第9話 杠

その感覚は、まるで水の中にいるようなもので。

空気が、いつでも少し遠い。

新鮮な空気を求めるのに、どこまで行っても自分は何かに囲まれているような感覚を味わう。


まるで水槽に閉じ込められているような、閉塞感と息苦しさ。

そして、誰かに見張られているような視線を感じる。

どこにいても。


この現象のことを私は知っていた。


生霊だ。


杠は、恐らく振った女性の生霊に憑かれているのではないだろうか。


念の為、詳しく聞いてみると、杠は案の定、件の女性に対して、優しさのかけらもないひどい振り方をしたようだった。


「だって俺はあくまでも仕事でやってただけで、相手は商品なんだぞ?」


相変わらずデリカシーのないこの男がやってた仕事というのは、夜の世界の仕事。

杠は、いつも法律ぎりぎりのラインで生きてる男だ。

肩書ははじめは小説家だったが、会うたびに、弁護士をやったりゴーストライターをやったりとよく変わるものだった。

とはいえ、私が知る限り、杠は、大体が夜の仕事に関わることで食いつないでいることが多かった。


今回もまた、ある女性を「商品」に仕立てるために「仕事」をしてたのだろう。

だが、女性の方はそんな杠に情が移ったようだ。

告白した結果が塩対応。

未練も恨みも募るのは当たり前という話だった。


「もう少しデリカシーのある紳士対応できなかったわけ?」


『だってよ。好きでもない女に言われたって面白くもなんともねーだろうが』


「いや、そういうことじゃなくてさ。もっとやんわりこう・・・」


昔ホストナンバーワンをやってただけに、話術と女の扱い方はうまいのだろうが、興味のない相手にはほんとにとことん冷たいのが杠で。

付き合いが長い中で、それがわかって、幾度となく話を重ねてきたが、杠の思考回路は一般のそれとは少し違っているらしく、常識が通じないことが多かった。


そんなこいつの何がいいのだかわからないが、何故かこの男はよくモテた。


『しょーがねーべ?好きじゃねーもんは好きじゃねーんだから』


モテるが、頭は10代できっと止まってるのかもしれない。

何しろ、彼は彼の人生で人間関係を築く必要がない人生を送ってきたのだから。


「いや、だからね・・・そうじゃなくてさ・・・」


拗ねたように言い切る杠に、私はため息をついて両肩を落とした。

論点はそこじゃない。

いつものこと。

いつものこと。


だが、このまま会話しても堂々巡りになるのは目に見えていた。

ならば。


「ごめん。ちょっといったん切るね。また連絡するよ」


『おう、そうか』


少し残念そうな声の杠を無視して、私は電話を切った。


が、切ったのは会話を切り上げるためではなかった。


(どうしよう)


私が、動揺していたからだ。


(生霊って、どうしたらいいの)


内心は、半ばパニック。

会話と裏腹に、心臓はどきどきしていた。


少し前に得た知識で、生霊に憑かれた状態のことは知っていたが、杠の状態は、まさに話に聞いたとおりの状態だった。


だとすると、なんとかしなければならない。


(なんとかって・・・一体どうすんのよ、素人が)


どうやって。

どうやって生霊は祓えばいい?


私の周りのサーダカーは霊感はあるが、祓い屋ではない。

霊から身を守る知識はあっても、対処する人間はいなかった。


(どうしよう、どうしよう)


検索をかけて霊能者を探しても、大した情報は見つからないし、そういった霊能者に高額な料金をとられることは目に見えていた。

何より、私には、そんなことに手が出るほどの経済的余裕がなかった。


(情報がほしい)


一人焦燥感に身を揉んでいた私が最後にとった手段は、SNSで助けを求めることだった。


(誰か)


誰か。


誰でも良い。助けてほしい。


必死でSNSの質問広場に書き込みをしてみたり、サーダカーのいるサークルを覗いてみたりしたが。


そのサークルでわかったのは、彼に生き霊がついていることだけだった。


対処は、なし。


(見るだけか・・・)


肩を落として、掲示板の書き込みを見るともなしに眺めていた私は、ある書き込みに目をとめた。


(これ・・・)


それは、霊障で苦しむ人の書き込みだったが、私が注目したのは、その書き込みに対するあるコメントだった。


(この人・・・すごい)


相談者に懇切丁寧に対応しているし、この人は知識もある。

驚くほどに。


私は携帯をスクロールして他の掲示板も目を通したが、霊的な相談で、きちんとした回答をしているのは彼一人だった。


(この人しかいない)


私は、勇気を出してその人にメールを送ってみることにした。





そしてこれが。


宮藤 壱也との出会いとなる。

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