第4話 二度目の夕食
成長期の少年には悪いが、今日の夕飯は昨日の鍋の残りだ。白菜と豚バラ肉を足して、まったく同じかと思われてもアレだから、今日は鍋の中にうどんを投入しよう。うん。そうしよう。
時間的には19時前と夕食にはやや早い時間帯。いつもならお風呂に入って夕食を食べるのだが、今日はまぁ良いだろう。――…それよりも…
「…一ノ瀬君、…何かね…?」
「…別に…。」
わざわざ布が掛かったテレビを解禁し、映像を映し出しているというのに、一ノ瀬少年は美琴と同じく台所に立っていた。何をしているわけでもなく、ただ美琴のやっている行動をまじまじと見ている。
「…何も変なもの入れないよ?」
「いや、そういうわけじゃなくて…。」
「…?」
「…人が料理しているの、初めて近くで見るなと思って…。」
「…?でも、家政婦さんが居たんでしょ?それに、コックさんが作りに来るって…。」
「居たけど…、俺のこと無視して適当に作って置いていくから。」
「あー…、適当ではなく、プロの技っすよ、先輩。」
「どうだろうね…。」
「君は本当に高校生かね?」
明るく返事を返してみたが、アンニュイな表情を浮かべる青年は、18年しか生きていないようには見えない。このような表情が自然と出てしまう彼の成長過程には何があったというのだろうか。
「…お姉さんはいくつなの?」
「少年よ。女性に歳を聞くでないと教わったことはないかい?」
「ない。」
「あぁ…、そう…。……今年で25になるかな。…女性は年齢に敏感だから、あまり聞かない方がいいかもよ。まぁ、社交辞令として会話のきっかけづくりにもなることもあるかもだけど…、年齢よりも見た目が年取ってるように見えるときは気まずいからやっぱり辞めたほうがいいね。」
「分かった。」
やはり少年は素直だ。
「…作ってみる?…って言っても、もう終わるんだけど…。」
「……うん。」
美琴は冷蔵庫の中から卵を2つ取り出す。もともと卵を入れる予定はなかったが、先ほどの会話を聞いていると、なんとなく彼にもやらせてみようかなと思ったのだ。
「この器の中に卵割ってもらおうかな。」
「え?どうやって割るの?」
「この辺の平たいところで卵の中央付近ぶつけたらひびが入るから、やってみて?」
「え?大丈夫?潰れない?」
「大丈夫大丈夫。多分潰れない。」
「多分!?」
「いや、大丈夫。」
緊張した様子の少年は年相応か、それよりも幼く見えて可愛らしい。思わず美琴は微笑んでしまう。
「…お姉さん、俺のこと馬鹿にしてる…。」
「馬鹿にしてないよ。かわいいなと思って。」
「それ、馬鹿にしてるじゃん…。」
「違うんだって、本当に。ほら、一緒にやろう。」
微笑んだことで少年がいじけてしまった。美琴はそんな様子もかわいいなと思いながら、少年の卵を持っている手に自身の手を添えてキッチンの天板に卵をぶつけた。
「ちょっとっ!…割れちゃったよ、どうするの?」
「割ったんだよ、少年。…で、そしたら両手で持って、両サイドを広げるの。そうそう、上手。」
「…。」
無事に器の中に落ちた満月の様な卵。綺麗に割れたというのに、少年を覗くと予想外に無表情だ。
「…えーっと、上手だよ?」
「…もう一個やる。」
「…あ、うん。お願い…。」
何か不機嫌になるようなことがあったのかと心配したが、杞憂のようだ。少年の目が輝き、もう一つの卵に生き生きと手を伸ばした。やはり可愛い。
卵が半熟に仕上がったところで火を止め、こたつ机に鍋を持っていく。昨日の鍋の残りで作った月見うどんの完成だ。
「ポン酢だけ?」
「うん。」
「私はキムチも入ーれよ。」
そうして始まった二日目の不思議な晩餐。目の前に昨日知り合ったばかりの人気俳優が居るというのも不思議だが、やはり、この環境になんの違和感もないのが一番の不思議だ。
「…美味しい…。」
「一ノ瀬君が割ってくれた卵も半熟で美味しいよ。ありがとね。手伝ってくれて。」
美琴がそう伝えると照れたような表情を見せる一ノ瀬少年は、もはや可愛さしかない。
「…大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。私もおばちゃんになったってことかしら…。」
「は?」
あまりの可愛さに身もだえていると、一ノ瀬少年にゴミでも見るような目線を送られてしまったため、美琴は体勢を整える。
「…で、何で今日うちの前に居たの?」
「…。」
うどんをすすりながら美琴が一ノ瀬少年に話を促すと、少年の箸が止まった。その様子に美琴もとりあえず持っていた器を机に置く。
「…今日、仕事場に行って謝ってきた…。昨日、勝手に抜け出したこと…。」
「…。」
「そしたら、やっぱりみんな俺に気を使った感じで話し始めてさ…。…俺、今の仕事って周りに当たり前みたいに提供されたものなんだけど、自分でもなんでやってるのか分かんなくって…。でも、やめるかって言われたらそれもなんか嫌で…。今日、仕事場に行ったら、視野が広がった気がしたんだ…。気を使われて、居心地悪かったのは、今までと一緒だったんだけど、…なんか周りの人が生き生きとしている感じが伝わってきて…、うらやましいなって…。…説明しにくいや…。…とりあえず、俺自身の力で、みんなの目に映りたい…。」
「…一ノ瀬君は、今の仕事が好きなんだね。」
「…そうみたい。」
「…自分の悪かったことを認めて、ちゃんと謝るってなかなかできないことなんだよ。…偉いぞ、少年。」
美琴は少年のワックスで無造作に整えられた髪を撫でる。少年はされるがままだ。親があまり関わってこなかったようだが、褒められるということをあまり経験してこなかったのだろうか。顔を俯かせているが、耳がほのかに赤く染まっているのが可愛いらしい。
(…それにしても…、赤の他人に言われた言葉で反省してすぐに実行に移すなんて…、きっと滅茶苦茶素直な人間なんだろうな…。)
未だに嫌がらずに撫でられている少年を見て、美琴は心配になる。
(…世の中良い人ばかりじゃないからなぁ…。芸能界って良く分かんないけど、ドロドロしてそうだし…。)
しかしながら、住む世界が違うのだ。美琴はこの素直で可愛らしい少年が、これ以上傷つかないように祈ることしかできない。美琴は気持ちを入れ替える。
「よし!食べよう少年。」
「…一ノ瀬慶太。」
「食べよう一ノ瀬君!…いやー、もしかしたら一ノ瀬君はこれから大いに飛躍するかもだねぇ~。」
「…何それ。」
「今日患者さんのテレビで流れてたの。スーパースターだって。ただでさえ今も人気者なのに、やる気が出たらすごいことになるね。」
「スーパースター?今までお姉さん、俺のこと知らなかったのに?」
「いや、それは本当にごめんなさい。」
一ノ瀬君だけではなく、美琴はそもそも芸能界に興味がないから、知っている芸能人の数が圧倒的に少ないのだ。見たことあるけど名前は知らないとかも多い。断じて一ノ瀬君だけ知らない訳ではない。
「お姉さん、名前なんていうの?」
必死に一ノ瀬少年に弁明していると、全然関係ない質問を繰り出される。しかも、だいぶ今更な質問だ。
「あ~、そういえば言ってなかったっけ…?」
「うん。お姉さんのこと、俺何も知らない。」
「ごめんごめん。…岩永琴美、今年で25歳。椿総合病院で看護師として働いてるよ。」
「椿総合病院?それって、隣の椿市にある?…ここから遠くない?」
「あれ?知ってるの?そうそう、その椿総合病院。」
「ふーん…。美琴って呼んでいい?」
「美琴で良いけど、さんをつけろ、さんを。」
「…美琴さん…。」
「そう。目上の人にはさんをつけなさい。というか、初対面の人には必ず敬称をつけなさい。」
「敬称?」
「○○さんとか、○○ちゃんとか。」
「じゃあ、美琴ちゃんでも良いの?」
「…いや、そんな年じゃないからそれはやめよう。」
こうして二人で摂る楽しい2回目の夕食はあっという間に過ぎて行った。
◇
「美琴さん、俺、今日も泊っていい?」
「えぇ!?ダメダメ!何言ってんのさ!」
「何でダメなの?」
「いやだって、君、人気俳優なんでしょ?そんなほいほい女性の家に泊まるんじゃありません!」
「でも、別に男女の仲って訳でもないじゃん。」
「男女の仲って…、どこでそんな言葉覚えてきたの…。…というか、あなたの職業はイメージを売っているようなものでしょ?それに、未成年なんだから、あんまり外泊はよろしくないんじゃないかと…。」
「でも、俺家に帰ってもどうせ誰もいないよ?――…それに、もうこんな時間だし。…俺、マネージャーに夜中出歩くなって言われてる。」
「それを早く言ってくれっ!!!」
もう21時は過ぎている。当たり前だが外は真っ暗だ。確かに、こんな真っ暗な時間帯にこんなイケメンを外に放り出したらもしかしたら何かしらの犯罪を助長させてしまうかもしれない。
というか、未成年って何時から補導されるんだっけ…?
「くっ…、…しょうがない…、こんな時間になるまで気づかなかった私も悪い…。…少年よ。泊っていきなさい。」
「だから、なんでそんな物々しいの?」
「…ふぅー…。すっきりしたー…。」
美琴がお風呂から出ると、一ノ瀬少年はこたつでうとうととしていた。お風呂に先に入ったから眠くなったのだろうか。
「おーい。一ノ瀬君。お布団敷こう。お布団。」
「…ん、…お風呂あがったの…?」
「うん。おかげでぽかぽか。」
「…こたつって良いよね。俺の家ないけど、すごく暖かい。」
「でしょ?でも、こたつで寝ると風邪ひいちゃうし、身体凝るからお布団で寝て。」
「分かった…。」
こたつを動かして布団を敷く。だいぶ眠いようで、布団を敷くと一ノ瀬少年はパタンと布団の上に倒れこんだ。美琴もベッドに横になり、照明のリモコンを枕の下から探り出す。
「お休み、一ノ瀬君。」
「…お休み、美琴さん…。」
電気を消す直前、どこか照れくさそうな一ノ瀬少年の表情が見えた気がした。うん。可愛い。
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