大切だとは思う。けれど刺激が何もない現状、何かを想像する力が欠けていくという事実も、私が実感できるほどにある。先生は、若いうちにたくさんの経験をして、たくさん感動をしなさいと言う。それなのに、私たちは「リアル」を与えられない。芸術は娯楽であり、真っ先に排除された、というのが、おそらくこのコロナ渦で誰もがわかったこと。今、舞台、コンサート、体感することがもっとも面白いはずの芸術が、体感できない。芸術を学ぶ人も、夢に見る人も、最もわかりやすい練習の手段(=見て吸収すること、学校で学ぶこと)から見捨てられた気分になったと思う。大学がオンラインになって真っ先に感じたのは、授業の質が落ちたということ。限られた九十分の中で話せることは、オンラインだとかなり減るのだ。声が重なれば聞こえないし、反応が遅かったり、画面が固まったり……対面ではスムーズな合評が、今では先生に名前を呼ばれないと発言ができない場になった。私たちはなにを学ぶために大学にお金を払うのか。他の大学のことは知らないので、私は今通っている芸大の話しかできないけれど。実習がしたかった。人の声を生で聞きたかった。私はもう、人に触れる感触もよく覚えていない。触れられる感触だって。新たな出会いをした瞬間だって。そんな単純なことが書けない作家がいるだろうか。

 今年度の授業が始まったとき、とある実習授業で「年度末は展示会をする予定だったけれど、今年はできない」と説明をされた。私たちは実習の授業もあって、そんな大学に価値を感じたからお金を払うのに、それもさせてもらえない。

 また、毎年作っていた実習誌も、今年は紙で発行しないか、あるいは少部数だけ自分たちでどうにか作るか、そういう選択肢を与えられた。私の大学は学祭もそれなりに人気だし、そこでパフォーマンスを注目されたり、私たちの実習誌を読んでもらったりする。お披露目の機会も、損なわれたわけだ。

 けれど、学費は変わらない。雑誌を発行できなくても、実習のレッスンを受けられなくても、展示会がなくなっても、大学には同じ金額を払うのだ。

 少なくとも私が通う大学の実態は、こんなものである。

 芸術大学には、オンライン授業は向いていない。

 別に私たちだけが苦しいとは言っていない。苦しいのはみんなだ。だからってそれは、私が苦しいと言ってはいけない理由にはならないだろう。

 ならば休学して働こうか。私の家族には気管支が弱い人がいる。コロナを持って帰って何かがあったら、立ち直れないだろう。そのせいで、我が家では必要最低限の買い物以外では出かけていない。ならば、私が出ていくしかない。十分な稼ぎがあれば、ひとり暮らしをして家族に迷惑をかけることもないだろう。運のよいことにバイト先とは関係が良く、相談すれば準社員にしてもらえる可能性が高い。現在の準社員には、私と同時期に入ったバイトの主婦もいる。休学すれば、現在の奨学金は返金になるかもしれない。それは四年で卒業することが条件だったから。それに、休学をしたところで来年まともに授業を受けられるとも限らない。正解の見えない毎日におびえながら、私はまだ考え続けている。

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