第705話 おばけ
ヘリオスの剣は、確かに魔王の胸を貫いている。
これは確実に致命傷を与えているに違いない。
「なにっ……?」
だが、最も手応えを感じているはずのヘリオスは、戸惑いの声を発した。
魔王の黒い瞳がまったく死んでおらず、鋭い輝きをもってヘリオスを捉えていたからだ。
「あーしは既に人の理を超越しています。尋常な方法で倒せるとお思いですか」
「このッ!」
ヘリオスは魔王に刺さった剣を抜こうとするが、それは叶わない。
魔王の体から迸った瘴気の波動が、漆黒の球体となって二人を包み込んだ。
「ヘリオス!」
「あれは……!」
俺とエレノアはほぼ同時に叫ぶ。
「まずい気がするわ」
エレノアがフラーシュ・セイフを球体に撃ち込むが、やはり相殺されてしまう。
俺がサーベルで斬りつけてみても、固すぎて話にならなかった。
「ノイエ離れて!」
漆黒の球体が力強く脈打った。
球体が発するエネルギーの波動を辛うじて防ぐことができたのは、エレノアの声で半ば反射的に飛びのいたおかげだった。
「くっ……!」
黒い波動に触れた部分が焼けるように痛む。瘴気を克服した俺ですらこのダメージだと。
これをモロに食らったヘリオスは、一体どうなった。
「そんな……」
球体がゆっくりと溶けていく。
魔王に掴まれたヘリオスは、既に意識はなく、ボロボロだった。白目を剥いて、全身から赤い体液を噴き出し、辛うじて人体としての原型を留めている。
「他愛ない。これが武名を轟かせたグランオーリスの王か」
魔王はヘリオスを突き飛ばす。
なんの抵抗もなく落下していくヘリオス。もはや生き残る望みがないことは誰の目にも明らかだった。
「さぁ。次はあなた方の番です」
魔王が俺達に向き直る。
あの球体に包まれたからだろうか。魔王に傷はなく、まったく万全の状態に戻っていた。
「ノイエ」
エレノアの声色には緊迫感があった。
「あなたは離脱して。地上のみんなを助けてあげて。ここはあたしがなんとかするわ」
「え?」
「魔王アンヘル・カイド……思ったよりもずっと厄介よ。あたしもなりふり構っていられない。ここからは神々の戦い。聖女の力を解放すれば、きっとあなたを巻き込んじゃうわ」
何を言っているんだ。
いとも容易くヘリオスを倒した魔王を相手に、たった一人で立ち向かうなんて。
離脱を躊躇う俺に、エレノアは優しく微笑む。
「優しいのね。でも大丈夫。あたしが本気になれば、あんな奴どうってことないわ。お茶の子さいさいよ」
そう言うエレノアの瞳は、強い覚悟を湛えていた。
嫌な予感がする。ここでエレノアを一人にしてしまったら、取り返しのつかないことになるかもしれないんじゃないか、という漠然とした感覚がある。
だから。
「逃げるつもりはない」
俺はサーベルを握り締め、魔王へと突っ込む。
「ノイエ!」
ここで退けるもんかよ。
マーテリアは、俺にとっても不倶戴天の敵だ。そしてエストの根源でもある。つまり、人の運命を縛り付けている元凶だ。
そいつがいま目の前にいて、倒せるかもしれないってのに、退けるわけがない。
もったいないだろ。そんなこと。
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