episode2. 生きている世界だけが全てだった
下層区の日常
「塩ラーメンお待ち!」
カウンターに置かれた丼を抱えて持ち上げた少年は、中に浮かぶチャーシューを見て眉を寄せた。
「おい、オッサン。チャーシュー小さくねぇ?」
「文句言うな。この前の精肉停止命令のせいで、ロクなチャーシューが入ってこねぇんだよ」
カウンターの中の男が不機嫌そうに言う。
ラーメン屋の狭い店内には様々なメニューが貼られているが、いくつかは「売り切れ」と上から赤い紙が被せられていた。
今しがたクレームをつけた若い客はカウンターの箸入れから二本の木製の箸を取る。器を自分の方に少し寄せると、中に箸を入れて、麺を摘み上げた。
「麺はマシだな」
「マシとか言うんじゃねぇ! 俺のラーメンに文句あるなら食うな!」
「文句はねぇよ。チャーシューのショックがでけぇんだって」
麺を口に運び、勢いよく啜る。鰹節からとった出汁が口の中に広がり、太い麺に絡んだスープが舌の上を流れていく。
一気に三口分頬張った後、箸置きの横に置かれた七味入れを手に取り、中に入った香辛料を少し振りかける。
「相変わらず、此処の塩ラーメンは最高だな」
「当たり前だ。チャーシューが小さい程度で、うちのラーメンの美味さは変わらねぇよ」
「んなこと言って、鰹節が禁止にならないといいけどな」
「やめろ、縁起でもない」
十分後、ラーメンを食べ終わった客は「ごちそーさん」と言って丼をカウンターに戻した。
「お代、一緒に置いておくから」
「あぁ」
丼の横に、ビニールで包まれた小さなメモリチップを置く。本来であれば支払いは、個人がデータベースに所有する「電子貨幣」を用いることになっている。だがそのメモリチップの中には電子貨幣よりも価値のあるものが入っていた。
「毎度あり!」
店を出た少年は、駅の方へと歩き出す。十八歳にしては少々小柄で、痩身なことが一層その印象を助長している。切れ長の瞳は茶色で、短く切った髪は砂色。右目の下にある黒子は小さいながらも存在感がある。
左肩に掛けた大きなリュックサックは五年以上使っているもので、中には大事な「商売道具」が入っていた。先ほど支払いに使ったのは、商売道具が生み出したものである。
「ソラ」
駅前通りの手前で彼を呼び止めた者がいた。長身で二十代半ばである男は、煙草臭い空気をまとわせながら、少年に手を振る。
「また煙草吸ってんのかよ。老け込むの早くなるぞ」
「折角手に入った煙草なんだ。吸わなきゃ損だろ? ほら、皆大喜びで吸ってるじゃないか」
駅前広場を指さして、男が言う。この国の中で一番とも言われる主要駅の前では、老いも若きも揃って紙巻きたばこを吹かしていた。
「禁止令が解除されたんだよ。煙草業界から死人が出たからな」
「誰か死ぬとすぐに解除されるんだよな、禁止令とか制限令って。上層区の連中の考えることはわかんねぇ」
ソラは軽く肩を竦めた。
「んで、何か用か? この前のサンプルは役に立ったんだろ?」
「そりゃもう。クライアントも大喜びだったぜ」
「あの手の情報は手に入りやすいんだ。また何かあったら回せよ」
「考えておくよ。……なぁ、先月、管理区の方に入ったりしてないよな?」
突然男が声を小さくして尋ねたので、ソラは驚いた表情を浮かべた。
「はぁ?」
「生体認証の更新に行った時に、お前によく似たの見たんだよ。まだ更新年じゃないだろ。何かあったのか?」
「知らねぇよ」
ソラは視線を駅の向こう側に向ける。其処には白く巨大な、城壁の様な建物がそびえ立っていた。
この国で「上層区」と「下層区」を分けるための壁であり、そして子供達が生まれて育つための施設。その建物の周囲は「管理区」と呼ばれて、特別な場合を除いて立ち入ることは禁止されている。
「もう八年も入ってねぇよ、管理区なんて」
「……まぁ、そうだよな。俺の見間違いか」
「明け方まで酒飲んでるからだって」
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