第26話 微笑ましい光景
「……クレトさん、台所が私の知っている台所と違うのですが……」
料理を始めるなり、意外にもステラが呆然としていた。
その理由は台所に設置された魔法具のせいである。
一般的な家庭では炭や薪で着火させて、その火を使って食材に火を通すというもの。
しかし、王都で買い上げた魔法具は、前世のガスコンロのようなものだった。
魔法具は高級なもので一般家庭には普及しておらず、ステラに馴染みがないのは当然だった。
「ああ、これは魔法具でここにあるスイッチを押せば火がつきますよ」
「ボタンを押すだけで火がっ!?」
「さらにこちらのレバーを操作すれば、火加減だって操作できます」
「火加減まで自在なんですか!?」
数々の機能を聞いて、衝撃が強いのかステラが面白いくらいに反応してくれる。
それがちょっと面白い。
やがて水も含む、台所にあるすべての魔法具の機能を説明するとステラは呆然としていた。
「……噂には聞いていましたが、魔法具というのは本当に便利なのですね」
「その分、値段はかなり張りますがね……」
正直、この家にある魔法具の数々と王都の屋敷の値段は同じくらいかもしれない。
それくらい一つ一つの魔法具というのは高額なのだ。
「では、魔法具を少しお借りします。クレトさんはそちらに置いてある食材を食べやすい大きさに切ってもらえますか?」
「わかりました」
多分、俺が肉野菜炒めの野菜を量産する係なのだろう。
まな板と包丁を棚から取り出すと、俺はキャベツ、ニンジン、ピーマン、タマネギといったものを食べやすい大きさにカットしていく。
これらの食材は前世でも使い慣れたものなので、今さら手順に困るものでもない。
「……ニーナの言っていた通り、本当に料理ができるんですね」
俺が野菜をカットしていくのを見て、ステラが感心したように言う。
「一人での生活が長かったですから」
「それでも自分で作れることがすごいですよ。アンドレはあまり手伝ってくれませんので」
これくらい一人暮らしの経験がある男性なら大概の人はできると思うが、この世界では男性があまり料理をしないので、このような過分な評価を頂いてしまうわけだ。
なんだかちょっと気恥ずかしい。
「ステラさんが頼めば、きっと手伝ってくれるようになりますよ」
「そうですかね?」
何せ、彼はステラの事が大好きだからな。普段の接し方を見るとよくわかる。
「クレトさん、オリーブオイルってありますか?」
アヒージョを作るためだろう。キノコをむしり終えたステラが聞いてきた。
「はい、上の棚に入っていますよ」
「……見たことのない調味料がたくさんありますね」
「転移で様々な地域に行くことが多いので色々あるんです。使ってみますか?」
「うう、興味はありますが、使いこなせる自信がないのでまた今度にします」
残念そうにしながらオリーブオイルだけを手に取るステラ。
確かに今から調味料の味を調べて使うのは無理があるな。また今度時間のある時に使わせてあげようと思う。
アヒージョのためのスキレットを取り出して渡すと、ステラがそこにスライスした鷹の爪、ニンニク、オリーブオイルを入れていく。
そして、おそるおそる先ほど説明した着火ボタンを押した。
「これでいいんですよね?」
「はい、ちゃんと点いてますよ」
魔法具で火をつけると、ニンニクや鷹の爪を炒めていく。
ニンニクの香ばしい匂いに食欲を刺激されながら、俺は野菜をカットしていく。
やがて、大量のキノコが投入されてオリーブオイルがぐつぐつと煮込まれていく。
「ふわー、いい匂い!」
その頃には家の中の探検を終えたのかニーナとアンドレがリビングに戻ってきていた。
香ばしい匂いを放つアヒージョに熱い視線を送っている。
その隣のコンロにあるフライパンにカットした野菜を投入。そして、ステラが持ってきてくれた鹿肉に塩胡椒を加えて、フライパンに投入。
「塩胡椒使いますか?」
「使います」
アヒージョにも使うだろうと思って調味料を手渡すと、ステラは手際よく味を調えていった。
「……クレト、俺が代わってやるからお前は休んどけ」
「え? アンドレさん料理できるんですか?」
「こんなの炒めるだけで簡単だ」
アンドレがやってきて強引に台所から追い出されてしまう俺。
突然の交代とアンドレがどこか不機嫌な理由が俺にはわからない。
「……急にどうしたんだろう?」
「クレトとお母さんが仲良さそうだねって言ったら、お父さんが不機嫌になっちゃった」
「あー、それでか」
俺とステラさんが並んで料理している姿を見て、アンドレが嫉妬してしまったのだろう。
ステラも広い台所や魔法具、調味料に喜んでいる様子だったしな。愛妻家である彼としても面白くなかったのだろう。
台所では少しぎこちないフライパンさばきをしているアンドレを、ステラが嬉しそうに見守っている。
結果としてステラの望んでいたアンドレとの料理が現実になったというわけか。
事情はちょっと違うが、これはこれでアリなのだろう。幸せそうな光景だ。
「ニーナ、食器の配膳を手伝ってくれるか?」
「わかった!」
もうすぐ、料理が出来上がることはわかっていたので俺とニーナは、それぞれの食器をテーブルに置くことにした。
「夕食ができました」
そうやって準備を整えていると、ステラとアンドレが作り上げた料理を運んできた。テーブルの中心にはジャガイモの冷製ポタージュ、キノコのアヒージョ。鹿肉のローストとサラダに肉野菜炒め。そして、俺が亜空間から取り出してバスケットに入れたパンだ。
スープや野菜炒めをそれぞれの皿に盛り付け、アンドレがいつものようにワインを注いでくれる。
「……そのワインも少なくなってきましたね」
注ぎ終わったワイン瓶を見ると、既に中身は四分の一になっていた。
あまり減っていない様子からたまに少しずつ飲んでいるのだろう。
「ああ、そろそろ買い足さねえとな」
「いくつか王都のワインもあるので、今度呑みますか?」
「本当か!? 是非呑ませてくれ」
「いいですよ」
取引先にはワイン好きの人も多くいるので、いくつか亜空間に収納しているのだ。
俺はたまにしか呑まないので、随分と量が溜まっている。亜空間で保存しておくよりも、ワインが好きな人が呑む方が幸せだろう。
「それじゃあ、クレトのハウリン村での新生活を祝って乾杯だ!」
「「乾杯!」」
アンドレの威勢のいい声に合わせてグラスや杯をぶつけ合って乾杯だ。
ワインで軽く口を潤すと、まずは冷製ジャガイモポタージュだ。
スプーンをくぐらせると真っ白なポタージュが。その美しさにうっとりとしながら口に運ぶ。
ひんやりとしたポタージュが口内に広がる。ジャガイモ、ミルク、バターの甘みがしっかりと出ていて美味しい。スライスされたオニオンやベーコンも入っており、食感と味の程よいアクセントになっていた。
「冷たいポタージュが身体に染みますね」
「冷たくて美味しい」
これにはニーナもにっこりだ。
夏バテして食欲のない日でも、これならいくらでも食べられる気がする。
俺も今度家でも作ってみようかな。
ジャガイモのポタージュを味わうと、次は鹿のローストビーフサラダ。
赤いソースとからめながらレタスやタマネギと一緒にいただく。
イチゴのような酸味の感じられるソースと鹿肉の強い旨味が口の中で広がる。そして、その濃厚な味をレタスやスライスされたオニオンが中和してくれと気持ちがいい。
「このソースはイチゴですか?」
「はい、木苺を煮詰めて作ったソースですよ」
「へー、お肉ととても合いますね!」
木苺のソースが肉とここまで合うとは思っていなかった。
少し野性味の強い癖のある鹿肉でも、このソースが加わることによって誰でも食べやすいものになっていた。
「うん? このパンいつものと違わないか?」
アンドレがバスケットから取ったパンを手にして首を傾げた。
「それは王都のパン屋で作られたものです」
ゼロからパンを作るのは面倒なので、パンだけは俺の亜空間から取り出したものだ。
「真っ白でふわふわですね。この辺りで作られているものとは根本的に違う気がします」
「小麦をふんだんに使い、魔法具の竈でじっくりと焼き上げているそうですよ」
「色々と蓄えているんだな」
「亜空間に収納して、いつでも取り出して食べられますからね」
こんな便利な魔法があるのだ。有効活用してあげないと勿体ないからな。
このパンは特にお気に入りなので、たくさん収納してあるのだ。
「王都の味がする!」
ニーナは王都に一度も行ったことがなく、俺が転移で連れて行ったのが初めてであるが、幸せそうな顔で食べている彼女に無粋な突っ込みはしない。
ステラの作ったアヒージョに浸して食べると、旨味を吸い込んだキノコとオリーブに非常にマッチしていた。
アヒージョとパンを食べると、最後にアンドレが仕上げてくれた野菜炒めを食べる。
しかし、何故だろう。想像していたよりも食感が硬い。
「……アンドレさん、これちょっと火の通りが甘いんじゃないんですか?」
「そんなことねえだろ。ちゃんと食えるはずだ」
「……野菜が硬い」
「マジかよ、ニーナ!?」
俺だけじゃなくニーナにも言われて、ショックを受けている様子のアンドレ。
「次はちゃんとした野菜炒めが作れるように練習しましょうね?」
「お、おう」
だけど、ステラはもう一度アンドレと料理できることが嬉しいのか、微笑みながら野菜炒めを食べていた。
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