管理区の片隅で

 上層区と下層区を隔てる管理区には、いつも独特な空気が流れていた。二つの区から溢れた物がそこで綯い交ぜになって、そして互いに自らの領域を侵食されないように牽制しているように見える。


「じゃあ計画をもう一度確認する」


 管理区の一階部分、出入口からすぐに広がるフロアの片隅で、ソラは声を潜めながら切り出した。

 各種申請のために並んだ大量の端末。白い壁と白い机と白い椅子。所謂「上層区的な」デザインで統一された空間は、実際には下層区の人間たちだけが使用している。住居移動や個人情報の更新、ハレルヤに遺伝子提供を行う各種手続きを、上層区の人間がどのように行うのかは誰も知らない。


 隔絶された世界の象徴のような場所には、何人かの先客がいて、それぞれ申請用の端末を操作しているが、彼らが本当に何らかの申請をしているかは謎である。何もすることがなく、手持ち無沙汰の末にそこにいるようでもあったし、実際にその推測は大きく外れてもいないと思われた。ソラたちの一番近く、といっても数メートル先に座った太った女は、乱れた髪を乱暴に櫛で梳かしながら、黒い画面を熱心に覗き込んでいた。鏡代わりに使われたモニタは、それに文句を言うでもなく佇んでいる。


「俺の考えが正しいなら、俺の片割れはそろそろ管理区に来る頃だ」

「どうしてわかるの?」


 アイボリー色の布袋を抱えたラスティが必要以上に小さな声で問い返す。それに応じたのはソラではなくミドリだった。小さなテーブルを囲んで話す四人を、周りは特に気にしていない。下層区では他人の行動に逐一文句を垂れたり、興味を持つのは稀だった。


「何、簡単な話だろう。ソラは片割れの彼が新たに何かの政策を適用すると信じているんだよ」

「信じているってだけじゃあまりにロマンチストだな。それじゃ偶に掘り返す古臭い小説のデータと一緒だ。俺は単に確信をしていて、そして裏付けが出来るだけだ」


 ソラは自分のノート型端末を取り出した。少し煤けた跡のあるモニタには、いくつかのツールが起動していることを示すウィンドウが立ち上がっている。


「これは、前に渡した……」


 ソラの右隣からスオウがモニタを覗き込む。その後に続く言葉をソラは暫く待ったが、相手は意図的に口を閉ざしてしまったようだった。自分が横流ししたツールであることを、管理区で口にすることを恐れたようにも見えた。


「これは管理区のあらゆる装置や音、風の流れを数値化するものだ。本来はクソ高いコンシューマを利用して、立体映像にしたりグラフ化したりするんだけどな」

「おや、これは妙なものが出てきたね。出処については聞かないほうがいいかな」


 左隣のミドリが悪戯っぽく笑えば、何もわかっていないはずのラスティが釣られたように微笑んだ。


「なるほどね。この数値データとソラの頭を持ってすれば、管理区の中の人間の動作を捉えることが出来る」

「俺は、下層区に来てからどうにかしてアオに会えないか考えてた。俺達は上層区に入れない。許されるのは管理区のごく一部まで。でも此処には政策を適用するために上層区の人間が出入りするだろ」


 どうにかして、管理区に来る人間を見分けることが出来ないか。誰がいつ来るかわからない、その中からアオを見つけ出すことが出来ないか。選別日を終えたその日から、ソラはずっと考えていた。幼い頭で考えて、考えて、やがてそこにプログラミングやネットワークの技術が積み重なった。幼い願いはいくつかの転換を経て、やがて一つの可能性に至る。


「窓から偶に上層区の人間が見えた。だから、「誰か」がわからなくてもいい。その「誰か」が窓を通ることさえわかれば、俺は待ち構えることが出来る」

「それを……どれぐらい続けたの?」

「ずっとだよ」


 ソラはそっけない言葉で返した。ラスティは鼻白んだように黙り込む。

 少し考えれば、ソラはラスティの望む答えを出すことが出来た。だが、その年月を語ることに意味があるとは思わなかった。失敗を繰り返しながら、漸くまともに動くものが出来上がり、そしてそれが結果を生み出すに至ったのはつい最近のことだったからである。

 アオを見つけることが出来たあの日は、オリジナルのシステムを動かしてから十日目のことでしかなかった。


「俺はアオを探すことに成功した。だから、このシステムにはアオの歩様データが記録されている。歩き方ってのは個人によって違うものだからな」


 ソラはキーボードを叩き、端末内にあるファイルを呼び出した。あの日の日付がファイル名の一部となって表示されている。


「これを使ってシステムを動かせば、一致する歩き方をする奴が現れた時にアラートを出す」

「そして、片割れ君に、ハレルヤへのアクセスを依頼する……というわけだね」

「台詞取るなよ、ミドリ」


 そう言うとミドリは肩を竦めた。


「まだるっこしいのは嫌いなんだ。ハグもキスも早いほうがいい。第一間違っていないから問題ないと思うけどね」

「そうだけど、物事には順序ってもんがあるだろ」


 ソラは大げさに顔をしかめながら言ったが、実際のところ怒っているわけではなかった。すぐに表情を元に戻すと、ラスティの方へと視線を向ける。


「わかったか、ラス」

「うん、どうにかね。でも、アオって人はソラに協力してくれるかな? いくら双子でも、上層区の人なんでしょ」


 はっきりとした言葉を避けながらも、ラスティの態度や口調にはアオに対する不信があった。管理区に忍び込んだソラを見つけて、果たして受け入れてくれるだろうか、とその目は語っていた。


「もしも……、もしもだよ? 忍び込んだことが上層区にバレたらどんな目に合わされるかわからないじゃないか」

「なんだよ。捕まえて食われるわけでもあるまいし大げさだな」

「僕が言っているのはそういうことじゃなくて」


 何か言いかけたラスティの腕の中から、ソラは袋を取り上げた。重量は殆どない。中にはアオの服に似せたものが一式揃っている。


「それも含めて確かめてきてやるよ。上層区が下層区の人間に何をするか、興味あるだろ」

「僕はソラを心配して言ってるんだけど」

「無駄だって」


 スオウがやんわりと制止しながら、右手を伸ばしてソラの端末を勝手に操作する。表示されたままだったアオの歩様データのファイルをシステムに読み込ませると、器用に片手で起動用のコマンドを打ち込んだ。


「そんな常識的な言葉が届くような人間なら、こんなところまで来てないよ」

「その通り。スオウ、良いこと言うな」

「嫌味だよ」


 それに賛意を示すように、画面にアラートが浮かび上がる。真っ赤な背景色に白い文字で記された内容は「完全一致」を意味するものだった。

 

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