狐の鞠

月人美下

第1話

石畳を進む。立ち並ぶ木々の葉が冬の風に冷たく靡くのを感じながらしばらく進めば、視界の先に石階段が現れるだろう。ここは小さな街の小さな神社。鳥居と本殿しかないその神社は、二体の稲荷の石像が静かに街を見守っていた。


人々が神や妖、魑魅魍魎を信じていたその昔、境内の施設こそ今と変わりないものの、土地に住まう人たちでこの神社も大層賑わっていたという。季節が変われば祭りを開き、祝い事があればいつだって決まってこの神社に集い交流を深めていた。その際に供えられていた油揚げは美味であると、稲荷神の間で噂となり、人々の目に映ることは叶わなくともそれはそれは沢山の稲荷神が集まってきていたそうだ。次の日、空の皿を残して油揚げがなくなっているのを見るのが、土地に住まう人たちの一つの楽しみであった、と古くからここに住む人は口を揃えて言っていた。また他にも、狐の耳をつけた子供が境内で遊んでいた、神社の奥で迷子になった人の子を狐の耳をつけた子供が鳥居の下まで案内してくれた、など、不思議な話は絶えることはなかった。しかしそれも今昔の話である。

街の人々はすっかり魑魅魍魎に興味を示すことはなくなり、季節ごとに行われていた祭り事も行われなくなってしまった。それを神社にいた稲荷神も最初は嘆いていたものの、徐々にその地を見限り、他の場所を探しに土地を離れていってしまう。境内の狭さも相まってか寂れ物寂しい雰囲気を漂わせる神社には、今はたった二匹、双子の姉弟の稲荷の神が誰に奉られることもなく、昔と変わらず土地を守っていた。


「ねぇ椿樹。鞠で遊びましょう!」

「しねぇよ。姉ちゃん一人でやってろ。」


少女は鈴を転がすような声で石座の上で気だるそうに胡座をかく少年に、桜をあしらった桃色の鞠を差しながら声をかけていた。そのままの体勢で器用に頬杖をつき少女に一瞥くべる少年であったが興味は全くないようで。軽く手であしらい、そう言い放った後、身軽な動きで石座から降りるとその場を離れてしまった。


「もう、つれないんだから…いいですよー、一人で遊ぶもん。」

冷たい弟の返答に頬を膨らましてむくれるも、両手で鞠を抱えて気分を切り替えれば本殿の前まで早足で移動し、鞠つき歌を口ずさみながら軽快なリズムで一人鞠をつき始めた。歌の合間に白い息が溢れ、宙を染める。


二人は人の子ではなかった。頭の上に生えたt尖った一対の獣耳、腰からは毛艶のいい尻尾を提げ、冬の寒い時期というにも関わらず防寒着は身につけていない。彼らは稲荷、この街と神社を守る最後の二匹。姉の紫乃と弟の椿樹、姉弟の稲荷の神であった。


尻尾を揺らしながら一人鞠で遊んでいた紫乃であったが、それでは飽きも早いもので。両手に持った鞠を空高く投げ飛ばしてみた。冬の空に浮かぶ雲に桜色の丸が浮かぶ。寒い冬を越えたら、あの鞠のような桜がまたこの境内いっぱいに咲き乱れるのだろうか、と春を待ち侘び考えごとをしながら幾度か鞠を空へと投げていた時、冷たい強い風が鞠をさらった。着地点が変わってしまった鞠は持ち主の手の中に収まることなく、乾いた音を立てて地に転がった。そのまま風に流されるまま、鳥居と越え、石階段を一段、また一段ところだり落ちていく。しかし石階段を下りきってしまえば、そこからは人の生きる世界。神が介入すべきでない世界に足を踏み入れるわけにもいかない、と紫乃は石階段を転げ落ちる鞠を下駄をからんころんと鳴らしながら必死に追いかけた。


「だめ、待って…!」


ずっと昔、境内に置き忘れられた時に拾ってから一番のお気に入りであった鞠は紫乃の声などお構いなしに石階段を転がり落ちていく。あと数段したら人の世界、もう諦める他ないかと顔を歪めた時であった。鞠は石階段の三段目に足をかけた影の主の足にぶつかり、止まった。


「これ、君の鞠?」


聞き慣れない声に小さな耳がびくりと跳ねる。マフラーとダッフルコートを身につけた背の高いメガネをかけた青年はしゃがみ込み足元の鞠を手に取ると、少女と目線を合わせたまま鞠を差し出した。穏やかな表情を湛えた青年の仕草にかすかに頬を赤らめ控えめに頷く少女。受け取った鞠を大事そうに胸に抱え鞠に視線を落とした時、はっと何かを思い出したように勢いよく顔を上げ、丸く大きく開いた瞳で凝視した。


「あなた、私が見えて__」

「誰だお前。」


ふい顔の横から聞こえた少年の声に、少女は言葉の途中でそちらを振り返る。そこにはあからさまに不機嫌を顔に表した弟の姿があった。


「あ、あのね、この人、私の鞠を拾ってくれたのよ?」

「姉ちゃんには聞いてねぇ。この男に聞いてるんだ。」


長い間、人に忘れ去られて生きていた神が人に好ましい感情を抱いていないのは珍しいことではない。少年もまた、自分たちを忘れていった人々をそう良くは思っていないのだ。

突如現れた人間の男に警戒心をむき出しに姉の一歩前に出て自分の問いへの答えを厳しい視線で青年へと促す。それに軽く肩を竦めた青年は立ち上がり、未だなお穏やかな表情で眉を八の字にして少年へと向き合った。


「そんな怖い顔しないでくれ。僕は、この間この街に引っ越してきたただの住人だよ。気を悪くしたのならすまないね。この辺りのことはまだ詳しくなくて。もしまた機会があったら話をしようか。」


それだけ言うと青年は荷物を持ち直し、それじゃあ、と軽く手を振ってその場を去っていった。

青年の後ろ姿が見えなくなった頃、少年はようやく警戒を解き一つため息を吐き石階段を戻る。一方少女は自分たちを認識できる人間に久しく出会えたことが嬉しかったようで、頭の上の耳をピンと立てて興奮気味だ。青年の背中が見えなくなっても尚その先を見つめていた。だんだんと遠くなる少年の下駄の音にはっと我に帰り、石階段を駆け上っていく。少女は先ほど鞠遊びを断られた時のように頬を膨らませ、未だ険しい顔をした少年を覗き込んだ。


「あんな追い返すみたいなことしなくても良かったじゃない。折角また人間と遊べるかもしれないのに!それに、あの人きっと優しい人よ?」

「うるさい。そんなのわかんねぇし。そんなことより腹減った。あったかいもん食いたい。」


少年は石階段を登りきり再びたった二人きりの世界に戻った安心感から、体を伸ばしながら深呼吸をする。そんなことって何よ、と更に膨らむ少女の頬を少年は少し意地悪で優しい笑みを浮かべながら膨らんだ少女の頬を突いた。


「んもう!私の方がお姉ちゃんなのに生意気ね!」


すっかり気分を損ねてしまった少女の様子に、少年は仕方がないな、と態とらしく肩を竦めて笑った。


「拗ねんなよ。今度は一緒に遊んでやるから、な?」


ニッと笑って少女を見つめれば、満更でもなさそうに少女の耳が揺れた。




寒い冬の日だった。少女と少年の声が、冷たい風に吹かれてどこかへ消えていった。

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狐の鞠 月人美下 @tsuki10mika_ss

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