花火

 空中庭園の中央には、半壊した球体オブジェが置かれている。不規則な形をしたいくつものガラス片を繋ぎ合わせて作られたそれは、噂によれば最初は無かったもので、誰かが後から勝手に付け加えたものだと言われていた。

 その真偽は定かではないし、特に誰も興味を抱くことはないが、オブジェそのものは庭園の雰囲気に見事に合っていたし、そこを溜まり場とする者にも親しまれている。大人数人が入ってなお余りある球体には様々な遊び方があって、いかに新しい遊び方を発明するかが、この庭園での最大の娯楽ともなっていた。


 ソラは爪先立ちで右手を伸ばすと、球体上部の割れ目から紙で包まれた四角い箱を投げ入れた。箱がオブジェの底に落ち、カランと高い音がする。後ろの方でスオウとミドリがはしゃぐ声が聞こえた。ソラが振り返ると、女二人の傍らでアオが所在なく立っていた。今行われていることが全く理解できない。そんな表情だった。

 説明してやろうかと一瞬考えたものの、実際に見せたほうが早いと判断して視線を外した。


「着火装置持ってるか?」

「無ければ話にならないよ」


 ミドリがそんな言葉と共に、半円状の物体を放った。少々大きすぎる放物線を描いたそれを手を伸ばして受け止める。

 握りしめた指の腹に、小さな突起が浅く食い込む。どこにでも売っている使い捨ての着火装置であることは確認するまでもなく理解出来た。

 下層区には様々な飲食店があるが、その存在を上層区は認識していない。そもそも調理の概念がないので当然だった。各居住区に与えられているのは水を沸かすための小さな電気式加熱器だけで、野菜を炒めたりすることは出来ない。改造して使うことは可能だが、一人当たりの使用可能電力は限られている。そのため、下層区では古典的な着火装置が多く作られ、誰でも買えるようになっていた。


「じゃあ点けるぞ」


 突起を親指で潰すように押す。そのまま横にスライドすると、半円の先から火が噴出した。スライドは左右どちらにも動くようになっていて、その方向から火が出る仕組みになっている。

 アオがそれを見て、小さな悲鳴を上げた。管理区から上層区に移ったアオは、火を知らない。初めて見るものに恐怖を覚えているようだった。ソラは安心させるように微笑んでみせると、手にした装置ごと火を球体の中に投げ込んだ。

 一瞬の静寂。息を飲む音すら響くような沈黙を挟んで、突然球体が膨れ上がった。

 否、それは光がガラスに反射した故の錯覚だった。火によって箱が弾け、中に仕込まれていた火薬が音を立てながら四方へ飛び散る。指笛を一オクターブ跳ね上げたような甲高い音と共に、七色の光が溢れかえり、球体の中で爆発する。赤く爆ぜ、黒く爆ぜ、青空の下で太陽を浴びながら、その爆発は繰り返される。


「うわ、綺麗! これ、もしかして新作?」


 スオウが感嘆しながらミドリを見る。しかし持ってきた当人も予想外だったのか、目を見張りながら頷くだけだった。

 美しい光と音の奔流から逃げるように、ソラはアオの元に駆け寄る。アオは両手で耳を塞いで泣きそうな顔をしていた。


「大丈夫だって。怖くねぇから」

「音が大きい」

「確かに、これだけいい音がなる花火も珍しいな」

「花火?」


 ソラはアオの手首を掴むと、優しく耳から引き離した。

 花火の音は最初に比べれば小さくなっていたが、まだ不規則な音を立てている。


「海でよく遊ぶんだ。といっても、滅多に手に入らないけど」

「何が楽しいのかわからない」

「綺麗だろ?」


 まだ火薬の塊が残っていたのか、不意打ちで大きな音が響いた。

 思わずそちらを振り返ったソラの視界に、スオウの姿が入り込む。


「ねぇ、ミドリが倉庫に行こうって言ってるけど、どうする?」

「なんだよ、また別のオモチャ探しに行こうってか?」

「そんなところ。あのサーバが思ったより早く片付いちゃったからね」

「うーん……そうだな」


 いつもなら喜んでついていくところだが、今日はアオが一緒だった。

 後ろを振り向くと、アオは少し目を伏せて黙り込んでしまっていた。


「今日は先約があるからやめておくよ。また今度な」

「そう。了解」


 スオウはあっさりとそう返した。此処では皆同じようなものだった。誘うのも断るのも気軽に行われて、余程のことがなければ断っても遺恨は残らない。偶に異常に執着する者もいないわけではないが、そういう手合いはいずれ誰も誘わなくなるし、相手にしなくなる。下層区では政策が定めたルールよりも濃い、暗黙の了解がそこかしこで作用していた。


「……行こうか、アオ」


 ソラは片割れに声を掛けた。返事の代わりにアオは、ソラの手を軽く握る。

 アオにとってこの場は楽しい場所でもなんでもなく、逃げたい場所なのだとソラは察してしまっていた。一緒に砂の城を作って笑っていた頃にはもう戻れないのだと確信し、そしてどこか悲しい気持ちになりながら手を握り返した。

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