色彩の下の密談
赤や青の色の洪水と、布製品独特の少し埃っぽいような匂いが鼻をつく。
入口の扉を固く閉めて、そこに「臨時休業」の貼紙を貼ったのが二日前のこと。ラスティの店は今や、女性二人による作戦会議室と変貌していた。ミドリの低い声と、スオウの明るいが落ち着いた声が、ラスティの頭の上を次々に通過していく。床に散らばった食べ物の包み紙が、偶に小さな音を立てた。
「大体、まとまったね」
ミドリが天井を仰いで、小さく息を吐き出した。
「そもそも、上層区だの下層区だので考えるからややこしくなるんだよ。物事はシンプルに事象のみを捉えるべきだ。異論は?」
「ないよ。まずはそこについての認識を合わせないと計画に齟齬が出るもの」
「ありがとう。それでは実にシンプルな目的のみ提示しよう。「他の居住区への侵入、または干渉」だ」
どうしてこうも休まずに話し続けていられるのかと、ラスティは内心で溜息を吐く。服飾を仕事としているラスティはそれなりに交友関係も広い。また社交性も十分に身につけているため、大抵の人とは話を合わせることが出来る。だが、ミドリたちのようなタイプとはなかなか「会話のレベル」を合わせることができない。
「ソラと同じ手は使えるかな」
「つまり、ラスティに服を用意させて侵入するということ? 可能かもしれないけど現実的とは言えないよ。向こうも警戒はする筈だし、忍び込めたところで、どこに行けばいいのかなんてわからない。すぐに不審者としてマークされると思うな」
「それについては同意見だ。そもそも人の真似事なんて面白くもない。私たちには私たちの得意分野がある。そう思うだろう、ラスティ」
突然話が振られたので、ラスティは驚いて肩を跳ねる。
「な、何」
「何って?」
ミドリは不思議そうに首を傾げた。スオウも同じような表情を浮かべている。その二つの顔を交互に見たあと、ラスティは頬を赤くした。見つめられて恥ずかしかったからではない。自分がとんでもない誤解をしていたことに気がついたからだった。
頭上を飛び交う早口の応酬を、ラスティは二人の会話だと思っていた。自分よりも頭がいい二人が、ただこの場所で話をしているのだと。だが、二人はラスティも同じ議論をする人間として、その輪に加えていた。対等な一人の友人として。
ラスティは自分のことを頭が悪いと思っていた。服を作ることしか出来ない人間だと。その卑下が何処から始まったかは覚えていない。下層区に来た時かもしれないし、ソラたちに出会ったためかもしれない。あるいは管理区にいた頃から始まっていたのかもしれない。
ソラはラスティを「頭がいい」と言ってくれた。この二人も否定しなかった。それを素直に受け止められなかったのは、ラスティの問題である。自らを「頭が悪い」と思うことで、二人の会話に加わろうともしなかったことが、今は酷く愚かに感じられた。
「どうしたの? お腹でも空いた?」
スオウが心配そうに訊ねるのを、ラスティは首を左右に振ることで否定した。
「違うよ。その、二人の喋るスピードが早くて」
「これは失礼。いつもと同じ喋り方をしてしまった」
ミドリが謝罪をして、少しだけ話す速度を落とした。
「得意分野で勝負をすべきだという話だよ。私にもスオウにもラスティにも、それぞれ得意なことはある。これだけなら失敗しないと胸を張れるものが。そうだろう?」
「うん。でも僕は服を作るので精一杯だし、同じ手は使わないんでしょ?」
「結論を急いではいけないよ。ソラは「ミスターたちに気付かれないように」変装して二階に上がった。何故なら彼の目的は、誰にも見つからずにハレルヤのデータを確認することにあったからだ。しかし、私たちはそうではない」
「ソラに会うため?」
「確かにそれも正解の一部ではあるが、もっとシンプルに考えるべきだね。上層区に行くのが目的だ」
ラスティは眉間に皺を寄せた。
「またそうやって難しいこと言う……」
「難しくないわよ。ミドリの言葉がちょっとおかしいだけで」
見かねたのか、スオウが横から口を挟んだ。ミドリは特に気分を害した様子もなく、説明をスオウへと委ねる。
「ソラは重大な罪を犯し、上層区へと連れて行かれた。でも今までそんなことをした人はいなかったはず。となると、上層区でもソラの処分をどうするか決めないといけない」
「上層区は規則社会だもんね。でももう規則で定められていたら?」
「それはない。もし規則で決まっているのなら、即日中に処分が決まる。でももう何日も経つのに、上層区からの通知はないでしょ?」
「あ、そっか」
管理区に忍び込み、しかもハレルヤのデータを見ようとした者を、上層区が秘密裏に処理するとは思えない。同じことをする者がいないように、何らかの禁止事項や禁則を設けるのが筋である。
かつて「お迎え」から逃げ出した者がいた。寿命を迎えたことを受け入れられなかったその人間は、どこにも逃げ場などないのに海岸へと逃げ込んだ。そしてそれを追いかけてきた車が、間違って轢き殺した。「寿命に対して異議を述べる、またそれに準ずる行動を取るものは、即座に排除する」という規則が出来たのは、それから数日後のことだった。
恐らく同じように、新しい規則が出来るのだろう。しかしそれまでは余裕がある。
「でも、それがどうしてさっきのミドリの言葉に繋がるの? やっぱりよくわからないんだけど」
「今までの考察から」
「ちょっとミドリは黙ってて」
口を開いたミドリを、スオウが即座に黙らせた。「はぁい」と、珍しく間の抜けた声で応じたミドリは、そのまま大人しくなる。
「今までになかった規則を作る。それは誰によって決められると思う?」
「ハレルヤじゃないの?」
「だったら数日も掛からない。さっきの話と一緒だよ」
「じゃあ……上層区の人たち?」
「それが妥当な考えかな。というか、あんな事件を起こしたんだもの。上層区でもソラのことが話題になっていてもおかしくない。今や上層区の関心はソラに集まっていると思ってもいい」
「でも隠されていたら?」
「その可能性は低いと思う。あの時、沢山のミスターやミスが現れたでしょ。彼らはソラのことを把握しているし、恐らくある程度……規則を決めるだけの力を持っているはず。でも彼らの地位は平等で、誰か一人が規則を決めることはない。そんなことをしたら、ミスターやミスより更に上の人間が生まれてしまう。だから規則は少なくとも、全てのミスターとミスが関わっている」
「えーっと……あ、そうか。全員がソラのことに掛かりきりになったら、他の上層区の人たちにも影響が出るってこと?」
「そういうこと」
さて、とスオウは芝居がかった動きで両手を合わせた。
「もしこのタイミングで下層区から更に人間が入ってきたら、どうすると思う?」
「それは……きっと、ソラと一緒に」
ラスティは相手が何を言いたいのか悟り、そして息を飲んだ。
「わざと捕まりに行くってこと?」
「話が早くて助かるなぁ。ソラに会いに行くのなら、上層区に行くしかない。どうやって上層区に行けばいいか。上層区の人間が私たちを侵入者として捕まえればいい。シンプルでしょ」
「シンプルすぎて逆に理解出来ないんだけど。そんなことして、皆で帰れなくなったらどうするの?」
数日前にも似たような会話をした。そんなことを考えながらもラスティには、それ以外の言葉が見つからなかった。
「いいや、私たちは帰れるさ」
ミドリがそこで再び口を開く。今度はそれを妨害する者はいなかった。
「私たちはわざわざ捕まりに行くんだ。彼と違って、それ相応の「武器」は持ち込める」
「武器って、ナイフとか?」
「そんな可愛いものじゃない。これだよ」
ミドリは自分の側に置いてあった、一つの塊を指さした。それは、ラスティは初めて見るものだったが、随分と古い筐体であることは理解出来た。
「これは?」
「古い端末だよ。呆れるほどに古い。でもね、私とスオウの考えが正しいのであれば、これこそが最大の武器になるはずだ」
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