第16話 二拠点生活をしよう
仕事を終えた俺は、王都で拠点にしている宿に戻ってきていた。
商会の近くにある宿屋。そこは一泊するだけで金貨が何枚と飛んでいくような高級宿。
大金を稼ぐことができるようになった俺は、ここ最近そこで生活を送っていた。
それならば適当な家を買った方がいいのではないかと思うかもしれないが、少し前まではそんな暇もないくらいに転移で飛び回っていたし、家を持つ勇気も持てなかった。
結果として一切の家事も食事もする必要のない、今の場所に落ち着いているのである。
一人暮らしなのに複数の部屋があり、リビングもある。寝室にあるベッドはキングサイズで大人が四人くらいは並ぶことができそうでフカフカだ。
前世で暮らしていた狭苦しいアパートはなんだったのだろうと思えるほど。
空間魔法で稼いでいるのでお金は十分にある。
前世では成し遂げることが不可能だと思えた、贅沢な暮らしをしている。
しかし、それなのに今が楽しいかと言われれば違う気がする。
『クレトも生きていくには十分なお金を持っているだろう? ここから先はお金を稼ぐというより、どう人生を楽しく彩るかが重要だ。それについては決めているのかい?』
先程のエミリオの問いかけるような言葉が思い浮かぶ。
異世界にやってきて収入を得て、生活を安定させることはできた。というより、安定以上のものを手に入れることができている。
それを達成した以上は、次の目標を見つけるべきだろう。
思えば、異世界にきてからお金を稼ぐことしかしていない。これでは仕事に塗れた社畜だった頃の前世と変わらない。
ベッドで寝転がっていると、現状や未来への想いがぐるぐると渦巻く。
様々な思いが沸き上がっては消えてを繰り返すが纏まることはない。
「ちょっと外の風に当たるか……」
部屋で過ごしていても思考が纏まらない気がしたので、気分転換で外に出てみることにした。
外に出てみると王都はすっかりと暗くなっており、仕事を終えた人々や依頼を終えた冒険者などが居酒屋に繰り出している。
街灯の代わりとなる光石があちこちで灯っており、昼間とは一味違って光景を見せていた。
少し冷えた風が吹きつける中、俺はなんとなく道を歩く。
ただの気分転換なので行く当てもない。思うままに足を動かすだけ。
しかし、そんな状況でもふとした瞬間にこれからの生活について考え込む自分がいた。
「おい、気をつけろ」
「すみません」
考え込みながら歩いていると、通行人にぶつかってしまった。
どうやら考え込むあまり周りが見えていなかったらしい。
どうせならもう少し誰もいない静かなところに行きたい。
そんなことを思った時に目に付いたのは、王都の中心部にそびえ立つ鐘塔だった。
あそこなら誰にもぶつかることはないだろう。
早速、転移を発動して鐘塔へと移動する。
少し冷たくて強い夜風が吹き付ける鐘塔の頂上部。光石で輝く王都を見下ろしながら呟いた。
「ここ最近は忙しく飛び回っていたから、ここにやってくるのも久し振りだなぁ」
仕事の時は遠くから仕入れることが多い。土地勘がついてきたので王都内で転移することがあっても、以前のように鐘塔から見渡して飛ぶようなことはなくなっていた。
「異世界にやってきた初日に、ここに転移したっけ」
初めて転移を使って大はしゃぎした初日が昨日のことのように思い浮かぶ。
確かこの場所で「空間魔法を使って、この世界で好きに生きてみせる」って目標を立てていた。
しかし、今はどうだろう? 好きに生きるためにはお金が必要。生活の安定が重要。そいれは勿論のことであるが、それだけに囚われて当初の目的を見失っていた気がする。
この世界で俺のやりたいことはなんだ?
少なくても前世のように仕事だけに生きるのは違うと思った。エミリオが言っていた商会を世界一にするというのも面白そうであるが、俺にはピンとこなかった。
前世は東京生まれの東京育ち。早くに母親を亡くし、転移する前には父親も亡くした。
恋人も親友と呼べる者もおらず、独り身。
そんな前世の生活を俺は悔いていた。
今でこそ空間魔法の有用性のお陰で仕事上の付き合いは増えたが、深い関係の者はほぼいない。
エミリオとは仲良くやっているが、ビジネス的な部分があるので判定はグレーだ。
どこか故郷のような心の安らげる居場所が欲しい。
そんな時思い浮かんだのはハウリン村での生活だった。たった一日泊まらせてもらっただけなのだが、そこでの出来事が鮮明に思い浮かぶ。
自然豊かで人が少なくて、自然が豊かで食事が美味しい。
アンドレやステラ、ニーナをはじめとする暖かな村人が生活していた。決して裕福ではないだろうが、ハウリン村で生活しているあの家族は紛れもなく幸せそうであった。
「俺もハウリン村で暮らしてみたいな……」
十分なお金もあるし、ハウリン村で生活をしてみようか?
しかし、王都に住むエミリオと仕事をしているし、転移での商売も刺激的で楽しいと思っていた。それを切り捨てる事は商会を軌道に乗せて頑張っているエミリオにも申し訳ないし、個人的にもしたくない。完全にハウリン村に移住することは難しい。
「王都とハウリン村の両方に住むことができれば……って、空間魔法が使える俺なら無理じゃないな?」
そんな事を気付いた時に思い浮かんだのは、前世でもたまに耳にした『二拠点生活』。
完全に地方に移住するのではなく、片足を都心に残しつつ地方生活を楽しむ人たちは、都市と田舎の「二拠点生活をする人」という意味からデュアラーなんて呼ばれていたりする。
それには場所に囚われない仕事を手にすることが求められるが、俺ならそれもクリアしている。
なんなら一番のデメリットとなる移動疲れだって起こることはない。何せ転移を使えば、移動は一瞬だ。好きな時に移動して戻ってくることができる。
転移があるので拠点を絞らなくてもいいかもしれないが、求めているのは旅ではなく楽しく過ごせる居場所だ。
前世のような寂しい人生を送りたくない。今世こそ、楽しい人生を送るんだ。
ひょんなことで思いついた二拠点生活は今の俺にとてもしっくりとした。
王都の良さと田舎の良さの両方を味わえる。なんて素敵で楽しそうなんだろう。
気が付けば胸の中のモヤモヤはすっかりと晴れ、今となってはこれからの生活を想像してドキドキしている始末。
「よーし、王都ゼラールとハウリン村での二拠点生活をやってみるか!」
異世界初日の出発点となった鐘塔で、俺はまたしても新たな決意を定めるのであった。
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