第25話 簒奪を狙う者

 秋の帝都。短くなった日は既に沈み、都の中心に建つ城も闇に隠れている。


 その城の一室で、2人の男が酒を酌み交わしていた。


「陛下が即位されてからもうすぐ2年、ようやく敵の一角を崩すところまで来たね。おめでとう、バート」


「ふん、悪知恵ばかり達者な狸どもだ。尻尾を掴むのには苦労した。だが捕えたのはあくまで一角、まだ安心はできん」


「それでも主要な家の一つを追い詰めたんだ。当分の間は他の貴族たちも表立っては動かないさ」


「だといいがな。デューク、もう少し付き合ってもらうぞ」


「やれやれ、本当にもう少しにしてくれよ? 私もそろそろ自分の領地に戻りたいんだ」


「領地の運営など息子に任せれば良いだろう」


「もう大部分は任せているとも。ただ、まだ教え足りない部分も多いのだよ。それとは別の理由もあるがね」


「また孫娘絡みだろう。お前の話は聞き飽きたぞ」


「おや? リーゼロッタが喋れるようになった話はもうしたかい? 実は一番最近の手紙で教えてもらってね。想像するだけで可愛らしい顔が浮かぶようじゃないか。惜しむべくは手紙が領地を経由するから、私に届くまでが少し遅いことだね。ああ、早く会ってみたいものだ。妻から話を聞くだけでは余計に想いが増してしまうよ。長旅に耐えるくらいに成長したら顔を見せに行くと言われているが、それはいつ頃になるだろうね。分かるかいバート?」


「……私が知るか」


 嬉々とした表情のデュークに対し、バートレストはうんざりした顔で酒の口にした。長い間休むことなく働いた体に酒が染みる。


 バートレストは国内の貴族を監視する皇帝直属の組織の長だ。国に仇なす貴族たちを排除することに人生を賭けている。

 今日でようやく大きな仕事の山場を越えたところだった。


 眉間に消えない皺を刻んだバートレストを見つめ、デュークは心配そうに口を開く。


「君もそろそろ休みが必要だよ。いくら体が丈夫とは言っても、少し無理をし過ぎだろう。一月くらいまとめて休んではどうだい?」


「ふん、本来であれば大物を捕えた今だからこそ、繋がりのある者どもを追うべきなのだ。……あの狸め、素直に吐けばよいものを」


「情報を聞き出すのは無理だろうね。十中八九、あれは誓約の魔術で互いに縛っている。どう尋問したところで話すことはないだろう」


「ああ、そうだろうとも。これまでに集めた証拠では他の者には届かん。まったく、忌々しい……」


 デュークは空になったバートレストの杯に酒を注ぐ。


「相手が気を抜くまで待つしかないさ。バート、川の釣りと同じだよ。一度音を立てて大物を釣ってしまったら、他の魚は影に隠れてしまうものさ。次に釣るためには、辛抱強く警戒が解けるのを待つしかない」


「貴様の領地で釣れるのはそんな繊細な魚ではなかったはずだが? まあいい。私も他にやるべきことができたところだ。少し休暇は取る」


「へえ、珍しく素直じゃないか。どんな用事だい?」


 バートレストは眉間の皺を深くした。


「ハウエルを見つけた」


「おや、彼が姿を消して、もう一年半くらいだったか。さすがは高位の光の術師。姿を隠すのは上手い。元気にやっていたかい?」


「ああ、帝国の端で呑気に生きていたとも。……偽名も使わずにな! 馬鹿かあいつは! 姿を消すなら名を変えるのに基本だろうに、現場で何を見て来たのだ!」


 杜撰な部下の行動に、バートレストは徐々に声を荒げていった。デュークが苦笑いをする。


「まあ、元気で良かったじゃないか。本人もきっと封印の儀式には帰ってくるつもりだったさ。それで、どうやって見つけたんだい?」


「……近くの町で部下が情報を得た。ハウエルがいる村が町から大工を呼んだのだ。あの馬鹿者め、大工にも警戒なく名乗ったらしい」


「弟子の子も一緒かな?」


「ああ、アニスと共に村の一員として働いているようだ」


 バートレストが喉に酒を流し込む。デュークは笑いながら酒を注いだ。


「それで、君は休暇を使ってハウエルに会いに行くというわけだ。どうするんだい?」


 無理に連れ戻すのか、放っておくのか。デュークは目で問いかけた。


「ひとまずは折檻だ。陛下よりいただいた職務を置き手紙一つで放棄するなど、本来であれば首が飛ぶような行いだ。無断で逃げた罰は私が与える。――その後は、当然連れ戻すとも。ハウエルに任せたい仕事はいくらでもある」


「無理に連れ戻しても働いてくれないと思うがね。まあ、君の部下だ。どう決着をつけるのかは任せるよ」


「ふん……上手くやるとも」


 仏頂面のバートレストに笑いながら、デュークは2人の杯に酒を注いだ。そのまま酒杯を掲げる。


「それでは各人の明るい未来に」


「……輝かしい帝国の明日に」


 カチン、と2人の杯が澄んだ音を立てた。





 だが、明日は暗い雲に覆われていた。

 早朝。バートレストは夜が明けたばかりの時間に部下から叩き起こされた。


 受けた報告は、苦労の末に牢屋に入れた貴族が逃亡したと言うものだ。


 怒りを腹の底に押し込めて、バートレストは部下たちに指示を出す。


「帝都の門を封鎖しろ! 同時に帝都の中を捜索! 昨晩巡回していた兵士たちへの聞き取りも行え!」


 寝起きの皇帝にも無理を通して面会し、全速力で兵士たちを動かしていく。

 それと同時に状況を知らせる悪い報告を聞いた。


 捕えた貴族がいた牢屋は城の地下だ。厳重な警備をしていたはずだが、見張りの兵士の約半数が死亡していた。

 残りの四分の一は眠ったまま目を覚まさず、さらに四分の一は姿が見つからない。


「おのれ、取り込まれていたか……!」


 姿を消した兵士は敵側の人間だったとバートレストは考える。

 金で買われたか、脅されたか、どちらにしても逃亡した貴族についたのだ。その証拠は続々と集まってきた。


 改ざんの後がある兵士の勤務記録。指示にない夜間の門の開閉。偽の伝令。城の内側にいなければできないものばかりだ。

 兵士についてはバートレストも身辺調査を行っていた。怪しい者も何人か捕えていたが、それをすり抜けたということは、向こうも何年も前から密かに人材を送り込んでいたことに他ならない。


「狸め……! 腐っても大物か……!」


 帝国を長年蝕んできた大貴族。牢に落ちてもなお影響力は強く、首が飛ぶことになれば巻き添えを食らう裏の者も多かった。

 犯罪に目を瞑る統治者がいなければ、裏の稼業は成り立たないのだ。


 かくして欲と打算と恐怖から、逃亡劇は成功する。


 朝日が眩く城を照らす頃には、敵は帝都から遠く離れていることが判明した。


 歯を食いしばり、バートレストは現場の指揮に当たっていたデュークを呼び戻す。


「デューク、帝都の守りを任せる。私は逃亡者を追う」


「構わないが……どこに逃げたかさえ分からないだろう。領地か、親しい貴族の下か、それとも裏へと隠れたか……」


「方角は分かる。貴様にすら会わせていない追跡を得手とする部下がいるのだ。追跡に向かわせたのが今ほど戻ってきた。これから私自らが追い掛ける」


「……君はここで指揮を執った方がいいと思うがね」


「デューク、寝ぼけているのか。貴族の魔術は同格の貴族でなくては相殺できん。奴に戦う意思があるならば、私の手で灰にしてくれる」


 燃えるような瞳でバートレストは拳を握り締めた。周囲の空気が焦げ始める。


「……分かったよ。ここの守りは任せてもらおう。バート、君の無事を祈っているよ」


「ふん、火の精霊に誓って、奴には裁きの炎をくれてやる」


 バートレストは身を翻した。大股で城を進み、部下たちへと指示を出していく。同行させる部下は、バートレスト自身が根気強く集めた信頼の置ける者たちだ。


 いずれも祖国のために命を捧げる覚悟を決めた勇士たち。


 バートレストたちは一つの生き物のように、乱れることなく行動を開始した。





 帝都から半日ほど離れた道を、特徴のない馬車が走行している。


 白い幌に覆われた荷台の中では、一人の老人が悠々と胡坐をかいていた。


「若造どもは中々やりおる。だが、こちらとて長い年月をかけて根を張ってきたのだ。そう簡単には終わらぬとも」


 囚人用の薄い衣からは、枯れ枝のような腕が出ていた。

 たが、老人は寒々しさとは無縁だった。解れた衣服の上には不釣り合いな、厚く優れた外套マントを羽織っている。


「弱き者どもは支配されねば生きられぬというのに、若い芽は道理を知らぬ」


 老人は古き貴族の一角。そして人買いの元締めだった。貴種には力で遠く及ばない平民を攫い、必要な場所へと売り飛ばす。


 余っているモノを、足りない場所へ。


 老いてなお絶大な魔力を持つ老人にとって、平民は家畜と変わりない存在だった。

 野にいるものを捕まえ、躾をし、労働させる。その儚い生に意味を授ける分、良心的だとすら思っている。

 そうして生きてきた。


「さて、さて、目くらましは効いておるかの」


 老人は穏やかに笑う。ともに逃げた兵士たちは囮として各方角へと飛ばした。同じような馬車を使ってだ。正攻法で探すのであれば、そう簡単には当たり・・・は引けない。


「っほ、例え追われても、先に目的を果たすのみだがのう」


 老人は自らの右目へと手を伸ばした。指先で目蓋をこじ開け、ぶちゅりと眼球を抉り出す。


 いや、正確には本来の眼球ではなかった。老人が手に載せるそれは義眼だ。技術の粋を尽くして作られた、本物を越える義眼の魔道具。


 老人が義眼に魔力を注げば、手の上に光が現れる。それは宙に立体の地図を描き出した。


 果ての見えない峡谷に、一点強く光る場所が示されている。


 老人は皺を深く刻むように口を三日月にした。


「さて、年甲斐もなく、帝位の簒奪に挑むとしよう。ほっほ、若き帝よ。帝位の証は一つではないのだぞ」


 古き貴族は例外なく初代皇帝の血を継いでいる。


 今の帝など、所詮は最も正統性を主張できるだけの存在だ。そして国とは貴族たちの集合体であり、各々の家は自らに益する者の味方になる。


 詭弁など、長く生きた貴族にとっては日常会話と同等だ。


 恥もなく、臆面もなく、老人は枯れぬ欲望と共に自分という駒を動かした。

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