天使。天使?

 あるところに、とても信心深いひとたちが暮らす小さな町がありました。皆祈りを欠かさず感謝を忘れず慎ましく暮らしていました。


 ある日、町の片隅に住む若者が慌てた様子で聖堂に駆け込んできました。聖堂の聖職者が何事か尋ねると、若者はこう言いました。


「天使が降りてきた」


 驚いた聖職者が若者の家に行ってみると、確かに背中に真っ白な翼を生やした少女がいました。聖職者は彼女を聖堂に連れて帰りました。


「あなたは何処から来たのですか?」

「私は天より参りました」

「何のために?」

「主より授かった使命を果たすために」

「その使命とは?」

「あなた方を導くことです」


 その言葉を聞いた聖職者は喜びを隠し切れませんでした。自分たちの信仰が報われる時が来たと思ったからです。


「では、我々は主の治める国へ連れていっていただけるのですか?」

「いいえ。このままではあなた方は主の御許へは行けません」


 聖職者は驚きました。それに構わず天使は言葉を続けました。


「あなた方の信仰心の篤さは主もよくご存知です。しかし、その方法が間違っているのです」


 そう言って、一つ一つその町で行われている儀礼を否定し始めました。それは家庭内での小さなものから年に一度町をあげて行われる大事なものまで、多くの儀礼が否定されていきました。最初は殊勝な面持ちで聞いていた聖職者も、だんだんと表情を曇らせていき、天使の言葉が終わる頃には黙り込んでしまいました。


「……失礼ですが、私にはあなたが本当に天使だとは思えません」

「それはどうしてですか?」

「あなたは我々の信仰を否定し、粉々にしようとしている」

「そう捉えることもできますね。間違った行いは正さねばなりませんから」

「この町に伝わる儀礼は我々が先祖たちから脈々と受け継いできたものです。それを間違いだと言われてもにわかには信じられません」

「主の使いである私を否定すると?」

「そもそも、あなたは本当に天使なのか?我々の信仰を揺らがせに来た悪魔ではないのか?」

「私の導きに応じないのであればご自由に。主より授けられた使命を全うできないのはたいへん遺憾ですが、仕方ありません」


 そう言うと、翼の生えた少女は霧のようにかき消えてしまいました。


 聖職者が聖堂の外に出ると、噂を聞きつけた町の人たちでごった返していました。


「天使が現れたというのは本当ですか?」

「天使は何とおっしゃったんですか?」

「救いの時が来たのですか?」


 彼らは各々の疑問を聖職者にぶつけます。聖職者は答えました。


「残念なことに、あれは天使などではありませんでした。あの者は私たちに今の信仰を捨てさせようと現れた悪魔でした。しかしご安心ください。悪魔は去りました。私たちの敬虔深さに諦めて逃げていきました」


 聴衆はその言葉を聞いて一様にがっかりした様子で去っていきました。すぐにこの出来事は忘れられ、記憶にも記録にも残る事はありませんでした。


 果たして、聖職者の判断は本当に正しかったのでしょうか。天使を名乗った有翼の少女は本当は何者だったのでしょうか。

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