優等と劣等
「アオの政策が最も適していると判断されました」
部屋のいたるところで、感嘆と羨望と嫉妬の混じった声が上がる。アオは自分の端末の画面だけを見つめていた。
「最近、ずっとあいつじゃないか?」
「カナタがカリキュラムを受けたからな。今まではアオかカナタだったのに」
「出来が違うのよ。同じ上層区でも」
最後の声は諦めを含んでいた。部屋全体の空気が、ゆっくりと弛緩しながら乱れていく。指導係の女はそれを即座に察知すると、咳払い一つで全員の注意を引いた。
「皆さんが今すべきなのは、自分より優れた政策を考えた者を羨むことではないはずです。上層区の人間として、皆さんの義務がどこにあるのかを忘れたわけではないでしょう」
問いかけるような口調ながらも、それは誰一人の肯定も否定も許さない響きがあった。実際、誰もそれに対して声を発することはなく、女は満足そうに首を縦に振る。
「悔しいのならば努力をしなさい。我々は、そうしてきました」
我々。ハレルヤの元で動く、上層区の中でも特権階級とされるミスターやミスのことを指すのは、尊大な口調から明らかだった。女には、自分がミスであるという絶対の自信のようなものがあった。それが、やせ細った体を二重にも三重にも大きく見せているようだった。
だが、アオはそちらを見てはいなかった。視線だけは向けていたが、頭の中は今行った政策の「復習」でいっぱいだった。もっと他に良い方法はなかったか。下層区の人間が不利益を被らない方法はなかったか。考えているのはそういった内容と、あとは片割れの笑顔だけだった。
イグノールでは下層区のあらゆる数値は見れるが、誰がどこで、どういった生活をしているのかは見られない。アオにあるのは、あの一日の記憶だけである。カナタを再教育するに至らしめたあの政策も、実際に上手く行ったかどうかはわからない。次に下層区に行くまで、アオの政策はあくまでもハレルヤのみが認めた「最適解」である。次の政策が、ソラたちから何かを奪うかもしれない。その次の政策がソラたちを悲しませるかもしれない。しかし、アオがそれより恐れているのは、ソラが笑うことだった。諦めたように「じゃあ仕方ないな」とアオの政策の結果を見る。それを想像すると、胸の内にある何かを抉られたような気分になる。
「アオ」
隣にいたアカネが声をかける。アオはそれを聞き取ると、いつの間にか眉間に入っていた力を弱めた。
「何?」
「大変そうだね」
無邪気な言葉は核心を捉えるには至らず、しかしアオの状態をよく表現出来ていた。
「別に。これが僕達の役目ってだけだろ」
「そうじゃなくて、何か色々背負い込んでいないかなって」
「どうしてそう思うの?」
「何となく。ちょっと相談したいことがあったけど、また今度にしようかな」
アカネはそう言って立ち上がった。他の面々も部屋から出ていこうとしている。
「相談したいこと?」
「大したことじゃないよ」
そう言われると、アオは却って気になった。アカネが相談をすることなど今までなかったし、その相手が自分であることにも驚いていた。
「別に大丈夫だよ。相談したいことがあるなら言ってよ」
頼られたのが少し嬉しくて、アオはそんな言葉を返した。アカネは、何か言いかけたものの、すぐに口を閉ざして、代わりにこちらに近付いてくる誰かに視線をやった。アオも釣られて視線を動かす。そこにはスーツ姿の指導係の女が立っていた。
「素晴らしい政策でした、アオ」
「ありがとうございます」
アオは素直に礼を述べた。その反応に満足したように、女は何度か頷く。
「今日の政策適用により、一定数をクリアしました。規則により、貴方のIDに対して権限が付与されます」
一瞬だけ、アオは反応が遅れた。女は怪訝な顔で少し体を傾げてアオの顔を覗き込む。
「どうしましたか、アオ。不満でも」
「あ、いえ。随分と早いなと思って」
辛うじてそう返したアオの隣で、アカネが短い笑い声を零した。
「相談どころじゃないね。また今度にするよ」
「待って、アカネ」
「劣等生に関わっている暇じゃないでしょ、『更新者』さん」
アカネはアオに新たに与えられる権限で呼ぶと、そのまま立ち去っていった。指導係の女は、アカネに一瞥すらもくれなかったが、姿が見えなくなるとすぐに首を左右に振った。
「貴方のような有能な者が、彼女と一緒にいるのは随分と非効率的ではありませんか」
「此処に来たときからの仲なんです。僕は、その……あまり他の子どもたちと慣れ親しまなかったので。それに彼女はとても良い人間です」
「政策の一つでも考えるのならば、その評価に同意しましょう。最近の彼女は目に余る。今までは愚策といえども何らかの結果を提出していました。それが今日などは何もしていません」
「何も?」
相談というのは、そのあたりに関することなのだろうか、とアオは少し考える。しかし、考え込む暇は与えられなかった。
「管理区に向かい、政策の適用と権限の付与を行ってください」
「わかりました、ミス」
アオはイグノールのモニタの電源を落として立ち上がった。もう部屋には女以外は誰も残っていなかった。
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