第3話 嘘だと言って
「あれ?美琴、お前昨日明けで帰らなかった?」
「うん。野口さんの代わり。」
「あー…、そっか。明け日勤お疲れ様でーす。」
「…。」
朝の情報収集の時間。電子カルテを弄っていると、同じく看護師の伊藤が横の電子カルテを開きながら声をかけてきた。本当にお疲れ様だと思っているのか、にやにやしながら横で笑っているのがむかつき、美琴は伊藤の脇腹に肘を入れる。
「うおっ!お前な、暴力はやめろよ。」
「これは暴力ではない。乙女からのボディータッチだ。」
「は?どこに乙女が?」
「うるさい。」
美琴が居るのは3次救急病院の整形外科病棟だ。整形外科と言っても3次救急という急性期病院であるため、結構いろいろな科の入院患者さんが入っては出てを繰り返している。そして、この失礼な男、伊藤は入職当初は6人いた中で、唯一残った美琴の同期で、今日のペアの相手。
美琴がいる病院は
「俺、昨日も日勤で同じ部屋看てたから、俺が記録書くよ。お前検温して?」
「分かった。」
今日は日曜日だ。基本日曜日は緊急でない限り手術がないため、落ち着いている。リハビリも平日は2回あるが、今日は1回であるため、患者さんものんびり過ごしているようでナースコールも少ない。嬉しいことに午前中にほとんどの業務が終わった。あとは午前中に気になった患者さんの臨時検温を回って明日の準備をするだけで今日の業務は終わる。
一息つくことで今朝までの出来事が美琴の頭の中に蘇った。
なんだかんだ、美琴は昨日、見ず知らずの男を家に泊めてしまった。弟に言えば大激怒されてしまうと思うが、男も自分自身も眠かったのだからしょうがない。
食事を摂り、師長にメッセージを送り返すと、何か言いかけていた様子の男に質問するも特に何もなかったようで、話は流れた。その後どうでもいい会話を続けているとお互い眠くなり、弟用に買っていた歯ブラシを渡してお互い歯磨きをして、寝た。
ちなみに寝床は弟用に用意していたお布団セットを使ってもらった。(下着も弟用に買ってあった新しいものがあったからそれを履いてもらった。)なぜこんなにも準備が良いのかと若干引かれたが、大好きな弟がいつ来てもいいように万全の対策を取っているのだから仕方がない。
とりあえず、お互いが男女だということを意識することもなく寝て、朝起きて、普通に一緒に朝食を摂って、一緒に家を出た。
あれ?家族だっけ?と思うほど違和感なく過ごして家を出たのだ。
(…ていうか、私、あの人の名前も知らないや…。)
そういえば、本当に男について何もかも分からない。友人や周りの人からそのような話を聞けば『あんたは馬鹿か』と間違いなく言うだろうが、実際にその男と過ごした美琴にとっては、男から出ているオーラだろうか。保護しなければという意識しか湧かなかったのだ。
「そろそろ臨検回る?」
「そうだね。」
伊藤に声をかけられ、美琴は思考を止める。伊藤に電子カルテを託して、美琴は伊藤と共にラウンドへ向かった。
「高橋さん、また血圧測っても良いですか?」
「そうねぇ、ありがとう。岩永ちゃん。でもー…、伊藤君に見つめられたら私ドキドキして血圧また上がっちゃう!」
「はは。じゃあ、俺あっち向いてますよ。」
「もー!冗談よー!」
「ふふふ、高橋さん、測りますよー。」
「はーい。」
どの職業もそうだとは思うが、看護師だって接する相手に対して悪い印象は与えないように努力する。しかし、この伊藤という男は、患者さんの前でのきらきら度がすさまじい。爽やかさが群を抜いるのだ。男性の看護師というのは少ないのだが、整形外科病棟には男性のリハビリスタッフの出入りは多い。その男性スタッフの中で、患者さんからの人気度は一位二位を争うほどだ。
「134/78㎜Hg 朝よりは下がりましたね。」
「良かったー。…あ、ほらほら見て、岩永ちゃん、伊藤君、この子知ってる?私この子大好きなのよー。どうしよう、また血圧上がっちゃったら…!」
「はは、誰ですか?」
病院の中でテレビは患者さんの娯楽だ。雑誌やパソコンを持参する人もいるが、雑誌はすぐに読み終わるし、WiFiも自分で用意しないといけないため、テレビをずっとつけている方が多い。そのテレビから、明るい音声と共に映し出される一人の男。
『――今大人気の実力派俳優
その端正な甘いルックスと高校生とは思えない鍛え上げられた引き締まったボディー
圧倒的な演技力で世の女性を虜にし、モデルや同世代の俳優を抑え、
ぶっちぎりの票を獲得して国民的イケメンコンテストで第一位を獲得したスーパースター。
一ノ瀬慶太について迫ります!!――』
「もー!この子すっごくタイプなのー!というか、誰が見てもこの子のことはイケメンって言うと思うのよねー!どう?この子かっこよくない?岩永ちゃん。」
「え、…こ、…高校生…?」
「そうなのよー!そこも彼の怖いところ!本当に高校生かって思うぐらい大人びてるのよねー。」
盛り上がっている高橋さんに挨拶をして他の人の検温に回った伊藤と美琴だが、美琴は先ほどのバラエティ番組で紹介されていた人物が頭から離れない。
(……今朝まで家にいた人と瓜二つだったんだけど…。え…、嘘でしょ…。…あんな彫刻みたいなイケメン、世の中2人も居る…?……いや、きっと違う。ただのそっくりさんだよ。うん。絶対そう。)
「…なぁ、さっきからなんなの?お前バイブ機能でも搭載してんの?」
「違うの、これは単なるシバリング。」
(※シバリング:体温が下がった時に筋肉を動かすことで熱を発生させ、体温を保とうとする生理現象)
「なんでだよ。」
美琴は否定するも、頭の中で恐ろしい考えしか浮かんでこない。思わず身体が震えてしまう。
(…え、もし、彼が本当にさっきテレビで出てた人だったら…。)
「伊藤、私、今日ノー残業で帰りたい。一分一秒でも早く。」
「…?…あー、お前、昨日明けだったな…。なに、本当に大丈夫か?」
「あんたの寝ぐせよりは大丈夫。」
「え!?嘘、寝ぐせついてる…!?…って、おい!!」
美琴はその恐ろしい考えが頭の中をぐるぐると回る。美琴の後ろで伊藤が何やら叫んでいるが、美琴は気にする余裕も無くステーションへ戻った。
◇
「お疲れさまでした!!」
「はやっ」
リーダーへ申し送を済ませ、電子カルテや使った血圧計などをいつもの倍以上に早く動き片付け終えると、終業時間の17時30分ピタピタに美琴は病棟を出た。急いで着替えて駅へ向かう。
早く家に帰ってあの男に聞きたいことがある。朝、家を出る前にお互いの連絡先を知らないねとなって、その時にその辺にあった紙の裏にスマホの電話番号を書いて渡し合ったのだ。(何故かその時は急いでいたからか、名前も知らないということを思いつかなかった。バカだ。)
その紙は未だ玄関に置かれているはずだ。美琴は気持ちが焦る。
「…聞かなきゃ…。」
最寄りの駅を降りて、速足で家へ向かうといつもの公園が見えてくる。今日は気温は低いものの晴れていた。しかし、日曜日と言えど、冬の18時。辺りは暗くなっており、公園で遊んでいる子どもはもう居ない。マンションのオートロックを開けようと、階段を上がり、カギを差し込もうとしたその時――
「…お帰り、お姉さん。」
「……な、…何で居んの!?」
マンションの花壇に座り込んでいるフードを深めにかぶってマスクをした男。今朝まで一緒に居て、美琴の感情を嵐のように掻き乱している男が目の前に居た。
「ちょ、ちょ、ちょっと、家に…、いや、どこか話ができる場所に…!」
「いや、人の多い場所は避けたいかな…。お姉さんの部屋じゃだめ?」
聞きたかった話題は美琴としてもあまり人に聞かれたい話ではない。美琴は腹を決める。
「…よし、少年。部屋に招こうではないか…。」
「なんでそんな物々しいの?」
早く話はしたいが、手洗いうがいは忘れない。美琴は男にも同じように感染予防対策をさせ、暖房とこたつの電源ををつけると、小さなこたつ机で向かい合って座る。
「あんた、もしかして…、――なんとかかんとかっていう俳優?」
「いや、名前全然覚えてないじゃん。…まぁ…、俳優なのかな…?」
「…ち…、ちなみに、ご年齢は…?」
「17歳。今年で18。」
(――…NOーーーーー!!!!嘘だと言ってーーー!!!)
美琴が恐れていた疑惑が確信に変わる。
(…え、じゃあ、私って、昨日…)
――未成年、無断外泊、深夜外出、お坊ちゃん、誘拐、青少年健全育成条例違反、警察、懲役、免許剥奪――
「…お、親御さんと、お話しさせてください…。」
「…は…?」
「君が未成年だと思わなかったの!本当に!同年代か、少し下かぐらいにしか思わなくて!やましい気持ちはなかったんです!裁判沙汰だけは…!」
「いや、何言って…。」
「免許剥奪だけは…!私看護師免許なければこの先やっていけない…!」
美琴の中で最悪なシナリオが出来上がってしまう。このままでは大学生の、しかも医学部という金がかかる学部に進んでいる弟の在学が危うくなってしまう。
「…何を考えてんのかわかんないけど、あの人ら俺に興味ないから話なんてしなくていいよ。」
「…え…?」
「親と話がしたいんでしょ?でも、あの人らは俺と関わってないの。俺も連絡先知らないし。」
「…えーっと、君、高校生、なんだよね…?」
「そうだけど、…物心つく頃から家には家政婦しかいなかったから、別に俺が何処で何してようがあの人らは知ったこっちゃないよ…。」
どうでもいいように自身の指を見つめるその表情は冷めきっている。世の中いろいろな家庭がある事は知っている。家族皆が健康で、お互いを大切に思っているという、一般的だと思われている家庭は日本全体の何%を占めているのだろうか。
冷めきっている表情はどこか寂しげに見えるのは美琴の思い違いか。何を考えているのか分からないその視線を遮るように、少年の視線の先にある指を組み合わせている手に美琴は自身の手を乗せた。
「…で?少年。君の名前はなんていうの?」
「…一ノ瀬、慶太…。」
「一ノ瀬君、おなかすいてる?」
「…まぁまぁ…。」
「一緒にご飯食べよう?…あんたも私に話があったんでしょ?」
「…うん…。」
素直にうなづく様子は年相応に見える。美琴が保護しなければと思ったのは無意識のうちに男が保護対象年齢だと感じ取ったからか、それともほかに何かあったのか。
とりあえず、腹を満たして考えよう。
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