第2話 こたつと鍋

「風呂!お湯溜めるからそれに入って、しっかり身体温めて!」

 美琴は男を脱衣所に押し込め、服を脱がす。


「え、ちょ、ちょっと…。」

「…あぁ、ごめん、つい…。」

 美琴の職業は看護師だ。悲しいかな、男のチラッと見えた引き締まった腹筋など気にも留めず、それよりも保温しなくてはという責務しか頭になかった。

「…お湯が溜めるまで、とりあえずシャワーで身体あっためて…。というか、水分とか摂った?」

「…水分…?」

「朝から何にも食べたり飲んだりしてないの?」

「…あー…、昨日からかも…。」

「おい。」


 美琴はついイラっとして目の前の男を睨んでしまった。自己管理ぐらいしっかりしろと思うが、一日中雨に打たれていた人物だ。自己管理もへったくれもない。


「…とりあえず、脱いで、シャワーで身体あっためてて…。」

「…。」

 男は返事をしなかったが、服を着たまま風呂場の中に入れ、美琴は脱衣所から離れる。

 キッチンへ戻り、ケトルでお湯を沸かしながらコンロの向かいに置いてあったカラーボックスの中を漁る。確か、ちょうどいいのがあった気がする。


(あ、あったあった。)


 お湯が沸いたら、それを作って美琴は再び脱衣所に戻り、風呂場へ声をかける。


「ちゃんとお湯に当たってる?」

「…まぁ…。」

「少し開けるよ。」

「はっ!?ちょっと、なんなのさっきから…!?」

「別に何にもしないんだから、気にしないでよ。」

「……。」

 美琴が少しだけ風呂場のドアを開け、中にコップを2つ入れる。

「…なに…?」

「ホットポカリ。身体温まった?温まったなら後ででいいけど、湯船に浸かる前にはこれ飲んで。一応、白湯も持ってきたから。低血糖と脱水にだけは気をつけて。」

「…。」

「…じゃ。」


 美琴はキッチンに戻りお鍋の用意をする。用意と言っても食材を切るだけなのだが、料理が嫌いな美琴にとってはそれさえも手間だ。

 コンロの下にある戸棚から2つある土鍋の中から大きい方、9号サイズの土鍋を取り出し、めんつゆを入れ、そこに切った食材を入れていく。弟が来た時に二人で食べる用で大きめの土鍋も常備してあるのだ。

 美琴は固めの大根から先に入れ、コンロの火をつけた。おいしい鍋の作り方など分からないが、根菜類はお湯からではなく水から茹でるというのをどこかで聞いたことがある。もしかしたら記憶違いかもしれないが。

 とりあえず、すべてを切るころには大根もいい感じに仕上がっていてほしいため、先に固いものから土鍋の中に放り込んでいるのだ。

 全て切り終え、最後にやわらかい葉野菜の葉の部分を投入する。材料が鍋から溢れるほどもりもりになってしまったが、蓋をしてみないようにした。きっと葉野菜がしなっとなるため、出来上がるころには少しは嵩も減っているだろう。背後で炊飯器が鳴る。脱衣所からも音がしてきた。彼も風呂から上がったようだ。


「温まった?ドライヤー使っていいよ。」

 背後で足音を感じ、美琴は脱衣所のある位置を振り返ると、身体が硬直する。


「…あの…、ありがとう。思ったよりすっげー冷えてたみたいだった…。」

「…。」

「…あの…。」

「…いや、あんた、…イケメンが過ぎんか…?」


 さっきまではマスクやフードで顔が全く見えなかったが、風呂から上がった男は彫刻のように美しかった。我が弟には悪いが、同じスウェットでも雑誌に掲載されるようなお洒落なものに見えてしまう。しかも、弟も背は高いほうなのだが、彼は手足が長いのか、やや袖や丈が足りないようだ。


「はぁ…。まぁ、よく言われる。」

「でしょうな。」

 謙遜しないスタイルのようだが、彼なら大いに許せる。まさに美男子、美丈夫、イケメン、色男、二枚目、なんと表現すればいいのか分からないが、とりあえず、こんなにも顔が整ってスタイルもいい男を美琴は初めてお目にかかった。


 今になってよくよく考えると、見知らぬ女に家に押し込まれ、風呂を強制されるという状況は、イケメンな彼にとって恐怖でしかないのではないかと客観的な思考が芽生えてきた。しかも、目の前には明らかに一人用ではない土鍋がぐつぐつと音を立て出番を待っている。


「いや、私あんたがイケメンだから家に押し込んだわけじゃないよっ!純粋に心配でっ…!」

「あー、…うん。ありがとう。」

「え…あ、どういたしまして…。」

「…まぁお姉さんの反応見てたら分かるよ…。それに、俺さっきまで顔隠してたし。」

「あ…、それもそうか…。」

「…ていうか、お姉さん、テレビとか見ないの?」

「…テレビ…?あー…、あんまり見ないかも…。」

 男が指さす、キッチンから見える洋室に置かれているテレビには埃避けの布が掛けられており、いかにも使っていませんという主張が強い。

「ふーん…。」

「…?見たいの?」

「いや、別に。」

「…。」

 何なんだろうかと思いつつも、美琴は男を覗き見る。なぜこんな寒い中、一人公園で雨に打たれていたのだろうか。

「…もし、良ければなんだけど、…鍋、食べる?」

「…うん。」

 男はとても素直だった。







 弟でもなく、職場の人でもなく、見ず知らずの良く分からない男とこたつで鍋を突いているという、なんとも不思議な食事がスタートした。

「ポン酢いる?」

「うん。使う。」

「キムチのもといる?」

「それはいい。」

 岩永家の鍋はポン酢とキムチのもとを自分の取り皿でセルフで調合するスタイルだ。

 男に髪を乾かせ、始まった食事は不思議ながらも居心地は悪くない。黙々と食事を摂る男はよほどお腹がすいていたのか、9号の土鍋で山盛り入れた食材がほとんどなくなる勢いだ。

「お腹すいてたの?」

「んー。美味しくて。」

「え?本当?おいしい?」

 料理嫌いな美琴はおいしいと言われ嬉しく感じる。それがめんつゆを入れただけだとしても。

「いや、おいしいというか、家庭料理って感じで。」

「は?どっちよ。」

 喜んだのも束の間、どういう意味か分からない発言に、美琴はガクッと項垂れる。

「いや、おいしいよ。初めて食べたかもこういうの。」

「こういうの?」

「いつもレストランのデリバリーとか、コックさんが家に作りに来てくれるから。」

「…はい?」

「こういう家庭料理みたいなの初めて食べた。」

「…いや、なんなの?あんたお坊ちゃんなの?」

「まぁ、世間的にはそうなのかも。」

「…それはあまり人に言わない方がいいのでは…。」

「まぁ…、そうなんだけどね。」

 飄々と答える男はどこか掴みどころがない。本当にお坊ちゃまなのだとしたら――


「…なんであんなところに居たの?」

「…んー…、仕事抜け出して気づいたらあそこにいた。」

「…ん?…仕事抜け出した?」

「そう。…なんか仕事がめんどくさくなって、途中で出てきちゃった。」

「は…?…その後職場に連絡とかは…。」

「してないよ。別に、誰も俺のことなんて待ってないと思うし、そもそも俺がやりたくって始めたわけじゃなくて周りが勝手に期待して始まっただけだしさ。」


「いやいやいやいや!!!!!」

 思わず美琴はバンっと机に両手をついて男を睨む。


「それはあまりに無責任じゃないでしょうか!」


 美琴は職場環境を思い出す。一人欠勤が出ただけで大荒れになる病棟内。午前中に終わらしたいケアが午後に持ち越し、患者さんの話を聞きながらも頭では違うことを考え、指は記録をマッハで書き上げるという暴挙。そしてナースコールの嵐に揉まれ、ドクターの指示を見落とさないように電子カルテのの指示受けを速読していく勤務時間。


「一人いなくなるだけで、結構ダメージでかいから、マジで。」


 体調が悪かったりするのはしょうがないが、体調悪くても薬を飲んで出勤するのが看護師の性だ。感染性を伴うのであれば休むべきだが、感染能力がないのであればどんなにだるくても、熱があっても欠勤するわけにはいかない。休んでもいいとは言われるが、休めないのだ。忙しくなるのが目に見えているから。


「別に、俺じゃなくてもいいわけだし。」

「いや、そんなわけ…――」

「それに、みんな俺を見てるんじゃなくて、俺を通して俺の親を見てるだけ。親に気を使ってんだよ…。」

「…。」


 その時男が、一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべた。男の言っている意味は分からないが、よくよく考えれば、この男はあんな寒い中一人雨に打たれていたのだ。ただ単に面倒になっただけなら、そのような行動普通は起こさない。


「…なにか嫌なことがあったの?」

「…別に。」

「…はぁ。その仕事辞めたいなら早く辞めちゃいなよ。…またああやって雨に打たれたりなんてしたら、どんなに丈夫でも身体がもたないよ…?」

「…。」

「あ、…でも、辞めるなら辞めるで、ちゃんと手続きは踏まなきゃ。無断欠勤が一番ダメだからね。」

「……辞めていいのか分かんない。」

「良いも何も、あんたの人生なんだから、辞めたければ辞めればいいし、続けたければ続ければいいじゃん。」

「…。」

「…その仕事がしたいなら職場だけ変えるのもありじゃない?」

「…それは…、難しいかも…。」

「そう。じゃあ辞めるの?」

「…。」

「…私の目には、辞めたくないって言うように見えるけど。」


 そう言うと男は顔をバッと上げた。その目には涙が浮かんでいる。男で涙が似合うなんて、うらやましい限りだ。


「自分を通して親を見てるだけって、よく意味が分かんないけど、期待されてるんでしょ?もし、文句言われたり、親と比べられるのは本当にあんたに期待してるからなんだよ。…悔しかったり、嫌な気持ちになるかもしれないけど、それを見返す良い方法教えてあげようか?」

「…なに…?」

「単純だよ。親を超えればいい。」

「…。」

「何があったのか分かんないけど、その職場にずっといたいんでしょ?なら、自分の存在価値を自分で努力して掴み取っていくしかないんじゃない?あなたの親はどのようにして周りに認められたの?」

「…分かんない。」

「…じゃあ、あなたは、今の職場でなにか努力したの?」

「…。」

 急に顔を隠してうつむいた男を見て、少し言い過ぎちゃったかなと、美琴を男の頭を撫でる。猫毛でサラサラな髪の毛は撫でていて心地が良い。


「何もしてないんなら、これからはあなたは伸びしろしかないんだよ。本気になればなる程、今よりもつらいことがあるかもしれないし、嫌になることもあるかもしれない。…でも、それよりも楽しいこともきっとあるよ。」

「…。」

「…くじけそうになったら、私が話聞くよ。…そのかわり、私の愚痴も聞いてよね。」

「……明日、もう一回仕事場に行ってみる。」

「…そう。抜け出したこともちゃんと謝らなきゃね。」

「うん。…あのさ、お姉さん…――」



ピコン



 その時、美琴のスマホが光り、メッセージ受信の合図が鳴った。美琴は男の頭から手を放してスマホを覗く。



「…げっ、師長からだ…。見てもいい?」

「うん。」


 時刻は23時近く。こんな時間帯にメッセージが来るなんて、嫌な予感しかしない。



『お疲れ様です。山田です。

大変申し訳ありませんが、明日予定はありますか。野口さんがインフルエンザにかかりまして、しばらく来れそうにありません。他の日は代理のスタッフが見つかったのですが、明日だけ見つかりません。明けの岩永さんにお願いするのは申し訳ないのですが、明日出勤できますか?』



「なんて?」


 男が机に顎を乗せながら聞いてくる。なんだか、こたつに入りながらだらけている姿は様になっており、この部屋の住人のようにも見えてくる。――と、現実逃避は置いといて、

 体調不良はしょうがない。好きでインフルエンザになったわけでもないし、きっと野口さんも気にしてるだろうし、体調も辛いのだ。



「…はぁ…。」

(悲しいかな、彼氏もいないし、用事なんて寝ることだけだし…。)



『分かりました。大丈夫です。^^』




 美琴は返事を入力し、もう一度時計を確認する。急遽、明日は日勤だ。そろそろ片付けないといけない。


「…で、なんの話ししてたっけ?」

 とりあえず、話は最後まで聞かなくては。美琴はスマホを床に置き、男に視線を戻した。

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