第23話 魔境の狐

 魔道具関係の調べ物を終えて大図書館を出ると、外はもう夕陽に赤く染まっていた。遠くに見える帝都の武骨な壁の向こうに、太陽が沈もうとしている。


 壁が作る長い影が家々に落ちるのも、仕事帰りの人々が足早に歩いて行くのも、いつもの夕方の光景だ。


 そう、思ったのだが……なんだか妙な雰囲気があった。


「騒がしい? 浮ついてる? ん~……?」


 よく分からないが、何かがおかしい。


 道行く人々は、隣に歩く者同士で不安そうに会話をしている。少し耳を澄ませてみることにした。


「……魔物が……らしい」

「……帝都の近くまで……」

「魔術を使う狐……」

「……百を越える群れがいるって……」


「ふん? 狐の魔物が帝都に近づいてる?」


 盗み聞きした内容をまとめるとそんな感じだ。ただ、情報はかなり錯綜しているようだ。


 帝都に接近している魔物は狐の姿、というのは共通しているようだけど、話す人によって大きさすら違う。

 ある人は家を軽々と跨げる巨体。ある人は人と変わらない大きさ。ある人は人より小さいが、百を越える群れを率いている。と、かなり噂に尾ひれがついているようだ。


 ただ、危険な魔物が近づいて来ている、というのは、通行人の雰囲気を見るに事実らしい。


「……冒険者ギルドに寄って行くか」


 魔物の情報ならギルドに聞くのが一番手っ取り早い。ちょっと情報を仕入れに行こう。



 いつもは空いている夕方の冒険者ギルドが、今日は人でいっぱいだった。冒険者の他に、急いでいる様子の商人が何人もいる。


 冒険者たちはオレと同じく情報を集めに来たのだとして、商人たちは急遽護衛を依頼しに来たところだろうか。

 焦った顔をしている商人は、たぶん遅れたら不味い商品を扱っているんだろう。大変そうだ。


 青い顔の商人から視線を逸らし、ギルド内をぐるりと観察する。混雑しているギルド内で、冒険者たちの視線が集中しているのは……。


「あった」


 左手側の壁。そこに大きな紙が貼られている。『接近中の魔物に関する情報』という文字が上に見えたので、ギルドが収集した情報が提示されているはずだ。


 人波を躱しながら、書かれた文字を読もうと紙に近づいた。近づいたのだが……。


「み、見えねえ……」


 壁前にびっしりと並んだ冒険者たちの頭や肩に隠れて、紙そのものがほとんど見えない。爪先立ちをしてみるが、紙の上の部分しか見えなかった。冒険者たちがデカ過ぎる。

 諦めてペタリと踵を下ろした。敗北感がすごいぜぇ……。


 オレの身長は低くない。日本人で言えば平均よりも上。そこそこ背はある方だ。ある方、なのだが……ここは肉体労働の極みのような職業、冒険者が集まる冒険者ギルド。みんなガタイが良い。


 それも当然。この世界の住人は魔力によって身体を強化可能だが、その効果は鍛えられた肉体の方が高いのだ。

 魔力の量が同じなら、デカくて筋肉がある方が強い。特に冒険者は、自分より大きな魔物相手に立ち向かう必要がある。

 分厚い皮と肉を裂き、頑丈な骨を断つには、身の丈ほどもある重量武器と圧倒的な膂力が必要だ。


 デカい奴は強い。その法則はどこの世界でも変わらない。


 とまあ、そんな訳で、冒険者には体が大きくて筋肉質な人間が多い。

 うん。だから、この場で紙が見えなくても、オレが小さい訳じゃない。周りがデカいのだ。別に気にすることじゃあない。


 ……さて、あまり意味のない自己弁護はこれくらいにして、実際どうしようか。


 目の前に並ぶ冒険者たちは筋肉質で横幅もデカい。間を縫って前に出るのは難しい。

 ん~、前の人は読み終わったらどいて行くだろうから、少し待つか?


 急ぎの用もないし、それでもいいか。と思ったところで、背後から声をかけられた。


「なんだ黒いの。紙が見えねえのか?」


 聞き覚えのない男の声に振り返る。“黒いの”やら“黒坊主”やらが、オレの見た目に対して付けられる呼び名だ。最近は慣れた。


 180度体の向きを変えると、目の前にあったのは分厚い胸板だった。そこから視線を上げると、快活に笑う顔と目が合った。2メートル近い長身の冒険者だ。腕の太さがオレの太ももくらいある。

 たぶん腕相撲じゃ一生勝てないな。


 うん。というか……どちら様? もしや、背の届かないオレの代わりに、書かれた内容を読んでやってもいい、という親切な人だろうか。


「はい……ちょっと、オレからは見えないですね」


「そりゃ良くねえな。ちょいと手伝ってやるよ」


 その長身で代読してくれるのかと思いきや、ガッ、と襟元を掴まれた。


「ほらよ」


「ふお!?」


 片手で全身が持ち上げられ、足から床の感触が消えた。ぷらんと体が宙に浮く。そのまま半回転。視界の高さが急に上昇し、前に並ぶ冒険者たちのカラフルな頭部が上から観察できた。

 そして、読みたかった紙もはっきり見える。


 ……いや、確かに紙は見えるけど、この解決方法は予想外だ。代わりに読んでくれるんじゃないのかよ。


「おう、黒いの。これなら読めるか?」


「はい、読めますけど……。ありがとうございます……?」


 犬か猫のように持ち上げられながら、微妙な心境でお礼を言った。


 ……見えるには見えるけど、同時に他の冒険者からも見られてる。目立ってる。これ、遠回しな新人イジメだったりしない……? 超居心地悪いぞ?


 快活そうな顔をしておきながら、実は性格が悪い人だったのだろうかと、首を捻って背後を見る。

 名も知らぬ冒険者は、何故か気恥ずかしそうに笑っていた。ホントになんで?


「あ~……相方に頼まれて“あれ”を読みに来たんだがよ。実は俺な……文字を追っかけるのが苦手なんだ」


 だから代わりに読んでくれねえか。と、照れ笑いの顔で言われた。

 ……なるほど、そういうことか。この人は高身長により紙は見えるが、文字を読むのが苦手、と。オレとは逆の状態だ。お互いにちょうどいいところにいた訳か。


 オレを持ち上げる、という解決方法はちょっとどうかと思うけど……まあ、目立つのはいつものことだ。今さら気にすることでもないか。


「分かりました。ちょっと待っててください。すぐに読みます」


 ギルドが貼った紙の内容に集中する。大図書館で時折見かける難読な本に比べれば、ギルドが書いた文章は読みやすいくらいだった。

 2回読んで、情報を頭にまとめておく。


「読み終わりましたよ。下ろしてください」


「おう。速いな」


 トン、と地面が戻ってくる。ズレたコートを直しながら、高い場所にある顔を見上げた。


「ありがとうございます。それじゃあ書いてあった内容を解説しますね」


「助かるぜ。頼んだ」


 ほっとした顔をする冒険者に、読んだ内容を話していく。


「まず、帝都に接近している魔物というのは、東の魔境にいた狐の魔物らしいです」


「うへえ、魔境の魔物かよ」


 分かり易く嫌そうな顔をされた。オレも先日“翼竜の森”という魔境に行って来たが、魔境というのは翼竜クラスの上級の魔物がゴロゴロいるヤバい地域だ。

 この時点で狐の魔物が上級以上であることが確定するため、普通の冒険者なら嫌な顔をするのは当然だと思う。

 この情報に喜ぶのはレックスくらいのものだろう。


「魔物の数は一頭のみで、大きさはヒトと同じくらい、らしいです。魔境の魔物にしては小柄ですね。ただ、代わりに強力な魔術と幻術を使用すると書かれていました」


「魔術型の魔物か……まあた珍しいもんが出てきたなあ」


 魔物の強さは基本的にサイズに比例する。デカいものは強いのだ。だが、たまに例外がいる。

 それが魔術型と呼ばれる魔物。小さな肉体に強力な魔力を持ち、人のように魔術を操る厄介な存在だ。


「魔境から出て来た理由の推測も少し書いてありましたよ。どうやら魔境を管理する貴族が、この狐の魔物を従魔にしようとしたらしいです。大人は手に負えないので、狙ったのは仔狐ですね」


「……今の状況じゃあ結果は分かったようなもんだが……失敗か?」


「まあ、そうみたいですね。狙った仔狐は捕獲できず、貴族が派遣した兵士は全滅。魔物が外に出て来たのは、子供を襲われた恨みか、もしくは人間の味を覚えてしまったため、と書いてありました」


「そりゃまた随分と下手をこいたもんだなあ……」


 激しく同感だ。


「貴族の兵士が全滅してしまったので情報も少なく、魔物の等級はまだ判断できていないそうです。名前も未定ですね。とりあえず最低でも上級ということで、騎士団が討伐に向かったとのことでした。何事もなく討伐されるといいですね」


「そうだなぁ、騎士様が狩ってくれりゃあ言うことはねえ。……あ~、ところで、だ。途中の町や村は、どうなってる……?」


 厳しい顔で質問された。この世界では、魔境から出現する魔物というのは災害と同意だ。通った場所は最悪壊滅する。

 だが、今回は運が良いらしい。


「幸いなことに、大きな被害はないみたいです。家畜や魔物の肉を町の外に置いておくことで、難を逃れたと書いてありました。狐が小食で良かったですね」


「そうか……そりゃあ良かった」


 冒険者はほっと息を吐いた。


 一般的な上級の魔物は、下手をすれば家より大きな体を持つ。その分食欲も旺盛だ。狐の魔物が魔術型ではなく、一般的な魔物のように巨体だったら、もっと被害が出ていただろう。

 まあ、人と同じようなサイズだからこそ、件の貴族も狐を従魔にしようと思ったんだろうけどな。

 そう考えると良いのか悪いのかは微妙なところだ。


「ギルド側の発表は、ざっくりとまとめるとこんな感じです。万が一騎士団が失敗したら、オレたち冒険者にも討伐依頼が出るんでしょうね」


「そうなったら、戦うしかねえだろうな」


 冒険者は真剣な顔で頷き、それから笑顔になってオレを見た。


「助かったぜ。これで相方にぶっ飛ばされなくても済む。俺ぁ銀級のカルヴィンだ。これの礼に、何かあったら手を貸してやるよ。じゃあな」


 太い腕を軽く掲げて、名も知らぬ冒険者改めカルヴィンさんは、身を翻して去って行った。

 ……銀級だったのかあの人。ロゼッタと同じ等級じゃん。つまりオレから見たら超人だ。


 いやまあ、オレからすれば、この世界の人間は全員超人に見えるけどさ。というか、銀級で2メートルくらいあるカルヴィンさんを“ぶっ飛ばす”相方とはいったい……?


「……ゴリラ?」


 いや、ゴリラがこの世界にいるのかは知らないけど。まあ、ゴリラっぽい人はいるのかもしれないな。


 見たことのないカルヴィンさんの相方を思い描きながら、人混みを抜けてギルドの外へと向かう。

 いちおうディーンたちにも教えに行った方がいいだろう。そう思ったところで、視界の端に赤みかかった金髪が見えた。


 足を止めて首を伸ばせば、案の定そこにいたのはロゼッタだ。


 ロゼッタは以前騎士団に所属していたと、本人から聞いたことがある。狐の魔物に対する騎士団の勝算について、少し話を聞いてみようか。

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